第十六話 一三八億年前の奇跡

 ――俺たちが住む太陽系(水金地火木土天海のアレ。当時はまだ冥王星がまだ太陽系の主惑星として含まれてた)すべて合わせても、太陽はそれより千倍大きい。さらに太陽系が含まれている銀河系には、太陽と同じ恒星が二千億個もあるらしい。億だぞ、億。しかも宇宙にはそんな巨大な銀河が一二五〇億個あるのだ。


 そしてその多くが俺たちが存在する銀河系『天の川銀河』よりも大きい。この時点で、俺たちの頭の中では処理しきれないほどの情報が宇宙に詰まっていることがわかるが、一度これらすべてを野球ボールくらいの大きさに無理矢理圧縮する。成功したら、それをさらに圧縮する。――小豆サイズになって、ついにはドットよりも小さくなる。とうとう点は見えなくなり、とてつもない情報量を内包した“特異点(シンギュラリティ)”として誕生する。高密度の超絶エネルギーを内側に閉じ込めていた小さな“特異点”はその力に耐えられなくなると、空前絶後の大爆発を巻き起こす。――それが今から約一三八億年前に起きた宇宙誕生の根源“ビッグバン”である。


 アホみたいな大爆発の結果、遥か彼方まで高密度エネルギーの破片が散らばり、僅か一瞬で、すべての星が存在するために必要なスペースを創り出した。


 ビッグバンの直後、途方もないエネルギーは透明なのりのような性質で宇宙に存在するあらゆるものをくっつけ始めた。結果、一つの粒子が生まれる。世界を構築しているすべての物質はこの粒子から生まれたのだそうだ。


 粒子は血液型のように三タイプに別けられた。それが電子と陽子と中性子であり、愛し合う恋人同士のように互いを引き付け合って、原子という小さな塊になった。


 原子は同族と仲が悪く、互いの重力を引き合わせると超高温の雲を作り出す。蒸した雲から生まれたのが最初の恒星だ。ビッグバンの名残を持った、巨大な火の玉集団である。


 こいつらは重力で引かれ合って変形、その結果銀河が生まれた。俺たちの生存する『天の川銀河』はビッグバンのおよそ一億年後にその姿を現した。ちなみに銀河の大きさを現実世界で喩えるなら――テーブルに置いた碁石を太陽と見立て、その太陽に一番近い恒星は碁石から一四五キロも離れた位置に存在するのだという。


 恒星が自らの重力で崩壊するとき、一生を終える間際、大爆発を巻き起こす。その現象を「超新星」と言い、残されたガスや塵が重力で集まり核融合を引き起こし輝く。


 その結果、四十六億年前に我が太陽系を代表する救世主、太陽様が産声をあげるわけだ。


 しかし、当時の太陽系の環境は過酷で、太陽から放出される高エネルギー荷電粒子は目に見えないものでありながらすべての物を貫通し、生命の細胞を即座に破壊するというチート級の光線だったらしい。『太陽風』という名のプラズマ光線弾は、地球の表面を存分に焼き払い、粘液のような溶岩で覆われることになった。固い地面も水も生命も存在できない地獄の時代。


 ――そしてそれから約一億年後、地球の一日がまだ四時間ほどだった頃、地球は唯一無二のパートナーと巡り会う。幼稚園児でも知っているだろう、そうお月様だ。


 月が地球の友となるまでには深い因果があった。地球と原始惑星の『テイア』が衝突して、自転をしていた地球はバランスを失ったのだ。しかしハルマゲドンもビックリな終末ものSFはそれだけでは済まなかった。地球上の様々な火山が大噴火し、核に閉じ込められていたはずの大量ガスが噴出、地球は最初の大気を形成したという。


『テイア』の外側の層は蒸発し無数の粒子となって高温の塵などで形成された分厚い雲を作り、地球はその瓦礫の雲に覆われ真っ暗になった。さらに『テイア』の核を形成していた“鉄”が地球の内部に流れ込み、地球の核と融合した結果、高密度な金属の球を精製することになった。


 この『テイア』との衝突がなければ地球は生命が暮らしていけるような星にはならなかったはずだ。……なぜなら大量の鉄を取り込んだ地球の核は磁気シールドとやらを発生させ、致命的なチート光線から地球の表面を守る役割を果たしてくれるからだ。まさに奇跡。この磁気シールドができたおかげで水が水素原子と酸素原子に分裂しなくなり、生命体に不可欠な水が宇宙に飛散せず済んでいるのだという。本当かよ、プラズマバリアー。


 このシールドがなければ生命が生まれることはなく、進化することもなかった。俺たちは地球により生み出され、今も地球に守られてる。火星や金星のような鉄の核を持たない惑星に生物がいないといわれるのは、この説があるかららしい。

