第十七話 ノスタルジーな帰路

 薄地のテントはライトグリーンに眩しい。どうやら朝がやってきたらしい。


「お、海斗起きたか」


 涼介が寝起きの俺をぐっと引き寄せる。指を立てた椎名と美羽の隣に寄せられた。


「だからやめなさいって言ってるじゃない、のぞきっていうのよ、こーいうの」


 美羽が忙しそうに表情を強張らせて押し殺した声を洩らした。


「まあいいじゃん、別に減るもんじゃねーんだし、大人の関係ってやつをおれは見てみたい」


 俺も三人の会話に参加する。テントの外には恭一郎先生と唯香さんがいるらしいが、その様子がおかしいということで、テントの入り口から覗いているというわけだ。


「変な声が聞こえたんだ、それで起きたんだよおれ。みんなで当てっこクイズしようぜ」


 涼介が瞼をしきりに擦って片膝を立てる。どうやら涼介が最初に起床したらしい。空とナチュは気持ちよさそうに安眠している。空の寝顔は思ったより可愛かった。が、半目である。


「なにが当てっこよ、子供じゃあるまいし」


「じゃあ寝てればいいじゃん。あ、言っとくけど今外に出るのはダメだからな」


 涼介がムキになってそう言ったとき――それはやってきた。


「――あん、先生、そんなっ……私」


「そんなに嫌がらなくてもいいだろう、唯香くん。早くソレを脱いで私に渡すんだ」


「だ、ダメですよぅ……先生っ。あぁ、どうしよう……私……凄く恥ずかしいよう」


「開放的に行こう! 裸になってすべてを解き放つんだ! 後は私に任せろ! 君のすべてを私が理解し、君が望む通りにしてやろう」


「じ、じゃあ……一回だけですよ? そしたら次は私の番ですからね?」


「ほう……? 君にはそれだけの実力があると?」


「うふ、こう見えても私、今まで培ってきた凄いテクニックがあるんです……先生をきっと楽しませてあげられると思いますよ」


 唯香さんのあられもない姿が脳裏に焼き付く。


 俺は朝一番の本能的命令を律儀に守り続けている幼き獣に休息を与えてやれずにいた。頼むから引っ込んでくれという俺の意思を無視して下半身の一部が急成長していく。


 テント内では全員の沈黙が続き、お互いの顔さえ見ることができない状況だった。

 純真な椎名は、顔をトマトみたいにさせているかもしれない。俺は彼女の表情を確認した。椎名は俺の股間にすべての意識を注ぎ込み、茶色の瞳を輝かせている。


「…………海斗くん、それなあに?」


「……えっ!? なんのこと?」


 俺はしらばっくれて短パンを正そうとする。


「なにって……これだよ」


 次の瞬間――椎名は悪気もなく俺のイチモツを優しく握り始めた。


 つい変な悲鳴を上げた。さわさわと布が意地悪く擦れ、もうどうにかなってしまいそうだ。


「なんか……かたい……棒?」


「あっ……そ、そこは」


 真実を伝えて彼女を失神させるわけにも、サービス延長をするわけにもいかない俺は――。


「これは…………昨日買った……うまいぼ――」


「そんなわけあるかぁ!」


 真っ赤に染まった美羽の全身全霊ビンタが俺に炸裂する。


「心中察するぞ、海斗」


 俺の肩に手を乗せて涼介はこの場を脱出。お前は一体どうなんだ、このおたんちん野郎。


 頬が温かさを取り戻していく中、もう一度椎名を見ると彼女は握ったときの感触が忘れられないのか、空中をにぎにぎと揉み込んでいる。


「こら、椎名! そんなばっちいことしない! ほら行くよ、こんなサイテーなのは置いて」


「えっ? 美羽ちゃん? えぇ? なんで~」


 椎名は美羽に引かれるままテントを出て行った。


 美羽がテントを出る間際の「この変態! 死ね!」が、かなり心にきた。


「…………ドンマイ」


 ナチュの顔を自身の腹辺りに乗せている空がぼそっと呟いた。


 悔し涙なのか、血の涙なのか、手形の付いた頬を伝ってぽろぽろと雫が零れる。


