第三十四話 ナチュライル

 俺は目が覚めると『ハゲ親父』の天頂で真っ暗な空を見上げていた。いつの間にか夜になっている。――なんだか、とても長い夢を見ていたような気がする。


 隣には椎名が寝転がっていて、同じように空へ瞳を開いている。


「海斗……くん?」


「おはよう、椎名」


 しばらくぼけっと辺りを見回していると――懐中電灯の光が俺たちを照らした。


「……なんだかここに来ないといけないような気がしたんだが……君たち、大丈夫か?」


 懐中電灯を持った恭一郎先生が心配そうに俺の側で膝を折った。


「恭一郎先生……俺たち、地球を守れたんですかね」


「地球? なんのことだい、それになぜ君は私の名前を知っているんだ?」


 演技ではないだろう。ということは、この恭一郎先生は俺たちと同じ記憶を持っているわけではないということだ。――つまりこの地球は、俺たちが生きてきた地球とは違うものなのか。しかし、俺はこの惑星が馴染み深い地球であることを確信する。


「……椎名、あれ」


 視界の端に見えた切り株の上に、木彫りのアシカが置いてあった。


「あれは……恭一郎先生の……」


「私がなんだって?」


 恭一郎先生は自らが作ったアシカモドキを手に取った。


「……おかしいな、見たことはないはずだが、妙に懐かしい感じがする」


「それはあなたが作った物だ」


 恭一郎先生はあんぐりと口を開けて首を傾げていたが、俺の言葉に嘘はない。


「ふふふ……そっか。私たち、救えたのかな」


 椎名は見慣れた白衣の小汚い男性を見据え、瞳を潤ませながら俺に微笑んだ。


「……なにがあったのかわからんが、とりあえず私の家に来なさい。ここからすぐ近くなんだ……そこで話を聞かせてくれ。どうも私の記憶もおかしい。この木彫りにも覚えがあるし、さっきまでここで誰かの帰りを待っていたような気がしたんだが……」


 恭一郎先生が記憶を掘り返すようにぶつぶつ呟く。俺たちの知っている恭一郎先生ではないのかもしれないが、間違いなく恭一郎先生だ。


 やがて遠くから声がして――俺たち三人は声のする方へと振り返った。……唯香さんだった。


「ああ、妻だよ」


 そう言ったのは恭一郎先生で、温かい微笑を浮かべながら愛する奥さんへ手を振った。彼女も俺たちの知っているパラサイトの唯香さんではないのかもしれない。


 こちらへ駆けてくる唯香さんを眺めながら、俺は周囲の草むらの擦れ合う音を聞いた。しばらく見つめていると、俺は目を疑う。


 ナチュにそっくりな小さな生命体は俺たちに興味があるのか、少しずつ距離を縮めてくる。


「海斗くん、あれ……」


 椎名が俺の服を掴んで揺すった。


「なんだい、君たち『ナチュライル』も知らないのかい」恭一郎先生が解説し始めた。


『ナチュライル』とは、どうやら成人期前期の自然生命体という意味らしい。


 この地球は、他の多宇宙との干渉をやめた。『宇宙樹』との関わりを完全に断ってしまったからだ。その影響できっとこの地球の生態系も変化したのだろう。恭一郎先生は聞いたこともない植物名や生物名を口走った。


 きっとこの地球には『ナチュライル』のような不思議な生命体が、隠れることなく静かに暮らしていている。


 人類の都合によって地球環境を変化させていくのは、自然界全体に大きな影響をもたらす。しかし……それを止めることはもうできない。――だから、小さなことから始めよう。


 俺は森に落ちていたごみを拾った。きっと、なんの足しにもならない。地球を蝕む毒のスピードを抑えられるわけでもない。地球は確実に破滅へ向かっていくだろう。


 しかし……こういう小さなことの積み重ねが、きっと本当の平和に繋がっていくのだ。


 何百年続けても、効果の乏しい小さな活動なのかもしれない。そしてきっと終わりもない。人類は『宇宙樹』の監視下を離れたことで地球をどうにでもできる権利を得た。


 これからの地球がどうなっていくか、俺にはわからない。『宇宙樹』のサポートを失った今、地球はもの凄いスピードで死に向かっているのかもしれない。


 しかし、逆に言えば人類の行動次第でどうにでもなり得るということだ。地球が死に近づこうが、生き続けようが、エゴイストの俺たちは数百億年後の地球のことを考えてあげられるほど賢くはない。


 だからこそ、俺たち人類には大きな使命がある。


 自分らのエゴで『宇宙樹』から地球を奪った。そしてそれに付随して自然界すべての生物たちの命運も託されたのだ。地球上の知的生命体として生物界のトップに君臨する俺たち人類が、地球を守っていかないといけない。すべての生命体みんなを守っていかないといけない。


 そんな風に思える。思っただけだ。俺は絶対にやるなんて言ってない。だから今はとりあえず、今の地球がどんな地球なのか、知ることから始めよう。


「海斗くーん、恭一郎先生が早くおいでって」


「うん、行こう」


 いつかなんの気なしに手に取った本に書いてあった哲学的な言葉を思い返し、俺なりの答えを考えてみた。それはとても単純なもので、なぜ「あるのか」、の問いに対しての完璧な答えだ。回答するのが困難らしいが、俺は簡単に答えられる。異論はできないはずだ。


 すべては『宇宙樹』の一部なのだから。


“なぜ何もないのではなく、何かがあるのか”

“宇宙樹があるから、我々の今があるのだ”

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ナチュライル 織星伊吹 @oriboshiibuki

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