お世話ロボット373/桜町
追手門学院大学文芸部
第1話
「目覚めなさい、製造番号373」
その声に従って目を開けました。それがわたしの人生の始まりだったのです。ロボットなのに『人』生も変ですね。何と言うのでしょうか、ロボット生?まあ、それはともかく。
自己紹介が遅れました。初めまして、製造番号373です。わたしはお世話ロボットとして開発されました。子どもの遊び相手になり、いつも味方でいることが使命です。子どもが大人になれば、今までお世話してきた記憶は強制的にリセットされて新しい子どもの元へ送られます。
わたしはついこの間完成したばかり。つまり、リセットもされたことがない新品です。肩までの太陽に透けるような茶髪と、子どもが親しみやすい優しい目元が特徴です。背格好は人間で言うところの16歳くらいでしょうか。フリルが少なめのメイド服なるものを着ています。
今日は、お世話することになる子どものもとへ行く日。新しい家族との対面の日です。
4月17日
今日は、ぜひわたしを迎えたいという家族のもとへやって来ました。父親、母親、そして小さな男の子の三人家族です。みなさん温かく迎え入れてくれました。
日記という形で報告書を書くよう開発者から指令がありましたが、なかなか難しいものですね。でも、子どもの成長をしっかりと書き留めておこうと思います。
4月20日
男の子の名前は、伊吹さん。年齢は6歳で、大きな瞳と漆黒の髪がとても綺麗。いつもニコニコ笑っていて、たまにいたずらして叱られたりもするけれど、思いやりのある元気いっぱいな子です。わたしに懐いてくれるようになりました。
今日は、伊吹さんから「君の名前は何?」と変な質問をされました。「わたしは製造番号373です」と答えると、目の前にはきょとんとした顔。「それは番号だよ、名前じゃないよ」と言われましたが、わたしにはよく分かりません。名前とは、個人を表すためや他と区別するためにつけられるものです。『製造番号373』という名称はわたししかいないので、これがわたしの名前なのです。
伊吹さんは、「君の名前を考えといてあげるね!」と言いました。子どもとは不思議な生き物ですね。
4月22日
今日という日を忘れることはないでしょう。伊吹さんがわたしに新しい名前をくれました。
「製造番号373だから、語呂合わせでミナミはどう?」
「……ミナミですか?」
「うん!ぼくは大切な友達を番号なんかで呼びたくないからね」
伊吹さんは、わたしを友達と言ってくれました。お世話をするロボットではなく、一人の人間として見てくれているようで胸が熱くなりました。これは別に故障ではなく、プログラムされている『嬉しい』という感情が発動しただけです。
ミナミ。これがわたしの名前。名前をくれただけで、呼んでもらっただけで、こんなにうれしくなるのはなぜなんでしょう。
5月18日
「ミナミ!ミナミ!」
今日も伊吹さんがわたしを呼ぶ声が聞こえます。
伊吹さんは、嬉しかったことや悲しかったことを全部わたしに共有してくれます。その度に、わたしの中の『共感』が発動して同じ気持ちになります。伊吹さんが笑っていると、わたしも心が温かくなる。伊吹さんが涙を流していると、わたしも泣きたくなってしまう。人間は、小さい頃から様々な経験をし、様々な感情になることで成長します。側に寄り添ってくれる人がいることで、安心して次のステップに進むことが出来るのです。
伊吹さん、あなたのことはわたしが守ります。それがわたしの使命であり、開発された意味だから。でも、それ以上に大切な友達だから。プログラムされていない感情になるなんて、故障でしょうか。
