第二十一話 友からの殺意

 久しぶりに学校に行くことにした。毎晩のスパムメールがウザかったからというのもある。

 どうせ家にいてもゲームをして時間を潰すだけだけだ。


 蝉の鳴き声がうるさい青空をバックに、俺は校門に一歩踏み込んだ。

 下駄箱で上履きを取り出す。殆ど新品だった。靴を脱ごうとしたとき、俺の真新しいスクールバッグがぐいと押される。振り返ってみると、美羽が勝ち誇った顔でそこにいた。


 このときの美羽の笑顔を俺は今でも鮮明に覚えている。彼女がいなかったら俺はきっとここに戻って来ることもなかった。


 ……正直、朝から学校に来るのが怖かった。ずっと休んでいたやつが突然来てみんながどう思うかってことも、ナチュの陣のみんなに顔を合わせることも。なにもかも。


 それでも――「あんたなにやってんの?」ってそれだけの言葉に、俺は焚き付けられたんだ。


「なによー、朝から辛気くさい顔しちゃってさ。ってか髪切ってきなさいよー! あ、そうだ。あたしがやってあげよっか。ねえねえ、イケメンにしてあげるよ」


 美羽は嬉しそうに俺の髪を引っ張り、人差し指と中指でハサミを作ってチョキチョキさせる。


「うわ、うるさ。ああ、もういいからあっち行ってて」


「はー!? ちょっとふざけんじゃないわよ! なんであたしが邪険にされんの!」


 いちいち大声でこっちが恥ずかしくなる。俺は美羽を放って、自分のクラスを探す。


「こっちよ」


 美羽は俺の手を引っ張った。少し成長した美羽の柔らかい手のひらに少しどきっとしながら、迷子センターに連れて行かれる子供のような気持ちだった。……それにしてもこんなに優しかったかな、と昔の記憶を掘り返すが、おてんばなイメージしかなかった。いつしか地区センでやったバスケの試合とか本当に酷かったな、そういえば。


「ここ」


 目的地に到着すると美羽はパッと手を離した。視線の先には、椎名と涼介。


「…………」


 美羽は短いスカートの裾を押さえ、ぐっと拳に力を込めた。


 椎名はより女性らしく柔らかそうな印象を増し、クリーム色のベストニットに青と水色のプリーツスカートがよく似合っている。白い脚がとても魅力的だった。胸に関しては……きっと美羽が成長しすぎたのだ。いいもの食ってそうだからな。


 一方涼介は幼い印象を与えていた丸い瞳が凛としていて、眉毛も髪型もしっかりキメている。どこからどうみても正真正銘のイケメンだった。明るく楽しい学校生活を送れているようで、俺は心底嬉しかった。


 なにを喋ったらいいのかと悩む俺の隣で、美羽の短いスカートが揺れた。


「よう。美羽なんだよ」


 涼介がすっかり低くなった声で目前に立った美羽に声をかける。


「ほ、ほら……これ、海斗だよ。なんかすっごい久しぶりじゃない?」


 美羽は所々言葉を詰まらせながら、俯く俺を商品説明するように紹介してくれた。


「髪とか伸びてキモオタみたいになっちゃったけど、中身はあんまり変わってないのよ、きっと髪とかもっと短くすれば昔の海斗みたいに……」


 ……なんでみんなやたら髪のこと言うかな。


「なんのつもりだよ」


「え? なんのつもりって……?」


「今更こいつを俺の前に連れてきて、お前はなにがしてーんだよ」


「そ、それは……む、昔みたいに……あのっ」


「また殺人団体作るって? で、また誰か殺すのか、俺のお袋が死んだときみてーに」


「ちょっと……涼介くんっ」


 横にいた椎名が涼介の肩を軽く揺する。


「勘弁だわ、こりごりなんだよ俺はもう。あんなもんに関わったら次々に人が死んでくぜ。お前もさっさと昔なんか忘れて毎日を生きろよ。命が惜しかったらな」


「…………」


「話はそれだけか? だったら俺はもう教室戻るぜ」


 美羽は大粒の涙を溜めて微動だにしない。ついには目の縁からつうっと線が流れた。俺は、ナチュの陣を愛してくれた、俺を変えようとしてくれた美羽の想いを蔑ろにはできなかった。


「りょ、涼介……ひ、久しぶりだなっ」


 俺は声を震わせながら親友に三年ぶりに声をかけた。


「……喋れたんだな、お前。あんまり黙ってるからマネキン人形かと思っちまったよ」


「げ、元気……? お、俺は、ほどよくぼちぼちと――」


「聞いてねーよお前の事情なんて。家で食っちゃ寝してるだけじゃねーのかよ」


「いや、まあ……そうなんだけどさ……ははっ」


 正論過ぎてなにも言えない。もう情けなさ過ぎて、自分に反吐が出る。胃が痛くなる。


「行くわ……じゃあな美羽」


「ま、待ってくれ!」


 俺は自分が出せる最大音量をひねり出す。


「あ? なんだよ、しつけーな」


「涼介、本当に……悪かった。ごめん。全部俺のせいだ。いくら謝っても許してはもらえないだろうけど、言わせてくれ。この三年間、一秒たりとも忘れたことはない。……お前のお母さんを殺してしまったのは俺の責任だ。だからこれだけは言わせてほしいんだ……ごめん」


