第二十二話 ユグドラシルの種
授業中、俺はあくびをしながら窓から見える大空を眺めていた。
淀みない青い背景の下には緑が生い茂っていて、俺は流星群をみんなで見に行ったことを思い出した。あの夏の夜は忘れようにも忘れられない。ぼーっとしていると、頭に鞄が乗った。
「こら海斗、あんた空しか見てなかったでしょ。ちゃんと授業聞きなさいよっ」
「……だって全然わかんなかったし。……つーか、見てたの? 俺のこと好きなの?」
「はあー!? あんたそろそろ殺すわよ! どの口が言ってんのよ! このキモオタ! あたしに好かれたかったらまずルックスをよくしなさい! ああダメだわ、顔がよくても身長が足りてない。一七九以上はないと……」
「高望みしすぎ……もっと現実見なよ」
そんなやつ滅多にいるか。俺は失笑した。
帰りのHRが終わると、隣のクラスの椎名と合流した。しかし涼介の姿はなかった。
「ちっ……あいつ逃げたわね」
「凉介君、絶対行かないって言ってた。声かけたんだけど、帰っちゃった……ごめんね」
「椎名が……謝ることじゃないだろう。どっちかっていうと――」
俺が――と言おうとしたところで、ぴしゃりと美羽に止められる。
「さっきも言ったけど、それやめてくれる? 正直ウザいんだけど」
「なんで」
「卑屈が顔に滲み出てんのよ。なんでもかでも自分のせいにすれば気が楽とか思ってんでしょ、どーせ。それすぐにやめなさい。ほんとぶん殴るわよ。……あんたはっ」
美羽は鋭い瞳で俺を睨んでから、なにかを言いかけて言葉を濁した。
「……悪かったよ」
「ほら、次は空を迎えに行くわよ。部活かもしんないけど」
美羽は早歩きで進んで行った。
「美羽ちゃんは……すごいなあ」
それを見ていた椎名が、俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう言った。手に持つ鞄にぎゅっと力を込めている。
「椎名?」
「や、あのっ……なんでもないから……早くいこ?」
椎名は慌てて表情を作って、美羽の横に並んだ。
俺は心の中にぽっかり空いたなにかを取り戻せるような気がして、二人の背中を追った。
* * *
空は近々行われるライブのため、軽音部で絶賛練習中だった。美羽は「そんなのいいからさっさとあいつを出しなさい!」となにも知らない男子を脅し立てた。
「しょーがないわね、あいつにはメール打っとくわ。……結構メールするのよ、空とは」
美羽はやたらチカチカしたデコレーションのケータイでキーを連打した。
「これでオッケー。多分部活終わったら来ると思う」
「お前、空とそんなに仲よかったっけ」
「あー……まあ、あいつとはね、ちょっと色々あって。相談乗ったりしてしてんのよ」
美羽はなにかを隠すように視線を流した。幼少期よりずっと大人な顔だった。
「てゆーか椎名、あんたも涼介にメールか電話でもしときなさいよ」
「でも、さっき来ないって言ってたよ?」
「あいつが素直に来るわけないでしょ。エロいメールでおびき出すからケータイ貸しなさい」
「えっ……や、なあにそれ、やだよ私っ、そんなこと!」
「そういや……椎名は……涼介と付き合ってるんだっけ」突発的に口走る。
言わなければよかったと、すぐに後悔した。椎名は大きな目を見開いて驚いた表情を見せた。
「いや……美羽から、この前聞いたからさ」
美羽は椎名から手を離すと、苦い表情で俺たち二人を見て黙った。
「…………う、うん……一応……そうなるね……」
「そ、そっか……」
涼介には結局椎名からメールが打たれ、俺たちは恭一郎先生の家へと向かうことにした。
* * *
「こんなにキツかったかしら、この山……あっつう」
先頭を歩く美羽が、額の汗を拭う。
「……運動不足なんじゃない、まあ俺もだけどさ」
俺がすぐ後ろでスカート揺らす美羽に言った。とても短いひらひらが、蒸し暑さと共に俺の邪な気持ちを高揚とさせる。内緒だがチラッと淡い色の布地を見た。墓場まで持っていこう。
「そんなことないわよ! ちゃんとしたインストラクターとあたし家で運動してんのよ! 見なさいよこの筋肉っ、かっちかちよ」
後に流行する台詞と共に、白い肌を俺に見せつけた。
