第十三話 瑠璃色の粒子超常現象

 気がつけば西の空が淡い朱色に染まり始めていて、黄昏時を迎えようとしている。


「綺麗……」


 赤く染まる髪を温かい風で撫でられながら、隣の椎名が少し潤んだ瞳で言う。


「わたしここに来れてよかった。ナチュの陣に入れて本当によかった。だからわたしね……あのっ、海斗くんにあのとき見つけてもらえてね……本当によかったなって思ってるの!」


 椎名はくすぐったそうな表情でにこっと微笑む。そんな可愛い笑顔で言われたら誰だって顔くらい赤くなる。だけど夕焼けは俺の表情も隠してくれた。


 高鳴る鼓動が俺を少しだけ積極的にさせる。


 俺は――気がつくと椎名の手を握っていた。


「…………えっ……海斗……くん?」


「し、椎名……おれ……」


 握った手に椎名の温もり。――今なら、いける気がする。


 夕焼けに、このムード……きっと恋の神様は俺の味方をしてくれているに違いない。


「うん…………」


 打ちつける風が椎名の髪を掻き乱す。彼女は指で夕色に反射する細い髪を押さえた。


 勇気を出すんだ、俺! 十一の俺! と叫ぶ俺の声も彼には絶対届かないわけで。


「…………あの……あれだよね、お腹すいたね!」


「ん……? あっ、そ、そうだね……」


 へたれな俺はそんなことを言いやがった。椎名も緊張が抜けたのか、ふうと息を吐いた。


「おい」


 俺は小さな悲鳴を上げ、繋いでいた手をほどいていてしまった。振り返るとトングをカチカチと鳴らしている空が立っていた。


「……なにしてんの? そろそろ晩御飯の支度……しないと」


 額に浮き出た冷や汗を拭って溜息をつき、最後にもう一度夕日を見つめる。


「い、行こっか」


「……うん」


 * * *


 バーベキューを食べた後は、自由時間を過ごしながら流星群の出現を待っていた。恭一郎先生は黙々と木彫りのアシカの制作を再開させ、唯香さんと椎名はナチュを交えてなにやら楽しそうに女子トークをしている。空と涼介は持ってきた携帯ゲーム機で対戦をしているみたいだ。俺はと言うと、焚き火台の中で真紅色に燃える木炭に、落ちている木の枝を差し込んでいた。


「なにしてんの」


 美羽が怪訝そうな顔で俺に告げる。


「木の枝燃やしてる」


「なに子供みたいなことやってんのよ」


「子供だろ、美羽もやる?」


 俺はもう一つのトングを渡し、焚き火台を挟んで細い木の枝をマグマのような木炭に突っ込んだ。しばらくすると先っぽに火が点き、熱された木炭と同じ色になる。やがて灰色の煙が立ち上がった。まるで大人が吸っている煙草みたいで、いけないことだとわかっていながらも、楽しくて火遊びの手が止まらない。


 恭一郎先生や唯香さんが見ていたら止められてしまうかもしれないが、きっと二人も子供時代にこんな経験をしたはずだ、昔やったことを大人になってから注意することは間違っちゃいないと思うし、過去の自分の過ちからのアドバイスでもあるだろう。でも、禁止されるとどうしてもやりたくなってしまうし、背徳感のせいかやっぱり楽しい。きっと大人になったとき、「危ないからお前は絶対にやっちゃダメだぞ」と注意しつつも、息子が過去の自分と同じことをしたら、俺はきっと目を瞑るだろう。それが今の自分を形作るための行動であるのだから。


「そういえば椎名となんか喋ってたね、どーだった?」


 結局俺と同じように焚き火で遊び始める美羽。


「……べ、別に。大したことは喋ってない」


「ふーん……ねえねえ、椎名のどこが好きなのよ」


 表情をにんまりさせて、美羽はカエルのように膝を折ったままぴょんと近づいてくる。


「…………いいじゃん、別に」


「もー……つまんないの。教えてくれたら協力してあげるのにな~」


「美羽も涼介が好きならちゃんと言ったほうがいいよ。あいつ絶対気づいてないから」


「なっ! ……あ、あたしは別にそんなのと違うし! あいつがバカだから、それで」


「うんうん、わかるよ好きなんだよね、あれでもいいやつだからね涼介。顔もカッコいいし」


「ち、違うって言ってんでしょうが! 殴るわよ!」


 俺は美羽に助言を残して退散した。これ以上一緒にいると根掘り葉掘り聞かれそうだ。



 ――事が起きたのはほんの数分後だった。


 振り返ると草木が焼けて大きな火炎が立ち上っていた。火は凄い速さで地面を伝って、付近の雑木林に燃え移った。美羽の涙声を聞いてそれが火事だとわかった。

「美羽くん!」恭一郎先生が真っ青になって動けないでいる美羽を抱きかかえ火災現場から避難する。唯香先生も戸惑いながらも子供たちを守るように火災現場から遠ざかる。


 三十メートルほど離れたところで燃え続ける火事を見つめる。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