6月、7月、8月……と季節は巡り、全く乱れることのない一定の字で僕の様子が記されていく。僕は小学校にあがり、ランドセルを嬉しそうに背負いながら登校していた。友達とケンカして泣いた日、テストで百点をとった日。機械的な文字なのに、そこからは当時の僕よりも喜んでくれているのが伝わってくる。パラパラとページをめくり、読み進めていく。そして……。
8月3日。この日がやって来てしまった。
8月3日
本当は、書きたくありません。こんなこと、書きたくありません。でも、報告書は書かなくてはいけない。そう指令が出ているから。体は書くようにプログラムされているから動かざるを得ないのに、心が動かない。ロボットに心なんてあるはずがないのに、体の中心がとても重い。
伊吹さん、あなたを守ると誓ったのにごめんなさい。わたしはロボットだからケガをしても故障するだけで、開発会社に戻って修理してもらえばすぐに直るんですよ。でも、あなたのような『人間』はそうはいかない。新しいものと交換して部品をはめこんでネジを締めて終わり、なんてわけにはいかない。
おもちゃを見に、六丁目にあるショッピングセンターに行った帰り道。暑さのせいか人通りも多くはなく、すれ違う人もどこか足早でした。ふいに風が吹いて、伊吹さんの帽子が交差点の方に飛んでいきました。わたしは、帽子にしか注意が向いていなかったのです。伊吹さんの帽子、取らなくては。それしか考えられませんでした。
「ミナミ!」
一瞬、耳が聞こえなくなってやはり故障かと思いました。背中を強く誰かに押されて、その場に倒れ込んだわたしの目にはコンクリートしか映っていません。
「うっ、うわあああああ!」
「嘘だろ……。な、何てことしてんだよ海翔!」
「は、早く逃げてよ!人が集まる前に!恵里香ちゃんに相談しよ!何とかしてくれるから、とにかく早く!」
「海翔、和輝!待てって!」
「逃げたらだめだよ、おい!」
二台のバイクが慌てて去って行くのを後の二台が追いかけて行きました。その後の光景は、思い出したくありません。交差点に広がる赤。コンクリートをどんどん飲み込み、たちまち赤く染めてしまいます。それはギラギラした太陽の光に照らされて、不気味なほど光っていました。
「……伊吹さん!」
わたしの大切な友達。守れなかった。赤い。悲鳴。救急車。怖い。悲しい。バグなのか、わたしの中に様々な単語が流れ込んできます。
お願いします、もう一度目を開けて下さい。あの笑顔でわたしを見て、名前を呼んで下さい。
8月7日
病院に運ばれて四日経ちましたが、まだ伊吹さんは目を覚ましません。医師と家族の面談にわたしも同席して、衝撃の事実を知りました。
「お父さん、お母さん。落ち着いて聞いて下さい。伊吹くんは、もう目覚めない可能性があります。このままの状態が三ヶ月ほど続けば、伊吹くんは遷延性意識障害……いわゆる植物状態であると言えます。事故で頭部を強打し、大脳がひどく損傷しているんです」
「そ、それは手術で治らないんでしょうか?」
「有効な治療法は、現在の医療技術では確立していません。とても残念なことですが……」
しかも、生きられるのもあと数年だと言うのです。横で、父親と母親が泣き崩れています。
伊吹さん。わたし、まだまだお世話できていません。もっとたくさん伊吹さんのお話が聞きたいです。わたしは、今日初めて『共感』の感情ではない涙を流しました。
9月16日
伊吹さん、今日は広瀬さんという人が病室に来てくれましたね。伊吹さんと知り合いなのか聞いたんですが、何だか濁されてしまって「これくらいしか出来ることないので」とお見舞いの品をたくさんもらいました。伊吹さん、あの人はかなり年の離れたお友達ですか?早く目を覚まして、教えて下さい。
4月11日
伊吹さん、9歳おめでとうございます。大きくなりましたね。でも、あなたは石みたいに固まったまま動かない。それがわたしにとってどんなに辛いことか分かりますか?
