第十二話 夏空キャンプ

 恭一郎先生と唯香さんに出会ってから数週間が過ぎた。八月も中旬に差し掛かっている。


 俺たちは恭一郎先生宅を訪問することが多くなった。エアコンで冷えた部屋で飲み物やおやつを頂いた。交換条件にナチュを恭一郎先生に差し出すと、彼は興味深そうに何時間でもナチュと睨めっこをする。唯香さんは俺たちとカードゲームや談笑をしてくれた。やがて第二のアジトと呼ぶようになり、俺たちは短い期間だがとても打ち解けた関係になっていた。


 そしてある日、夏空を見上げていた恭一郎先生が夏の風物詩を見に行こうと言い始めたのだ。


 お盆前のこの時期は流星を一時間で五十個ほど確認できるという。自分の目で見たことがなかった俺たちは恭一郎先生の話に心を躍らせていた。


 ――そうして待ちに待った流星群キャンプ当日がやってきた。しばらく待っていると、オンボロのバンが見えてきた。家の前で停車すると、運転席から白衣姿の恭一郎先生が降りてきた。


 俺はバンのドアをスライドさせる。


「おはよー」



「おはよ~ふふ、キャンプ楽しみですねー」


 助手席には膝にナチュを乗せた唯香さん。一列目のシートには涼介と美羽。二列目には空と椎名が座っていた。ドアを閉めて空席に座る。恐らく六人乗りの車だろうが、一列目に三人座らないといけない。俺は美羽の隣だった。


 運転席の窓を覗くと恭一郎先生が俺の親にぺこぺこ頭を下げながら話し込んでいる。


「恭一郎先生……ちゃんと話できてるのかな……」


「あたしママと恭一郎せんせが喋ってるの見たけど、宇宙創成秘話がどうとか言ってたわ」


 確かに親の顔が少し引きつっている気がする。一体なにを話しているのだろうか。


 話が終わったのか、恭一郎先生が運転席のドアを開けて座り込んだ。


「よし、みんな乗ってるね……じゃあ行こうか!」


 恭一郎先生は笑顔でアクセルを踏んだ。


 俺はふと二列目のシートに座る椎名と空が気になって耳を傾ける。なにか話をしていた。


「――えー……なんだろう、わたしおかあさんと同じだしなあ、よくわからないよ」


「でも……すごく綺麗、それにいい匂いだ」


「えへへ、くすぐったい」


 つい身体がたじろぐ。言ったのはもちろん空で、俺は胸の鼓動が早まっていくのを感じた。


「なに? 海斗」


 気がつくと俺は後ろを振り返っていて、真後ろの空が不審そうな顔で見つめてきていた。


「い、いや……なんでも……ないけど……?」


 俺は前に向き直ると、じーっと隣で俺を見つめている美羽と目が合った。


「え、なに?」


「海斗ってさ――」


 美羽が身体をグッと寄せてくる。小学生の癖に華やかないい匂いがした。流石はお嬢様だ。少しどぎまぎしてしまう。――彼女の血色のいい唇が小さく動いた。


「あんた、椎名のこと……好きなんでしょ」


「…………なっ」


「なあに……あんたってけっこう可愛いところあるのね、真っ赤になっちゃって。いいじゃん、あたしだって好きな人いないわけじゃないもの」


「涼介でしょ?」


 俺は美羽の心の準備を待つことなくそう応えた。


「な、なに言ってるのよ! ばっかじゃないの、そんなわけない! あんなおたんこなす!」


 ちなみに「おたんこなす」の語源は遊女が嫌な客を「おたんちん」と呼ぶことから始まったらしい。つまり涼介は「おたんちん」ということになる。おたんちん涼介。


「なにさっきからお前らこそこそ話してんだよ、おれも話しに混ぜろよー」


 おたんちん涼介が会話に乱入してこようとする。


「べ、別になんでもないわよ! 涼介は大人しく窓でも見てなさいよ!」


「え、なんだよそれ酷くね? つーか美羽顔赤くね」


「……っ! うっさいわね、このおたんこなす!」


 やはり涼介はおたんちん野郎だった。


 お菓子を食べながら山道を進んだ。雑木林だった窓の景色は、開けたものになっていた。裏山の天頂は木が生えておらず、見事に地面がむき出しの状態となっていた。


 俺たちはこれから向かうそこを『ハゲ親父の頭』(命名涼介)と名づけ、気分を盛り上げた。


 * * *


 午後一時半頃『ハゲ親父の頭』に到着した。草野球もできそうな開けた天頂はキャンプにはうってつけだ。今夜の流星群もよく見えるはずだ。


「おー、すっげー、ここでドロケイしようぜ」


 ナチュの陣のにぎやかしが紺碧の空の下を走る。


「もー、涼介くんっ。遊びより先にテントですよ~?」


 唯香さんは夏の太陽に照らされても決して崩れない百点満点のにっこり笑顔だ。


 男女で別グループになり、男子はテント組み立て班に配属された。


 四人でロケーションハンティングするように平原を歩いてテントの設置位置を決め、地面に転がる小石などを排除。畳まれたテントが乗ったシートを四人で引っ張って、四隅にペグを打ち込む。折角だから、と恭一郎先生はペグ打ちを子供たちに順番にやらせてくれた。