「別にかちかちには見えないけど」
「じゃあ触ってみなさいよ、ほら」
「い、いや……別に……いいよ」
俺は断ってからどんどん前を歩いた。
「もー、急にペース上げてなんなのよ~、女子にもっと気を遣いなさいよね!」
「全然元気じゃん。大丈夫だよ、それなら」
「あんたが学校来るようになったのあたしのおかげでしょ! もっと敬ったらどうなの」
美羽が元気に声を上げる一方で、後ろについて歩く椎名は俺と美羽の会話を聞くだけであまり会話に参加しなかった。少し曇った表情をしているのが俺は気がかりだった。
恭一郎先生の家に到着すると、少し白髪が増えた先生が出迎えてくれた。
俺たちはリビングに通されて、懐かしい恭一郎先生宅の匂いを肺にいっぱい入れた。
「わあ……懐かしいなあ」
椎名が目をきらきらさせて部屋中を見回した。
ソファと曇ったガラステーブル。散らばった書類の中には俺たちが遊んだ面影が残っていた。
「君たち三人だけかい? 涼介くんと空くんは?」
恭一郎先生が氷の音がするグラスをガラステーブルに置き、変わらない口調で言った。
「もうちょっとしたら来る」と美羽はソファに腰を下ろす。
「そうか……唯香くんもすぐ到着する。それまでゆっくりしてなさい」
恭一郎先生は対面のソファに座り、じーっと俺たちを見つめた。
「……子供というのは本当にすぐに大人になってしまうんだな。こんなに大きくなって……」
「そんなに……大きくなってますか?」
俺が約三年ぶりに恭一郎先生と対話する。
「ああ、なってるよ。君たちが思っているより、ずっとね」
恭一郎先生がしみじみ言った。
子供と大人の時間の感じかたには違いがあると言うが、恭一郎先生の顔を見ていると、本当にそんな気がした。先生は白髪が少し増えた程度で、顔や体型が変わっているわけではない。
「あたしはたまに恭一郎先生とメールしたり会ったりしてるけど、二人は久しぶりよね」
「あっ、挨拶が遅れました、お久しぶりです。恭一郎先生。海斗です」
俺はできる限り背伸びをした挨拶をすると、それに続いて椎名もぺこりと下げた。
「また来てくれて嬉しいよ」
恭一郎先生は照れ笑いを浮かべ禁煙パイポを噛んだ。
「海斗って昔から変なところで真面目だったわねー、いつもぼーっとしてんのに」
「美羽ちゃんってば、ふふ」同調するように椎名も小さく笑う。
昔の自分の行動を思い返していると――廊下へと続くリビングの扉が乱暴に開いた。
「あら、早かったのね、空」
「……いや、練習は切り上げてきた」
まるでこっちのほうが大切だから、と言わんばかりの息の切らし方で歩いてくる。長いまつげの中性的な男子と目が合った。黒髪は俺よりも長いが、綺麗に手入れされているため美しくすらある。重そうなギターケースを背負ってブレザーをきっちりと着こなしている。空はだいぶ大人しい方向へと成長したようだ。荷物を置くと、空は恭一郎先生の隣に腰を下ろした。
「…………元気?」
多くは語らず、空は俺に目線を合わせて一言だけそう言った。
「まあ、うん」
「……そうか」
空は表情は変えなかったが、少し満足しているようにも見えた。
“あの日”空はあの場所にいなかった。涼介が母親を亡くしてしまった場面も、地獄のような光景も彼は見てない。もし俺が空なら、きっと怒鳴り散らす。自分の知らないところで謎の怪奇事件が発生し、居心地のよかったグループがほぼ自然消滅していたのだから。
それなのに空はなにも言わない。それどころか、こうしてまた集まれることを心待ちにしていた顔で、俺たちを眺めている。
「空、わる――」
俺は言おうとした口を自ら押さえた。
「なに?」
首をかしげる空だったが、美羽や涼介に怒られた意味がわかった気がして、言うのをやめた。
「いや、なんでもないよ。久しぶりだね空」
「ふっ、変わってないなその顔」
空は懐かしむように笑みを返してきた。
「さて、あとは……涼介くんと唯香くんだけか……」
「恭一郎先生……そもそもなんで俺たち呼ばれたんです?」
質問したのは俺だ。再開パーティーにしては、場の空気が異質だ。俺は心の奥で少し思うところがあった。
「みんなが集まったら話すよ。それまで待っていてくれ」