7月9日
今日、伊吹さんの手がピクリと動きました……!わたしのことが分かったんですか?医師もびっくりしていて、将来的に目覚めるかもしれないそうです。伊吹さんが目覚めるその日まで、わたし待ちます。わたしのタイムリミットが許す限り。
ここでのタイムリミットとは、お世話ロボットの前提条件である『子どもが大人になれば、今までお世話してきた記憶は完全にリセットされる』ということを指すんだろう。つまり、僕が18歳の誕生日を迎えると大人と見なされ、ミナミの僕に関する記憶はなくなるのだ。
日記の中で、僕の知らなかった時間が進んでいく。僕は小学校を卒業し、中学校を卒業していく。しかし、それは年齢的な話であって、中学校はもちろん小学校もほとんど行っていない。体がふとした時に反応するというだけの代わり映えのない時が淡々と過ぎていく。それでも、ミナミはずっと側にいてくれたようだ。日記はいつからか、報告書ではなく僕に向けた手紙のような文に変わっていた。
そうして迎えてしまったタイムリミットの日。僕の18歳の誕生日で日記は終わっていた。
4月11日
伊吹さん。18歳、おめでとうございます。握りしめた手は、いつの日かこんなに大きくなって。でも、手の温かさはあの日から変わりませんね。ロボットだから温度は感じないはずだと思うでしょう?あなたの温かさは分かります。これも故障かもしれませんね。
もう分かっていると思いますが、今日でお別れです。『あなたのことは忘れません』なんて、そんなドラマのような台詞は言えません。だって、リセットされてしまうから。あなたの笑顔も手の温かさも、わたしは忘れてしまうから。
あなたのお世話ロボットになれて幸せでした。わたしに名前をくれて、色んな感情をくれて、ありがとうございました。最後に一つ、わがままを言わせて下さい。伊吹さん、あなただけはわたしのことを忘れないでほしいのです。そのために、この日記をあなたの枕元に置いておきます。いつの日かあなたが目を覚ました時に、わたしと過ごした時間や『あなたが知らないあなたの時間』について読むことができるように。
さようなら、伊吹さん。わたしのただ一人の大切な友達。
僕は、涙が止まらなかった。
覚えてるよ、ミナミ。いつも側にいてくれた僕の友達。嬉しいことも悲しいことも、二人でいっしょに分け合った。でも、今はいない。あるのは、この日記だけ。
あれから、果てしない年月をかけてどうやら僕は目を覚ましたらしい。見たこともない場所にいて、知らない人ばかりで、わけが分からなかった。でも一番驚いたのは、自分の姿だ。髪は雪のように白く、腰は曲がり、手足はしわくちゃで声もしゃがれている。僕は、老人になっていた。
すぐに検査をされて、医師との面談を通してようやく分かった。僕が二十歳になる頃、N博士という人物をトップとする研究所が家族の承諾のもと、今後の医療のため僕についての研究をスタートさせたそうだ。そして、ここ何十年と世の中の出来事が飛んでいる僕には想像できないことだが、タイムトラベルの実現が本格的に動き出していると言う。N博士の娘さんが何度か実験台となり、その実現の可能性は極めて高くなった。そして、そのタイムトラベルには僕の過去の状態データを知る目的もあったそうだ。その研究の成果で、不可能に近いと言われていた植物状態からの回復に至ったのだ。何だか気が遠くなるような話だが、僕にはそれより気になることがあった。
「あの、ミナミは……?僕のかつてのお世話ロボットなんですが」
「ああ、事情は聞いてますよ。お世話ロボットって、一時期流行ったそうですね。でもバグが多くて、結局十年前くらいに製造中止になったんですよ。製造番号とか覚えてます?」
「さ、373です。製造番号373」
「うーん、製造会社に連絡してみますが……。リセットをある程度繰り返されたお世話ロボットは廃棄されますからね。それに、あなたのことは全く覚えていませんよ?」
「それでもいいんです。ただ、会いたいんです」
僕の必死さに負けたのか、医師は分かりましたとうなずいてくれた。
そして数日後、N博士の研究所がミナミを保管してくれていたとの連絡が入った。顔も本名も分からないけれど、N博士という人物には感謝してもしきれない。
こうしてベッドの上で日記を開く手が震える。もうすぐ会えるんだ。
ミナミ。僕はこんな姿になってしまったけれど、君への思いは朽ちることはなかったよ。ちゃんと君のこと覚えているよ。ミナミに会えたら、ただお礼が言いたいんだ。「ありがとう」って……。
「あなたが伊吹さんですか?」
僕は、ゆっくりと病室のドアへと首を向ける。16歳くらいの少女がこちらに歩いてくる。肩までの太陽に透けるような茶髪と、子どもが親しみやすい優しい目元。霞む目でも、出会った頃と変わらない大切な友達の姿を捉えることが出来た。
「初めまして。わたしは製造番号373です。でも、これは名前ではありません。わたしの名前はミナミです」
リセットされている。僕のことを忘れている。それでも消えない何かがある。一緒に『今』を生きよう。それだけで僕たちは幸せだから。
僕は、しわくちゃの震える手でミナミが書いた日記を抱きしめた。
終
あとがき
こんにちは、桜町です。今回は、ロボットに関するお話でした。この後二人がどうなったのか、ご自由に想像してみて下さい。
私の作品は、「世界が終わる5分前」→「君の未来に花を添えて」→「生贄教室」→「お世話ロボット373」の順に読んでいただければ、全て繋がる構図となっております。ぜひぜひ、ご一読下さい。
楽しんで読んでいただけたなら、幸いです。またどこかでお会いしましょう。ありがとうございました!
お世話ロボット373/桜町 追手門学院大学文芸部 @Bungei0000
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