第二十話 久しぶりの来客

 あの事件から三年。涼介の母が亡くなった怪奇事件は謎のまま未解決となり、世間の興味もだいぶ薄れてきた。どんなに奇怪な出来事が起きようと数年経てば過去の産物になる。しつこく真実を追うのは変な科学者と警察くらいだ。世の中はそうやって巡っている。


 俺は中学三年生、十四歳になっていた。


 親は俺が学校に行って真っ当な人間に戻ることを強く望んでいるが、俺はその両親の思いを踏みにじっている。今でも母親が家の隅で泣いているところを見ることがあるが、それでも、俺は自分のしてしまったことが許せない。あいつらに合わせる顔なんてない。


 俺は気が向いたときにしか学校には行かなかった。出席日数とやらがあるらしく、このままではまともな高校に行けないと名前も知らない担任が告げて言ったのがつい先週のことだ。


 毎日がだらだらと浪費されていく。俺は一体なんのために生きているのかわからなくなっていた。すべてを投げ出した俺に、一体どんな因果応報が待っているのか。


 来客を知らせるインターホンが鳴る。それは、久しぶりの俺への訪問客だった――。


「……よっ」


「…………なに」


 俺が寝巻きのまま玄関まで出向くと、そこにはスクールバッグをかついだ黄桜美羽が立っていた。胸が著しく成長しているのがピンクのブラウスの上からでもよくわかる。少し髪が伸び、細い手首にはカラフルなシュシュをアクセサリー代わりに付けている。今の流行らしい。


「うわ、暗っ……あんた少しは髪切ったら? すっごいキモい」


「うるさいな。そんなこと言いに来たのか」


 美羽は俺の声にびくんと体を硬直させ、やがて拳を作って言った。


「学校…………来なさいよ」


「行かない」


 即答する俺。クズの鏡である。


「……あんたなにやってんの? なんでそんな風になっちゃったの!? もうみんな普通に登校してんのよ? 涼介だって……!! なのになんであんただけいつまでもウジウジやってんの!? いい加減にしなさいよ! あたしたちのリーダーなんでしょ!?」


 美羽の言葉に俺は微かに眉を動かす。美羽は屈することなく追撃してきた。


「同じクラスだからしょうがなく来てやってるけどさ、今のあんた超ダサいよ。もう超キモい引きこもりオタク男って感じ。椎名も見たら絶対引くと思うもん」


 俺が今最も聞きたくない言葉をもう一つ言いやがった。ぶつけどころのない怒りを溜めた俺は美羽に近づいて、凄みを効かせ静かに告げる。


「帰れ」


「…………涼介、椎名と付き合ってるよ」


 美羽は震えた声で涙をぽろぽろと零し、俺から貞操を守るように胸元に手を置きながら、


「あんた……椎名のこと好きなんじゃないの? ほんと、死んじゃえば?」


 美羽は涙声だが強い口調で俺に立ち向かってくる。きっとこの涙は――ナチュの陣に向けてのものだ。自然解散したメンバーのことをこの三年間一番想ってくれていたのは彼女だった。この数年俺の家を訪れてきてくれるのも美羽だけだった。


 ――だが、このときの俺は、そんな彼女の期待に応えることが、まだできなかった。


「あと……これは伝言。恭一郎せんせがナチュの陣みんなでもう一回家に来てくれって……リーダーが来ないとなにも始まんないよ」


「…………」


「ケータイは?」


「は?」


「ケータイ持ってないのかって聞いてんのよ!」


 美羽は俺の懐をまさぐり、携帯電話を奪い取ると、高速でキーを打ち込んだ。


「あたしのメアドと番号入れといたから。なにかあったらすぐ連絡しなさいよね」


「別に頼んでないんだけど」


「感謝しなさいよ、こんな美少女があんたみたいなキモオタ野郎にケータイ教えたのよ?」


 美羽がフンっと顔を背けた。その動作が無性に懐かしくて、俺は少し鼻で笑った。


「……ぁ、なんだ笑えんじゃん。ふふ、あんたはそのほうが絶対似合ってる。しかめっ面なんかさっさとやめちゃいなさいよ、うっざい。ナチュの陣のリーダーなんでしょ? ほら、しっかりしなさいよ、海斗っ」


 美羽はさっきの涙なんて嘘みたいにからっと笑い、俺の肩を散々叩いてから授業のノートを置いて家を出て行った。俺は友達思いのいいやつだと美羽に感謝した。


 その夜――スパムメールのように受信し続ける美羽のEメールが俺を悩ませる新たな種となるのは言うまでもない。着信拒否にしたらどんな顔をするか、俺は少し愉快な気持ちになった。


 * * *


 翌日、俺は裏山に来ていた。昨日の美羽に感化されたせいかもしれない。

 七月の空が久しぶりに表に出る俺の皮膚を叱咤するように焼いた。

 樹木に巻き付けられた螺旋階段を上りながら、軋む音に一々懐かしさを感じる。


 思い出でがいっぱいの秘密基地の扉を開けると、そこには一人の女性。


「……海斗くん。なんとなく来る気がしてたんです」


「…………唯香さん」


 ちゃぶ台に肘を乗せて、こちらを見つめてくるのは橙永唯香さんだった。こうして顔を合わせるのは実に三年ぶりで、俺はどんな顔をしたらいいのかわからなかった。


「久しぶりですね。元気ですか?」


「……まあ、そこそこです」


 俺は首を掻くふりをしながらどう逃げだそうか考えていた。


「ふふふ、ちょっとだけお話ししましょうよ……ほら、そこ座ってください」


 唯香さんは俺の使っていた座布団を勧める。


「いや……俺は」


「あ~、お姉さんの言うこと聞けないんですか? 言うこと聞かないと悪戯しちゃいますよ」


 唯香さんは純白のノースリーブを着こなし、艶やかなボディラインをより強調させている。万年発情期中学生である俺を存分に魅了する。


「ていうかなんでこんなところに……教えた覚えないんですけど」


「それにしても海斗くん大きくなりましたね……ふふ、髪の毛も伸びました」


「そこは……放っておいてください」


「また会えて嬉しいです。美羽ちゃんに教えてもらったんです。近頃来るかもしれないって」


 俺は美羽の手のひらで踊らされていたらしい。ペテンの才能があるのかもな。


「私……ずっと謝りたかったんです」


「謝る? なにをです」


「あなたたちが今のような関係になってしまったこと。私はそれを未然に防ぐことがきっとできたんです。でも、しなかった。それは……あなたたちに必要なことだと思ったからです。あなたたちの辿る運命を……私は尊重したかったんです」


「あの……言っている意味が全然わからないんですけど」


「とにかくごめんなさい。詳しいことは明日先生のお家で話しましょう」


「……俺は行くとは一言も」


「来てくださいね? みんな待ってますよ」


 唯香さんは俺の言葉に聞くを耳持たずにっこり微笑んで、秘密基地から出て行った。

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