第十八話 ナチュの不思議な能力
夏休みは未だ八月中盤、親の都合でお盆を後ろ倒しにされた俺とは対照的にみんなはお盆休みを満喫しているらしい。
大きくなってしまったナチュは家に隠すことが難しくなったので、、恭一郎先生の家で預かってもらうことになった。恭一郎先生はしきりに喜んでいたが、とても不安である。ある日訪ねたら中身を全部取り出されていたなんてことはないだろうか。
億劫な気持ちのまま俺は自室の机に向かった。夏休みの宿題。結局殆ど手をつけていない。本棚に常備されている麻薬同然の娯楽に手を伸ばしたり、宿題のドリルを開いたり閉じたりしていると、算数の宿題はナチュの願いで終わっていることを思い出した。
「ん……?」
俺は算数ドリルに記入された黒い数字をじっと睨む。
――試しに自分の力で計算してみる。……やっぱり答えは間違っていた。
「なんだよ、ナチュめ……どうせなら完璧な答えにしてよ……やり直しかあ~」
――翌日、暇でしかたなかった俺は一人で恭一郎先生の家へお邪魔していた。
唯香さんはお盆中だというのに大学に行っているらしく、いなかった。
すっかりお馴染みの居心地いいリビングに通されると、冷房がガンガンに効いたソファの上でナチュが一人遊びをしていた。それまで毎日一緒に居たせいか、とても久しぶりに再会したような気がして、ナチュも俺を見つけると喜んで飛びかかってきた。
「みゅう! みゅう!」
「ひさしぶりだなー、ナチュ~」
ナチュの不思議な感触の躰に顔を埋める。ナチュも犬のように舐め返してきた。
「君たちがいないとやっぱり寂しいみたいでね、しきりに部屋の中を探し回っていたよ」
恭一郎先生はお盆にサイダーとスナック菓子を乗せリビングにやって来た。
「それで今日はどうしたんだい? 海斗くんはお盆はどこにも出かけないのかい?」
「はは……実は、今日来たのは、ナチュのことで思っていることがあって……」
「ほう……実は私もあれから色々と調べていたんだ……早速聞かせてくれないか」
「ナチュに宿題をしてもらったってこと言いましたよね、昨日そのドリルを見てたら答えがまちがってたんです。それもおれがよくやっちゃうような計算ミスだったんです」
俺は鞄から算数のドリルを取り出しテーブルの上に広げた。ページ上には当時苦手だった帯分数の計算がなされていた。俺が間違えていたのは帯分数の掛け算で、そのまま計算すればいのに、俺は分母を通分してしまうクセがあった。
「ではこの数字は君が書いたのではなく、ナチュへお願いしたことで書かれた数字なんだね」
「そうです、おれの書いた数字じゃないです。たぶん。ほら」
俺は昨日書き直した部分を指差す。そこには汚く書き殴った数字が並んでいる。ナチュの願いによって答えられた部分は俺の字にかなり似ているが、比較すると違いがわかる。
「う~む……」
恭一郎先生は頭をぼりぼりと掻きむしり、禁煙パイポを上下に揺らす。
「おれ思ったんです。ナチュは願いを叶えてくれるランプの魔神じゃなくて、願いを叶えようとする人の頭の中を覗いてて、それを叶えてくれてるんじゃないかなって。だからおれのよくまちがえるイメージをそのまま叶えてくれたんじゃないかな。算数苦手だし」
「……ふむ。私も周囲にあまり影響が出ない範囲で簡単なものから複雑なものまでいくつかお願いしてみたんだが、ウンともスンともしなかったんだよ」
恭一郎先生は顎の無精髭を撫でて、俺の膝で首を巻いて甘えるナチュを一瞥する。
「この件はもう少し慎重に調べる必要があると思っている。……あの日の発光現象を目の当たりにしてから少し胸騒ぎを感じる……海斗くん、みんなには内緒にしておいてくれないか」
「……アイスが食べたいですね」
「君は従順そうに見えてなかなか抜け目ない子だね。よし、買ってこようじゃないか」
「やった!」
俺はナチュの柔らかいヒレでバンザイのポーズを取った。