 地球と『テイア』が衝突したときのクレーターは未だ見つかっていない。なぜなら衝撃が大きすぎて地球の外殻を構成していた物質はすべて蒸発してしまったせいらしい。


 そして地球を真っ黒に覆っていた塵は互いの重力で引かれ合い、一つの塊になった。地球と俺たちの命運を繋げる結果となった希望の天体――それが“月”だ。『ジャイアント・インパクト説』などと呼んでいる。


 そんなお月様は、後に生まれくる俺たちが暮らしやすいように慈愛の心を見せた。


 月の重力は『テイア』との衝突によりよろめいていた地球を救い、地球の自転をスローダウンさせる。長い年月の間に地球は一日四時間から二十四時間体制へとシフトチェンジした。


 ――これが宇宙の始まりから現在の地球の誕生まで、世界的に伝わる物語の一部らしい。


 壮大なストーリーの大部分はここで幕を閉じたわけだが、そのあとも恭一郎先生は自慢の脳内ディクショナリを引用し続けた。最初の地球上生命体は地球でゼロから誕生したのではなく、宇宙から生命の源をある程度貰って誕生した可能性があるという逸話だ。


 今から三十七億年前、太陽が生成された後、無数の彗星や小惑星が木星と同じ軌道で太陽の周りを巡り始めた。当時まだできて間もなかった太陽は不安定で、木星や土星、海王星などの巨大惑星は太陽の軌道から逸れることがあった。それを繰り返すうち、彗星や小惑星を太陽系全体に蹴散らした。その一部が地球へ飛び、彗星の『重爆撃』が、地表へと降り注いできたのだ。しかし、この迷惑な宇宙からの攻撃は、地球を生命力に満ち溢れた美しい星にするためのエキスだった。生命の源である「アミノ酸」。それが彗星と共に飛来した可能性があるのだ。


 見慣れた月を思い出してみる。ウサギが餅つきをしているように見える数々のクレーターは、彗星の攻撃から自身を守る厚い大気も、傷跡を癒やす生命システムも持たない月が、数十億年に渡って繰り広げられた荒々しい傷跡を俺たちに伝える証であったわけだ。


 他にも地球の七〇パーセントが水で覆われているのは、原始地球に激突しようとしている彗星が、大気との摩擦で彗星の殆どを構成している氷を溶かし、高熱の水蒸気の尾を引いた巨大な雪の塊が空から降り注いだからだ。水蒸気は水になり、初めて地球に雨が降ったという。


 今現在地球に流れる川や海を満たす水の殆どが、数十億年前に地球に落下した彗星がもたらしたものらしい。宇宙規模の大雨洪水警報。宇宙中継カメラかなんかでその様子を見てみたい。


 ……まだある。ビッグバンの爆発の際の“こだま”はチューニングの合わないテレビ画面で今でも検出することができるらしく、モノクロの砂嵐の百個に一つはビッグバンの“こだま”なのだそうだ。ビッグバンは過去に何度も起きていて、そのたび宇宙を創り変えデータを更新している。ビッグバンが起こるたびに幾千の宇宙を創り出しているのだと。いつの間にかビッグバン関係に話が戻っていた恭一郎先生の宇宙講座は、気がつくと俺の頭から追い出されていた。誰かが止めないとこの人は永遠に宇宙について話し続けるだろう。このときの俺は相当まぶたが重くなっていた――。


「――だからしてオムニバースとは~」と、恭一郎先生が語る。


 呆れ顔の俺は川の字で寝転んでいるナチュの陣のメンバーを片肘突くついでに眺めた。


 涼介と美羽は仲良く頭をくっつけて爆睡。空は半分白目だった。隣の椎名だけが恭一郎先生の言葉を真剣に聞いていた。意味もなく横を向いた俺と目が合ってしまい、さっきから俺の瞳孔は一ミリだって動いていない。椎名も頬を赤くして目を見開いている。


「先生、あのっ、先生」


「……なんだい? 唯香くん」


「もう子供たち寝ちゃってます。それにもうすぐ夜明けです」


 唯香さんは隣の美羽の柔らかそうな髪を撫でながら言った。


「おお……もうそんな時間か、実に有意義な議論だった」


 後半は議論というより恭一郎先生の独り言でしかなかった。


 俺たちは寝息を立てている子供たちとナチュを担いで、テントへ歩いた。


「じゃあ寝ますよ~海斗くんも、椎名ちゃんも、ナチュもおやすみなさい」


 自らの身体を蓑虫のようにして寝袋に入り込むと不思議と眠気はすぐにやってきた。


 こんなに面白い夏休みはなかったと俺は振り返った。みんなもそう感じてくれているはずだ。


 まるでゲームの主人公になった気分だった。次は一体どんなことが起こるかなと、次の非現実的なイベントを心待ちにしながら、そのまま泥のように眠った……。


 ――すべての出来事を心から楽しんでいる自分に無性に腹が立つ。俺は幼い自分の寝顔を見ながら思った。起きてしまった出来事は絶対に上書きできない。

 これから始まる絶望に――俺はなにもすることができないのだ……。

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