 俺はその場で深く土下座をして、額を廊下にくっつけた。


「…………顔、上げろ」


 頭上で、まだ聞き慣れない涼介の低い声がした。


「いや、俺の気が済まない。もう少しこうさせてくれ」


 涼介は俺の肩を無理矢理起こした。至近距離で涼介と目が合い、凜々しい顔と対面。


 しばらく沈黙したかと思うと、涼介は息を吸い込んで、思いっきり――、


 俺を殴った。


「……次もういっぺん謝ってみろ。次はぶっ殺すぞ」


 ここまで痛い右ストレートを喰らったのは生まれて初めてだった。俺は階段の踊り場まで吹っ飛ばされて、床に寝そべりながら上半身だけ起こすと、去って行く涼介の背中を見送った。


「海斗! 大丈夫!?」


 美羽が泣き目で俺に駆け寄ってくると瞼を拭って笑った。


「……ふふ、でもよかった」


「は? なにがだよ、俺が殴られたことがそんなに嬉しいの? いてて……」


「うん、嬉しいよ。あたしはそれでも嬉しいのっ」


 美羽は瞳を滲ませながら笑みを零した。


「でも……次は殺すって言ってたよ。あいつも不良になっちゃったなあ。めっちゃビビった」


「どっちかって言うと不良はあんたでしょーが。学校来ないし。それに、今のは殴られてもしょうがない。あたしでも殴ってる」


「はあ? なんで!」


「それがわからないうちは海斗もナチュの陣のリーダーに復帰できないわね~」


 俺は美羽の手を借りて立ち上がると、こっちを見ていた椎名と目が合った。

 最高にかっこ悪いシーンを見られてしまった。もう俺は恥ずかしさで卒倒しそうだった。


「海斗くんっ……大丈夫? ほっぺ痛くない?」


 椎名が俺たちの元に駆け寄ってくる。心配そうな表情でじんじんする頬を撫でてくれた。


「……っ大丈夫だよ、こんくらいへーきへーき」


 俺は突然のご褒美に慌てふためいて、椎名から離れてしまった。少しもったいなかった。


「はあ、よかったぁ……」


 椎名は胸を押さえて溜息をついてから、ほっとしたように笑った。


 椎名の笑顔を見ただけで、俺の頬の痛みは引いていった。とんでもない治癒効力である。


 俺たちを引き裂くようにHRを知らせるチャイムが鳴った。


「あっ、大変! もうHR始まっちゃう! 二人とも後でねっ! ぜ、絶対だよ! 先に帰らないでねっ! お話ししたいこといっぱいあるんだから!」


 椎名はあたふたしながら小さく手を振って、足早に自分の教室に駆けていった。

 俺たち二人は椎名を見送ると、美羽がゲスい顔で近寄ってくる。


「ふふ、どーよ。可愛いでしょうウチの椎名ちゃん。あんたなんかにあげないわよ」


「……正直可愛い。俺の存在とかどーでもよくなってくるくらい可愛い」


「あれ、意外な反応。もっと誤魔化すと思ってたのに」


「お前はもう知ってんだろ……それに、椎名は涼介の彼女なんだろ」


 美羽は苦笑いをして、俺の背中を押した。


「とりあえず保険室行っとこ、連れてってあげるから」


「やけに優しいんだな、いいよ別に。この痛みは……今の俺に必要な気がするから。夢から冷めた気がする……あいつのおかげかな」


 俺は色が変わり始めている頬を撫でると、嬉しくなって笑った。


「くっさ! なに今の台詞、気持ち悪っ! 引くわー、超引くわっー」


「てゆーかなんだよお前のその喋りかた。気持ち悪いのはそっちじゃん」


「中学生なんてみんなこんなもんよ。ほら、さっさと保健室行くわよ。あんたのせいで授業に遅れたらそのときは……うーん。カラオケ奢ってもらうからね」


「お前……確か家にカラオケルームあるだろ」


「いいのよ、こーいうのは友達に奢ってもらうからいいの! あっ、そもそもあんたが友達なのかも怪しいわ、なにかしら、なんなのかしら」


 うーんと唸る美羽を見て、俺は吹き出した。


「美羽…………色々、ありがとな」


「な、なによっ! 気持ち悪い! ばーかばーか! バカイト!」


 美羽は真っ赤な顔でぷりぷり文句を言った。

 いつもみんなのことを思ってくれている美羽の純粋な優しい心が俺は心地よかった。

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