 ペグ打ちを終えると、テントの原型に銀のポールを通してクロスさせる。するとバツ印の骨組みが完成した。その骨を今度は四人でしっかりと支え、せーのでテントを立ち上げた。


「おぉー、すっげー」

「でかいな……」


 初めてのテント作成に感動する涼介と空。


 作ったテントにさらにシートを被せ、ロープをペグで固定。ドーム型のテントが完成した。


「はいこれで完成。キャンプは若い頃よくやったんだが、またやるとは思わなかったな」


「そういや恭一郎先生は結婚しないの? 子供でもいれば機会なんていっぱいあるだろ」


 涼介がハンマーで既に固定されたペグを打って遊びながら、そんなことを言った。


「そうだね、こういう日常に憧れないわけではないが……だが、私はいつまでも研究一筋さ。……息子役はしばらく君たちに任せたよ」


 柔和な表情で無精髭を撫でる恭一郎先生は楽しそうに見えた。


「あちゃーこりゃダメだ、唯香ちゃんも逃げてくな」


 手を広げる涼介の頭を恭一郎先生が撫で回した。こうして見ると親子にも見えなくもない。無表情で口数の少ない空も、頬を緩めて二人の光景を眺めていた。


 きっとみんなが、この出会いを大切に思ってくれている。お互いの心が通じ合っているように感じる。うまく言えないが、俺はそんな不思議なものを七人と一匹から感じていた。


 次に日よけタープを組み立てた。出来上がった日陰に折りたたみ式のレジャーテーブルとベンチを用意すると、ホームセンターで見るようなキャンプ会場が広がった。


「わあ~、みてみて美羽ちゃん! 男の子たちがんばってるよ! ほらナチュも、ほらっ!」


 一息ついていたとき、キッチンテーブルを組み立てていた女子たちがこちらへやってきた。


「なにサボってんの、ちゃんとやんなさいよ」


 美羽は仁王立ち状態で、涼介を見下ろす。


「んなっ……おまっ、さっきまでやってたっつーのに、ねえ恭一郎先生」


「はて? 涼介くんは……ずっと遊んでいたような」


 恭一郎先生、まさかのしらばっくれ。


「うん、遊んでた。なあ空」


「あんまりはしゃぐなよ、子供じゃないんだからさ」


 流れるような三連コンボ。結果として涼介はサボっていることになった。


「うわ、てめーらまで! ひでえマジぜっこうだぞ、ぜっこう! つーかなんでおれだけ!」


 ピーチクパーチクする涼介を放って、俺たちはタープで休憩をすることになった。


 涼しい風がタープの下を悪戯に過ぎ去っていく。コップを片手に目を閉じて風を感じたり、隣の人にこそっと悪戯をしたり、ナチュで遊んだり、各々の休息タイムを満喫した。


「んんっ~、とっても気持ちいいですねぇ」


 唯香さんは胸いっぱいに大きく息を吸うと、腕をぐうっと伸ばし色っぽい声を出す。薄手のサマーセーターを着ていて、身体のラインがはっきりと出てしまう格好だ。服の上からみても巨乳であることは間違いない。小学生だった俺は大人のおねえさんの唯香さんに少しときめいていた。同い年の女子と違う体つきにも、なんでも許してくれそうな優しい笑顔にも。


「唯香おねえちゃん、あんまりそーいう声ださないでよ、男子がエロい目でこっち見てるよ」


「えぇっ!? わ、私……そんなつもりじゃっ……」


 赤くなりながら両手頬を押さえる唯香さん。


「ばっ、見てねーよ! ざっけんな美羽!」


「見たじゃない! あたし今見たもん! チラって見たの見たもん!」


「知らねーよ、なんでおれだけに言うんだよ! 海斗と空にも言え!」


「あんたが一番見てた!」


「青春だね……ははは、大いに結構!」


 声を上げて笑う恭一郎先生が手元のナイフでなにかを削っていた。俺は近づいて手元を覗く。


「恭一郎先生、さっきからなにやってるんですか?」


「さっき拾った木を削ってるんだ。なにか面白い形になるかもしれないじゃないか」


「わー、恭一郎先生すごいなあ……図工もできるんだぁ」


 恭一郎先生を挟む形で椎名もやってきて、一本のナイフが形作る作品の完成を二人で待った。


「なんの変哲もない木でもね、人の知識と技術と創造力でいくらでも変わっていくものなんだ、未だ解明されていない世界や宇宙の謎なんかにも同じことが言える」


「……わかった、アシカ!」


 だんだん形が作られてきた。捻じ曲がった木はどうやらアシカの尾ヒレを表現しているようだ。林檎の皮を剥くようにアシカの毛並みが再現されていく。頭部には球体が乗っている。


「あーわかった! 海斗くん、アシカはきっとボールで遊んでいるんだよ」


「正解だ」


 恭一郎先生はにこやかに作業を中断し、アシカをテーブルの上に置いた。


「よし、せっかくキャンプに来たんだ、アウトドアで遊ぼうか」


「「さんせいさんせい!」」


 俺たちは充実したキャンプを気が済むまで堪能した。


 付近に見つけた綺麗な池で水遊びをして、草木によじ登り珍しい虫を探索してみたり、森の中でおにごっことかくれんぼをした。大人たちは後半バテていて、面白かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る