* * *
――八月も終盤。俺たちは人でごった返す駅前のショッピングモールにやって来ていた。
空が参加する小学生軽音バンド大会なるイベントがこのショッピングモールで開催される。
「二時から広場のステージだって……! 空くんすごいね、海斗くんっ」
椎名の無垢な笑顔に俺の中の薄汚い嫉妬心は綺麗さっぱり浄化される。
慣れないショッピングモールを六人で右往左往。ナチュを留守番させるわけにもいかないのでしっかりと連れてきてはいるが、ちょっと無理がある気もする。
「なによこれ! なんでこうなるのよ」
最初にツッコミを入れたのは予想通り美羽だった。
ナチュには酷だが長袖と長ズボンで厚着をさせて人間っぽくカモフラージュ。色々と苦しいが、これが精一杯だ。恭一郎先生が徹夜で考えたらしい。半分くらい寝ながら考えたんだろう。
ナチュはフードで顔を隠しながらもぞもぞ体を動かしている。なんとなく五、六歳の子供に見えなくもない。恭一郎先生がそんな変装したナチュを抱っこしながら言う。
「大丈夫だとも、言うほど注目もされていない」
「いえ先生、けっこう視線集まってますっ!」
唯香さんが怪しげな視線を向けてくる民衆との間に入り、ぺこぺこ頭を下げる。そのたび揺れる胸に男性たちの視線は釘付けだ。もちろん俺もその一人だった。
「そんなことよか早く昼メシにしようぜー! おれ腹へっちゃったよー」
涼介が向かうのは自分の母親が働くそば屋だ。安く食事ができる。恭一郎先生のおごりで。
三階まで開けたホールのような遊歩道にはよりどりみどりの店が立ち並んでいる。
「さっさと昼メシ食ってこの中探検しようぜ」
涼介はにししと、そば屋の暖簾を潜った。
涼介はいつまでもその笑顔を絶やさないんだろうな、と俺は思った。
他人任せでテキトーなところもあるが、そこは俺がカバーしてあげればいい。足りない部分を補い合えるのが親友だと、そう思っていた。代わりに涼介は一歩前に踏み込めない俺の背中を押してくれる。そういえば椎名に告白する決意を後押ししてくれたのも涼介だった。
思えば小さいときからいつも一緒だ。だからあまり深く考えもしなかった。俺たちは唯一無二の親友で、大人になっても一緒にいるものだと思っていた。
「かーちゃんー」
客であることを忘れた涼介が、帰宅感覚で店へ入る。
「涼介来たのね。あら、みんなも先生もいらっしゃい」
涼介の母親はとても若く、唯香さんの友達と言われれば信てしまうほどだ。息子である涼介もそのDNAをしっかり受け継ぎ、容姿端麗で小学生のくせに洒落た雰囲気を併せ持っている。
「かーちゃん、おれここで一番うまいやつがいいな」
「もう、この子は」
涼介のお母さんはぽんと息子の頭を軽く叩いて微笑んだ。
緑谷家はとても仲睦まじく、昔から見ていて温かい気持ちになる。
「こんにちは、涼介のお母さん」
「あら、海斗髪の毛切った? カッコイイじゃーん」
俺と涼介両親は親ぐるみで仲がいい。その縁があったおかげで俺たちは親友になったのだ。
恭一郎先生と唯香さんが頭を下げた。抱いているナチュをこれは人形です! と不自然に強調している恭一郎先生が可笑しくて俺たちは腹を抱えて笑っていた。
座敷に通され、テーブルにつくと涼介のお母さんは冷たいお茶を入れてくれた。
「ちょっと、あんたのお母さんすっごいかわいいじゃない! お姉ちゃんなんじゃないの」
「んなわけあるか、かーちゃんはかーちゃんだ」
俺たちは注文したものを十分もしない間につるりとすべて平らげ、談笑してから店を出る。
「さーて時間までどうすっか……おい海斗、なにするよ」
涼介は俺に意見を求めた。
いつも通りの何気ない会話。笑顔に満ちあふれた楽しい夏休み――のはずだった。
すぐ近くで大きな悲鳴が響いた。
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