第26話 三年の壁
「⋯⋯こっちに来るかい?」
月丘が布団の片側にスペースを作る。むざむざ入ったりしない。
「そういうのは求めてない。同情みたいなの、やめて」
「同情じゃないよ」
「同情だよ、帰る」
振り向いたわたしのウエスト辺りをがしっと掴んで「行かないでくれ!」と言う。信じていいのかと思っていると「⋯⋯気持ち悪いんだ」と。
酔っ払いの介抱なんかしたことがなかったので、慌てて慧人に電話する。電話⋯⋯こういうのがいけないのかもしれない。慧人ならすぐになんとかしてくれるっていう信頼が、月丘を苦しめてるのかもしれない。
『急性アルコール中毒』と入力して検索する。いろんな情報を集める。本人がそのままトイレまで行ってくれたので、背中をさすってあげる。出すべきものは出たようで、水分補給にお茶を飲ませる。お茶はOKとネットに出てたからだ。
「情けないよ⋯⋯」
「飲み慣れてないからだよ」
「なにも言い訳できない」
「証明証はどうしたの?」
「二年のヤツがいたんだ。誰かの彼氏で」
そうなんだ、としか相槌を打つことしかできない。
「高田くんのことは一生忘れない?」
わたしは俯いた。
そんなの答えは明白だ。
嘘をつけばいいのか、それで納得するのか。
「忘れないよ」
「そうか。そうだよね。僕はどうやら本気で嫉妬深いらしく、自分で自分を持て余してる。こんな状態でニコを抱いたりできないよ」
「どんな状態?」
「彼女を疑いながら」
ああ、疑われてたのかと思う。どんな疑い? 二股とか?
そんなに器用じゃないし、別れた男と寝る程、落ちぶれてもいないのに。酷いなぁ。
「すきなのは月丘だけなのに?」
「そういうのはすきじゃなくてもできるだろう?」
段々、腹が立ってきて怒りのボルテージがMAXになってくる。
「もういい! わかった! 疑ってればいいじゃん。わたし、帰るね」
「ニコ!」
くそ! どうしてこんな展開になんのよ。
すきな男に抱かれたいってそんなに悪いこと? わたしはただ⋯⋯。
「慧ちゃん!」
「どうしたんだよ、そんなに泣いて! とりあえず上がれよ」
うわーんと子供のように泣いた。この複雑でやり切れない思いの丈を、きれ切れに話す。慧ちゃんはティッシュボックスを持って最後まで聞いてくれる。
「それはまた拗れたものだなぁ。そもそもアイツ、どうしてそこまで嫌がるんだ?」
「知らないよ! わたしが嫌いなんだよ」
「嫌いなら嫉妬しないって。落ち着けよ」
ティッシュで鼻をかまされる。一枚じゃ足りない。
「バカだなぁ。それで俺んとこ来てなにになるんだよ? ヤラレちゃうぞ」
「慧ちゃんはそんなことしないもん」
「ほら、だからそういう信頼関係が、アイツには妬けるんだろう?」
「⋯⋯だって、慧ちゃんは信頼できるでしょう?」
「浮気したのに? ほかの男の女を、今度は寝盗るかもしれないのに?」
ガッと肩を掴まれて、強引に口付けされる。抵抗する。嫌かどうかと言われたら嫌じゃないかもしれないけど、意思の疎通ができてない。
深いところまで入られて、窒息しそうになる。もがいても離してくれない。
こんなに乱暴なのは初めてだ――。
「酷い!」
ドンと弾く。
「ほら、安心安全じゃないんだよ。その気になれば無理にでもできるし、セフレにだってなれるんだ」
「そんなの酷いよ!」
「あー、折角泣き止んだのにごめん、悪ふざけが過ぎたよ」
トントンと背中を叩かれる。慧ちゃんの肩。何度ここで泣いたことか。どんなことでも慧ちゃんは聞いてくれて、わたしを慰めてくれた。たった一度の浮気が許せないわたしに、こんなにやさしくしてくれる。ほかの男のところに行ったのに――。
「やさしくしてやれよ。求めるばっかじゃなくてさ」
ハッとする。それは確かだった。
わたしは月丘にはなんでもできると思っていて、いつも頼りきりだった。月丘にも助けが必要な時があるなんて思ってもみなかった。
「慧ちゃんにも、わたし、求めすぎてた?」
「そうだなぁ、俺の場合、ニコに気持ちよく寄りかかってた部分もあるから。三年も付き合えばお互い様だったよ」
「ありがとう! 頑張ってみるよ」
「転ぶなよ!」
慧ちゃんの言葉には説得力があった。それは三年間の積み重ねの結果だ。
アインシュタインがなんて言おうと、わたしたちは時間を超えられる。例えばわたしたちの付き合いが三年を超えた時、その時、月丘の『三年コンプレックス』は解消されるんじゃないだろうか?
