第3話 命を賭して

(どういうこと!? でも、確かにオルディアスの気配、魂の匂いが……)


 ミリエスの視界が、魔力で捉えている周囲の状況が歪む。

 冷静に自らを判断すると、その理由はすぐに理解できた。


(力を使い過ぎた……)


 あの空の傷を広げ、中を探るために、彼女が数万年貯めこんできたエネルギーのほとんどを削り取られてしまったんだ。今でこそ土くれとなった人形にも膨大な力を注ぎこんだ。


(いけない、この子、この子が最後のつながり、ここでは、だめ……)


 迷っている時間はない。

 ミリエスは赤子を包み込み、周囲の炎の壁を瞬時に凝縮させ爆発力に変化させ自らの身体を吹き飛ばさせた。残った力は赤子を守るために使用し、なんとかこの死の大陸から逃れるために自分の身体を傷付けてでも空を飛んだ。鳥を模した羽を作り、吹雪の風を利用して距離を稼ぐ。

 わかっている。もう彼女には残された時間がない。


(お願い……お願い……どうか、この子を、人の元に……)


 意識も保てなくなっていく。

 極寒の吹雪の中、この赤子をさらしてしまえば、オルディアスの気配を持つ者は死んでしまう。彼女は、文字通り命をかけて最後の飛行をしている。

 無の大地を抜け、海を渡り、どうにかして人の手に赤子を渡す。

 それが、彼女の存在意義となった。

 彼女は体を限界まで薄く小さくし、赤子を守ることに力を入れた。

 魔力がいきわたらなければ、彼女の身体は崩れていく。

 

(お願い……今度こそ……一緒に……)


 赤子を包み空を飛ぶ彼女の姿は、母のような慈愛に満ちていた。



 北の大地の果て、砂浜で泣く赤子を抱え上げる人影があった。

 赤子は不思議なほのかに温かい布に包まれていたが、その人物が触れるとはらはらと布は消えてしまったという。

 その赤子は小さな十字架のような意匠の金属片以外、何も持っていなかった。




 ――――10年後――――


「マリス、父さんを呼んできて夜ご飯にしましょう」


「わかった!」


 外に出ると太陽は少し傾いている。

 雪の少し残る村の道を少年が小走り走っていく。

 その首元には革ひもで結ばれた十字架が揺れている。

 幼い顔立ちながらもかわいらしい愛嬌にあふれており、太陽に照らされて金色の髪が揺れている。体には少し大きい革製の厚手のコートに身を包んでいる。


「とうさーん!」


「おお、マリスー!」


 浜辺に結べられた船のそばで網の手入れをしていた巨躯の熊、のそりと立ち上がるとその少年のゆうに3倍はあろう。熊型の獣人である。しかし、人間の少年であるマリスを見る目には優しさが溢れている。

 二人は並んで手をつないで歩いていく。父である獣人の背には今日の漁の成果が担がれている。

 村へと続く一本道、常緑樹で挟まれたその間から見える空は白く淡い雲が多く、どこか薄暗さを感じる。二人の吐く息は白く変化し、空気は皮膚に刺さる冷たさを持っている。分厚い毛皮を持つ父はその寒さを物ともしないが、マリスにとっては厳しい寒さだ。これでも最も厳し時期は過ぎており、むしろもうすぐこの土地では夏にあたる時期だが、それでもマリスは分厚いコートを脱ぐことはできない。


「寒くないかマリス?」


「大丈夫! 父ちゃんの手が温かいから!」


「そうかそうか」


「今日も大量だね父ちゃん!」


「ああ、父ちゃんは村一番の漁師だからな!」


「さすが父ちゃん!」


 そんな微笑ましい親子のやり取りを、村の人々はあまり好意的な目で視てはいなかった。皆目線を合わせないように二人を意図的に無視している。


「ちっ、毛無の疫病神が……」


 聞こえないようにつぶやく者もおり、悪意をもっていることを隠そうともしていない。

 もちろん、二人はそんな村人の対応を嫌というほど知っている。

 マリスを連れ帰った10年前のあの日から、ずっとこの通りであるからだ。


 漁師頭だった熊の獣人ヴェアドはその日不思議な光景を見た。

 光り輝く星が、落ちていった。

 船の上からその光を追うと、小さな島の浜辺に赤子がいたのだ。

 不思議な素材の布にくるまれた赤子は元気に泣いていた。

 ヴェアドがそっと触れるとその布はほろほろと消えてしまった。

 暖かい布だったことは印象深い。

 そして、その赤子だけが残された。

 その赤子は自分たちと異なり毛に包まれていない。

 毛無、獣人達の間ではそう蔑称をつけられている種族、ニンゲンの赤子だ。

 ヴェアドと妻は子宝に恵まれなかった。

 つがいは子をなすことが責務であり、子を成せないつがい獣人の形見は狭い。

 長寿で強靭な種族でありながら、どんどん数を減らしている熊族にとっては特に子をなしてこそ責務を果たしたと言える風潮が強い。

 特に、今のこの世界で生き残ることは難しく、寒さに強い特性を生かして北へと逃れ細々と生き残っている彼らにとって、ヴェアドたちの村での立場は良いとは言えなかった。ただヴェアドには漁の才能があったので、なんとか迫害されるには至っていない。

 しかし、そこに人間の赤子を持って帰るという行為が加わると、村の風当たりは一層強くなった。ヴェアドとその妻ウルスは、人間の赤子、海の神マリエルスからいただいたマリスをかわいがった。

 ヴェアドは以前にまして漁に精を出し、村の食料を確保することで家畜の乳をマリスに与え一生懸命に育てた。

 運の悪いことにマリスを拾った年に飢饉が起きて海も荒れたので、マリスは疫病神扱いを受けたが、ヴェアドの決死の働きで村の危機を救うほどの食料確保をしたことで、彼らの子供の命はここまでつなぐことができた……


 10年間、マリスはヴェアドとウルスの愛をたっぷり受けて、すくすくと成長した。

 


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