第4話 兆し

 木の実と魚のスープ、キノコのマリネとウサギ肉の焼肉、それに穀物の粥。

 質素だが温かい食事を囲みながら、会話は今日の漁についてになる。


「どうだったのヴェアド?」


「おかしい、いくらなんでも、おかしい。

 俺の秘蔵の場所を含めてあまりにも魚の量が少なすぎる……

 こんなことは10年前の時だってなかった」


「今年は寒さが特にひどいわ、畑の方も、駄目そう……」


「まずいな……流石にこのままだと、被害が出る」


「また、僕のせいなの?」


「また村の人たちに何か言われたの!?

 マリスのせいじゃない、何を言われても気にするな!」


「10年前の大地震から、最近も少し大きな揺れが増えてきたわよね」


「そうだな、潮の流れも時々おかしくなることがある。

 なにか、嫌な予感がする」


「困ったわね……」


 マリスは両親の困った顔に何かしてあげたいと思慮するが、二人に比べて体も小さく力も弱い自分にできることが思いつかずにふぅと溜息をつく。


「マリス、母さんの料理をそんな顔で食べるもんじゃないよ。

 笑顔でおいしいと食べないとだめだ」


「そうよマリス、おいしくなかった?」


「すっごくおいしいよ! 特に父さんがとってきた魚は世界一だ!」


「そうだろそうだろ!」


 それからマリスは料理をすべて平らげ、どやっ! と二人に空の食器を見せてアピールをする。食卓には笑顔が戻っていた。


 しかし、食後のヴェアドとウルスの顔色はよくない。もふもふの毛におおわれて表情が読みにくいが、この10年一緒に過ごしてきたマリスには二人の重い表情が手に取るようにわかってしまう。

 心配してヴェアドのそばに来たマリスをひょいっと持ち上げて抱きしめてくるヴェアド、そのままマリスは父の身体を抱きしめる。


「温かい……」


「マリス、父さんは明日も朝から漁に行ってくるから、母さんの手伝いを頼むよ」


「うん! 俺が母さんを守るんだ!」


「いつも家のこと手伝ってくれて助かってるわよ」


「さすがは俺たちの息子だ!」


 マリスは他の熊族の子供に比べるととても聡い子だ。

 獣人と人間、力の差は歴然だが、その代わり理性的であり、そして器用だ。

 10歳にして木工、縫物などの細かい作業もこなすために、村でも依頼をこなし、きちんと役割を作って果たしている。今までほかの村に依頼していた仕事の一部を内々にこなすことができることは村にとっても有益で、それに関しては村人たちも無視できない成果になっている。それでもなお、ヴェアドたちへの当たりや陰口が減らないのは、保守的で閉鎖的な熊族だからと言えた。


「私も明日はこれを隣村に持っていくわね」


 マリスの細やかな刺繍の入った布製品は今ではこの村の商品になっている。

 ほかの村で保存食などに交換してもらいに行くこともある。


「じゃあマリスは早く寝て明日に備えないとな」


「うん!」


 ウルスと一緒にマリスは出かけることが決まる。

 マリスは固く絞った布で体を拭いてベッドにもぐりこむ。

 胸元で十字架がランプの光を反射して優しく輝いている。

 マリスはこの光を見ていると心が落ち着いた。

 赤子の頃も、この十字架を持たせると不思議と泣き止んだ。

 