 恭一郎先生と唯香さんのスケベったらしい好色劇の正体は、俺たちの携帯ゲームだった。


 ゲーム中に無敵になれる装備をどちらが装備でするかで争っていたらしい。おかげで俺はハートもほっぺたも相当なダメージを受けた。むしろ俺が無敵装備をすべきだった。


 日は見る見るうちに傾いていき、帰り支度を終えると、俺たちはポンコツのバンに集合した。


「……最後にみんなで写真を撮ろう」


「写真ー!? なんでまた急にー……おれ撮られるのあんま好きじゃねーのに」


「うふふ、そんなこと言わないでください涼介くん、きっといい思い出になりますよ」


 唯香さんが隣で柔らかく微笑み、涼介の肩を抱きなだめる。


「よーし撮るぞー、ここに置いて……っと」


 恭一郎先生はバンの対面にある切り株にデジカメをセット、オレンジ色のランプが点灯した。


 恭一郎先生が駆け足でこちらに戻ってくる途中――躓いてこけた。あははと笑う一同。


 眼鏡がどこかへ飛んでいってしまった恭一郎先生を起こそうと俺が近寄ったところでパシャリ。フラッシュライトに目が眩む。


「あーもー、なにしてんのよ!」


「でもきっといい写真が撮れたよ美羽ちゃん」


 椎名はクスクスと笑っていた。


「写真、見たい……」


 空がそう言うと、恭一郎先生が転がった眼鏡をかけ直し、デジタルカメラのデータリストから撮った写真を小さな液晶画面に映し出した。


 恭一郎先生は写真の左下でちゃっかりカメラに向かってピースをしていた。そのまま視点を上げると女神のような笑みを浮かべる唯香さんが椎名の肩に手をやっている。椎名はもじもじしながら上目遣い。俺の宝物が一つ増えた。


 椎名は大きく成長したナチュを撫でて、ナチュも嬉しそうに首を擦りつけていた。昨夜進化してから人間味を増した気がする。ナチュは俺たちの側を片時も離れないし、とても甘えん坊になっている。前はもっとぼうっとしていた気がするのだ。右に視線をずらすと俺が恭一郎先生に笑みを向けていた。隣で馬鹿笑いしている涼介と、その涼介を横目見る美羽。隣にはニヒルな笑みを浮かべた空が写っている。


 これが、ナチュの陣と愉快な仲間たちの記念すべき最初で最後の一枚となった。


 恭一郎先生はバンに乗る前に、カメラを置いた切り株に完成した木彫りのアシカを乗っけると、「これが私たちがここにいた証だ」と笑った。


 長いようで短かった天体観測キャンプも終わり、俺たちは来たときと同じように山道を下っていく。楽しかったが、俺は少し寂しくもあった。バンの窓から差し込んでくる朱色の光がより一層そんな気持ちにさせる。夕空の千切れ雲を見ていると別段遠出に来たわけでもないのにノスタルジーな気持ちになるのだ。


 子供たちは上下に飛び跳ねるバンの震動にも動じず完全安眠モード。俺は二列目のシートで黄昏空を眺めていた。今回の隣人は空だ。またもや俺は椎名の隣席を確保することができなかった。というか美羽が隣を完全ガードしていた。俺はもはや性犯罪者の気分だった。


 隣の空がそわそわしながらポケットから封筒を取り出した。


 俺に封筒を手渡すと、顔を俯ける。本当に口数の少ないやつだ、なにか言ったらどうなんだと思いつつ俺は中身を確認する。どうやらライブのチケットのようだった。全部で六枚ある。


「それ、海斗から……みんなに渡しておいてくれ」


「いいけどさ、こーいうのって直接渡したほうがみんなもうれしいと思うよ」


「……あんまりそーいうのは得意じゃない……頼むよ、リーダー」


「……お、おっけーわかったよ。みんなにはちゃんと渡しとく」


 俺はこそばゆい胸のまま精一杯の頼りがいある笑顔を作った。リーダーという響きに惹かれている自分を、まだまだ子供なんだなと実感するのだった。

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