トントントン、と素早くノックをして、自分で鍵を開けて部屋に入った。
「ニコ?」
彼はやつれた顔をして、毛布にくるまりながらお茶を飲んでいた⋯⋯。わたしは脱力した。
「ちょっと! 心配したんだから!」
「⋯⋯もう戻ってこないのかと」
「戻ってきた! 戻ってきたから情けない顔しないでよ」
月丘はいつになくボソボソと俯いて呟き始めた。
「最初からニコの言う通りにすればよかったんだ。座卓はしまってこたつを買って、足が触れ合うくらいの距離感でいれば⋯⋯」
「月丘、座卓だってそんなに大きくないよ」
「だけどあの布団と赤外線が親密なムードを温めるんじゃないのかい?」
「そうかもしれないけど⋯⋯」
もそもそと、月丘の毛布に足を入れる。毛布の中はすっかり温まっていた。
「即席こたつ。ほら、足と足が触れ合う距離だよ」
「ごめん、僕はアルコール臭いんだ」
「お風呂に入ったら?」
「⋯⋯シャワーだけ」
月丘はなんでも大丈夫という顔をしてるけど、本当はそんなことないんだな、と確認する。ああ、強がりの仮面を外して、わたしにすべてを見せてくれたらいいのに。それとも男のプライドがそうさせないのか。
その辺にまた三年を感じる。
慧ちゃんのことで知らないことは殆どない。でもそれは時間が作った貯金だ。そのうち崩れていくだろう。
これからは月丘と思い出と信頼の貯金をしていくんだ。
月丘がシャワーを浴びている間、わたしはそれを考えていた。半年の思い出は時間を跳躍できないんだろうか――?
「お待たせ。悪かった」
月丘はお風呂上がりのしっとりした姿で、わたしに頭を下げて謝った。ほとんど頭が床につきそうでわたしは「ちょっと、やめてよ」と言った。
「高田くんのところに行った?」
「⋯⋯行ったよ」
「メイクが崩れてる。随分泣いたんだね」
目の周りが真っ黒になってるかもしれないと思って、真っ赤になる。そんなわたしを月丘に見せたくない。そもそも月丘に気に入られるためにメイクをしてるわけだし。
「慧ちゃんは、幼馴染みたいなものだから」
「でも元恋人じゃないか?」
「そうなんだけど⋯⋯現恋人には勝てないんじゃない?」
「そうかな? 僕は君がいつでも彼に持っていかれてしまうんじゃないかと危惧している」
「疑われたもんだなぁ」
はぁーっと深くため息をつく。
「今日は月丘がなんて言おうとここに泊まるから」
「それはダメだよ。僕は酔っ払いなんだ」
「じゃあ尚更、介抱が必要でしょう?」
毛布の中で月丘にもたれかかる。心臓が強く波打っている。
「襲ったりしないから、大丈夫だよ」とわたしは言った。
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