 美羽は大粒の涙を零すが、地獄の火炎は止まらない。次々と隣の木々に燃え移っていく。


「唯香くん、消防署に連絡できるかい」


 唯香さんがポケットから携帯電話を取り出そうとしたそのとき、椎名の腕で大人しくしていたナチュが暴れだし、美羽の胸へと飛びついて必死になにかを訴えかける。


「みゅう! みゅ、みゅう!」


「ナチュ……?」


 ナチュの躰がぼんやりと光る。俺はこの現象に心当たりがあった。


「ナチュ……お願い――火事を消してっ!」


 ナチュを抱きしめて美羽が叫んだ瞬間――ナチュが神々しく光り輝き、音のない衝撃波が発生した。宇宙空間に投げ出されたうえ、上下左右に回転しながら浮遊しているような感覚。辺りは星屑のような粒子が一面に舞っていて、光子の一つひとつが瑠璃色に輝き始めた。群青の光はオーロラのように燃えた木々全体を覆い、燃え盛っていた火は天へと浄化されていく。


「一体……なんだ……これは」


 恭一郎先生が開けた口をそのままに石のように固まる。


 やがてすべての火が消え去ると、失われた緑を再生し、自然はより増殖の兆しを見せる。燃えた木々の周辺に草木が生えて、俺たちのテントが森の中に埋まってしまうほどだった。


「これ……ナチュがやってくれたの?」


 美羽は震えた声で胸のナチュを抱きしめる――が、ナチュはその姿を変形させていた。抱き抱えられる小型犬くらいだった大きさがロバくらいの大きさになっていた。


 躰の色も碧色から変化を遂げていた。大半が純白だが、尻尾や頭、背中にヒレなどの特定箇所は瑠璃色に染まっている。ヒレの爪も以前よりも丸みを帯びて、頭に咲いていた植物もボリュームが増し、短かった尻尾はぐいんと伸び先端がぷくっと膨らんでいる。


「また進化した!」


 俺が興奮して叫ぶと、恭一郎が頭を傾げながらナチュに触れた。


「……海斗くん。ナチュは一体どうしたというんだ。それにさっきのは一体……説明してくれ、なにか知っていることがあるんだろう」


 恭一郎先生は真面目な表情で俺の肩を掴んだ。


 ――このとき俺は確信した。ナチュには“人の願いを叶える”能力がある。

 そして、願いを叶えてもらうたびにナチュは進化していくということを。


 俺は過去にナチュに「宿題をやってほしい」とお願いしたときのことを詳しく説明した。光の輝きが微妙に違ったこと、発光現象が終わった後、ナチュが大きくなっていたこと。恭一郎先生は顎を撫でるようにして眉間に皺を寄せていたが、やがて――。


「……ちょっと試してみてもいいかね」


「試すって? なにするんですか」


「この生命体……失礼、ナチュが本当に人の願いを叶えることができるのかどうか、だよ。自分の目で見たとはいえ未だに信じられない。夢でも見てるみたいだ」


 恭一郎は目頭を押さえる。


「それで結局なにを試すんだよ」


 涼介が苛立ちながら恭一郎先生に詰め寄る。


「人類の能力を超越した願いを叶えることが可能かどうか、試してみるのさ」


「なるほど……」


 空が納得した面持ちで名探偵みたいな決めポーズをとる。


「なに納得してんのよ、あんたは」と美羽がツッコミを入れる。


「恭一郎先生はナチュの“願いを叶える”能力が、どこまで叶えられるのか、探ろうとしているんじゃないの。魔法のランプだって叶えられないことあったでしょ」


「能力か。少年マンガみたいな展開になってきやがったな! これは」涼介は楽しそうだった。


「現にあり得ない光景を今見たばかりだし、ここには消火器はもちろんスプリンクラーだってない。あの規模の大火事を一瞬で消火するなんて、能力と言わないでなにになるというの」


「うむ。空くんの言ったようなことで概ね合っているよ。ここに消防車でもあれば、時間はかかるだろうが、消火することは可能だ。だが、燃えた森が再生し始めたのはどう考えたっておかしい。人間の能力を超越している。急に植物が急成長することはありえない」


「じゃあ……先生は一体なにを願うんです?」


 唯香さんが不安そうな表情で尋ねる。


「私は……時空を超越することが可能かどうか願ってみようと思う」

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