「どうか明日も無事に終わりますように……」


 十字架を握り締め、マリスは眠りに落ちていった。




 マリスは夢を見る。

 多くの仲間がバタバタと倒されていく。

 それでもその夢の人物は強大な魔物に勇敢に戦いを挑んでいく。

 その手には大きな剣が持たれていた。

 そして、その剣を握れば、どんな敵にも負ける気はしなかった……

 敵は多く、そして強い、世界が魔物で満たされていく、敵を倒しても倒してもどんどん飲み込まれていく。

 次々と味方がいなくなっていく……倒された敵は闇に飲まれて次は敵になっていく……

 それでもあきらめることなく戦い続けていく。

 この世界を救えると信じて。


「マリス―そろそろ起きて準備をしてちょうだい、今日は走るわよー」


 母の声で夢から目を覚ます。目を覚ますと夢の内容をマリスは覚えていなかった。




「うわーーーーすごーーーい!!」


「駄目よあんまり体を起こすと危ないわよ!」


 マリスはウルスの背に巻き付けられている。

 そしてウルスは四つ足で雪原を駆けている。

 雪煙が巻き上がり猛烈な勢いでウルスは走っている。

 熊族の肉体能力は非常に高い、その巨体で力に特化しているように見えて、早さも兼ね備えている。そして体力も人間に比べれば圧倒的だ。

 雪原を縦横無尽に走り回り小動物を狩ることもあるし、時には大型の動物もその手にかける。この雪原は強者なのである。


「……お母さん、なんか、胸がざわざわする……」


「……、確かに、変なにおいが……」


 雪原を駆けていると突然マリスは気分が悪くなった、それはこの状態による酔いではない、非常に悪い胸騒ぎがした。

 そして、ウルスの優れた嗅覚も異変を感じていた。

 そして、その香りが血の香りと気が付いたとき、ウルスの毛が総毛だった。


「マリス、静かに……」


 マリスは口を閉じた。

 はっきりと感じる血の香り、死の匂いがする。

 そして、淀んだ背筋を冷たくさせる嫌な空気が漂ってきたことに気がつく。


「瘴気、ね……」


 ウルスは完全に臨戦態勢に入りながらも、ゆっくりと静かに後退していく。


【グルルルル】


 低い唸り声がした。マリスは口を手で押さえて恐怖で声が出ることを必死に我慢した。


「……魔獣が出たのね……」


 ウルスは確信した。

 隣村の壊滅を、そして、その魔獣がいずれ自分たちの村を襲いに来ることを……

 これだけの瘴気を垂れ流すということは、かなりの魔獣が存在し、穢れてしまっている。

 熊族は獣人の中でも強者、それでも魔獣相手は分が悪い。

 魔獣という存在を討つには単純な攻撃では難しい、瘴気を払う攻撃が有効だ。

 魔法、気、神聖力、精霊力そういった善なる力を持たないといけない。

 獣人は気を使うことに長けていた、しかし、現在気を使える獣人は非常に少数になってしまった。長年続く魔獣との戦い、その過酷な戦いのせいで気を使い戦える獣人がどんどんと倒れてしまったからだった。結果、獣人達は魔獣から逃れるように豊かな地から魔獣さえも近づかないような厳しい土地や、神の加護の強い場所に集まるようになっている。


 そして今、熊族が逃れてきた場所の間近まで魔獣は領域を広げてきている。

 隣に住む狐族たちは、魔獣に呑まれてしまった。


「すぐに知らせないと……」


 ウルスはマリスに見せたことがない表情でその場から素早く立ち去った。

 狩人としてのウルス、戦闘獣人として、熊族としての戦いの動き、マリスは必死に背中に抱き着いて息を殺すしかできなかった……


「隣町が魔獣にやられた! 瘴気も濃い、ここにもすぐ来るわ!」


 無事に村に帰ることができた二人は村に急報を告げた。

 当然村中をひっくり返すほどの騒ぎになった。


「やはりその疫病神が悪いんだ!!」


「関係ないことぐらいわかってるだろ、くだらないことを言ってる暇があるなら何か解決策の一つでも上げな!」


 戦闘モードに入っているウルスの一括にマリスへの非難を告げた若い熊族の男は小さくなる。そして同時にマリスを背中にしょっていたことを思い出して荷運びのための装備を外してマリスを降ろす、しかし、その行動が適切でなかったことにすぐに気が付いた。皆の疎ましい邪魔者にむける冷たい目線に一気にさらされてしまった。

 ウルスはマリスをすぐに背に隠し皆を睨みつける。


「本当にいつから我ら熊族はこんな姑息で偏狭で小心者の集まりになったのか……

 祖先に顔向けできんのかい!? 弱いものをよってたかっていじめて楽しいのかい!?」


「言葉が過ぎるぞウルス!!」


 年老いた熊族の男が口を開く。

 



 




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