俺は隣の美羽に視線を送るが、彼女は瞼を閉じ首を横に振った。
それから二時間、逢魔が時に空が染まる頃、涼介と唯香さんがやって来た。
「よし、みんな揃ったようだね」
恭一郎先生は両手を叩きそう言ったが、表情は愉快なものではなかった。
「海斗くん、涼介くん、そのテーブルちょっと退かしてもらえるかな」
なぜわざわざ俺と涼介を指名したのかはわからないが、俺はガラステーブルの端を持ち上げると、反対側で無言の涼介が持ち上げてくれた。息がぴったりだったのが少しだけ嬉しかった。
「わあ、なんだろう……これ」
椎名がガラステーブルを退けた床に金属の扉を発見した。
それを指でなぞる。中学生になっても椎名の好奇心は変わらないらしい。
「地下室だ」
恭一郎先生は白衣のポケットから鍵を取り出すと施錠された金属の扉を解錠し、重そうな扉を持ち上げた。恭一郎先生が懐中電灯を手に中へ入っていく。
「ちょっとなにこれ……凄いじゃない!」
美羽がまるでRPGの洞窟のような光景を前に声を上げる。
俺も胸が高鳴っていた。横で澄まし顔の涼介を見やると、すぐにキツい視線が飛んできた。
「なんだよ」
「いや……よく来てくれたな、涼介」
「別にお前に感謝される義理はない。椎名に言われたから来たんだ」
それでも俺は嬉しかった。
中は肌寒く、霧でも出れば本格的なダンジョンのようだった。
地上から地下へ、設置されている鉄の梯子で下って行く。途中何気なしに見上げてみると、椎名の柔らかそうな薄布が迫ってきていた。俺は心で悲鳴をあげて、すぐに視線を反らした。
「あんたまさかパンツ見たりしてんじゃないでしょうね! 顔上げたらマジぶっ殺すわよ!」
「……あ? 誰がてめーの汚いパンツなんか見るかよ」
「はあ!? ふざけんじゃないわよ! めっちゃ綺麗だし! なんならちょっと見なさいよ」
「どっちだよ……勝手にやってろ、ばーか」
俺と椎名の上で美羽と涼介が言い合いを始めた。その光景に俺は少し笑った。
椎名は上で美羽がそう叫ぶのを聞くと、さっとお尻を手で隠す素振りをしたが、全然見えている。そしてその仕草は俺を余計に変な気持ちにさせるのだった。
全員が梯子を降りると、椎名が恥ずかしそうにスカートを抑え、やたら俺に視線を向けてくるのを感じた。このときばかりは申しわけありませんと心の中で何度か謝った。
踊り場のような場所を抜け細い道を進むと、大きく開けた場所に出た。天井まで高さ六メートルくらいはある。広さは学校のプールくらいだ。
恭一郎先生が明かりを点灯させる――視界に映ったものに、俺は目を疑った。
「……ナチュ」
高さ五メートルほどの太い鉄格子に入れられた、“あの日”のままのナチュがそこにいた。
「……っ! おいどういうことだ、なんでこいつがまだ生きてる。殺せって言ったろうが」
涼介が表情を怒らせて恭一郎先生に突っかかった。
「涼介くん、落ち着け。ナチュは特殊な睡眠薬で眠っている。襲いかかったりはしない」
「落ち着いてられるか! そいつがかーちゃんを殺したんだっ、お前らも見てただろう!? あの変な力のおかげでかーちゃんは……」
涼介は感傷的な瞳を俺たちに向ける。
「涼介くん。辛いのはわかる。だが――これから話すことは君たちには絶対に伝えなくてはいけないことだ。それにナチュは我々人類……いや、地球全土の運命を左右する存在なんだ」
恭一郎先生は涼介に臆することなく淡々と話を進めた。
「……わけわかんねーこと抜かしやがって!」
涼介の怒りが爆発したとき、彼の体を唯香さんが優しく包み込んだ。
「ごめんなさい……涼介くん。本当に」
「……唯香ちゃん」涼介は呆然とした表情で固まる。
「これから君たちに話すことは世間には公表しない。君たちも口外しないと誓ってくれ」
「恭一郎先生せんせ……?」
「唯香くん」
恭一郎先生が唯香さんを呼ぶと、彼女は胸に手を当てて、――発光した。
黄緑色の眩さに俺は目を細める。唯香さんの頭から見覚えのある不思議な植物が伸びた。
「……私は……ナチュと同じ生命体……『ユグドラシルの種』です」
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