第十一話 新たな関係者

 通されたリビングで俺たちは冷たい炭酸ジュースと美味しい焼き菓子を遠慮なく平らげる。


「――いやあ~、よく来てくれたね! こんな山奥になんの用だい?」


 身を乗り出しながらそう聞いてくるのは紫波山響一郎(しばやまきょういちろう)。唯香さんが先生と呼ぶ人物だ。三十歳半ばくらいだろうか、だらしない無精髭と盛り上がった癖毛頭に不釣合いな純白の白衣。口には禁煙パイポを噛んでいて、縁の丸い眼鏡をかけている。一見根暗そうだが、声のトーンは妙に明るくハキハキしている。初対面の頃から思っていたが、とても変な人だ。


 恭一郎先生は俺たちに嬉々とした表情を向けてくる。


「今までこの付近には人っ子一人来やしなかったのに、今日は五人も訪問客がやって来た。これはきっとなにかしらの因果関係が存在するに違いない……」


 興奮を隠せないのか、恭一郎先生は俺たちが座るソファをぐるぐると回った。


「先生は今から丁度二十年前の一九八三年に起きたっていう虹色の隕石について研究しているんですよ~、みんな『レインボーコメット』って聞いたことないですか?」


「唯香君、その呼び方は止めたまえ、あのアホ記事を思い出すではないか」


 ぐるぐる回っていた恭一朗先生は動きを止めて唯香さんを睨むと、そのまま元の席に着く。


「聞いたことあるっていうか、理科の教科書の隅っこに書いてなかった? 豆知識みたいな枠で。先生飛ばしてたけどあたし読んだわ」


 美羽が棒つきのキャンディの袋を開けながらそんなことを言った。確か五年生のときの教科書にそんなことが書いてあった。二行くらいの寂しいものだったが。


「なんだよ、さっきお前たちが話してたやつじゃん」と涼介。恭一郎先生は耳をぴくりとさせて身を乗り出し涼介の肩をがくんがくん揺らした。


「なんだと! 君たちはその若さで虹の隕石について議論を交わ合っているというのか! 素晴らしい! 是非とも子供の純粋な意見が聞きたいっ」


「いや、議論とかじゃ……おれそんな知らない……がはっ」息苦しそうに涼介は抵抗する。


 ――今から二十年前、恭一郎先生が十八歳の頃……虹色の流れ星を目撃し、彼はその不思議な現象に魅了された。そして隕石が衝突したらしい裏山の天頂付近に家を建て、ここで二十年間も独自の研究をしているそうだ。


「――今までの研究結果から隕石は姿を消したのではなく、隕石自体に込められた暗黒物質が大気圏に突入した段階でなんらかのエネルギーが作用し地球の内部に埋まってしまったと私は考えている。……絶対にその証拠があるはずで~」


 ホワイトボードに持論を展開する恭一郎先生。ぱちぱちと拍手をしたのは椎名だけだった。


「すごいと思います。そんなに熱心に研究できるなんて。わたしもそういう風に夢中になれることに出会いたいなあ……」好奇心旺盛な椎名らしく、いい笑顔だった。


「でもまだなにも見つかってないんでしょ? 進展はあったの」


 空が小生意気に突っかかる。


「うむ……決定的な証拠はまだなにも。だが私は諦めない、何年かかろうと、絶対に解き明かすと決めたからね」


 恭一郎先生は微笑んでから俺たちに親指を立てた。子供の心を持った大人みたいな人だった。


「ところで……海斗くんのナップサックがときにもぞもぞ動いているのはなんでだい?」


 恭一郎先生がホワイトボードに向かわせていたペンを置き、俺に近寄ってくる。


「……そういった不可思議な現象が視界に入ってくるとね、私はどうにも自分の目で確認しないと気がすまない性分でね……悪いが中身を確認させてくれないか」


「だ、ダメです! これは……プライベートの侵害ですよ!」


「ふふふ……いいではないか、少しくらい……いいではないかぁ!」


 俺は恭一郎先生の魔の手からナチュを守ろうと奮闘するが、ナップサックを揺り動かされてくすぐったかったのか、ナチュが飛び出してしまった。


「みゅう!」


「…………なん……だ?」


 恭一郎先生は口に咥えた禁煙パイポをぽろりと落とし、顎が外れたように固まる。


 隣の唯香さんも口元を抑えてまあっ、と驚いた表情。


「いや、これは……喋るぬいぐるみで……」


「喋るぬいぐるみ……? なるほど、そうかそうか――……ってなるわけがないだろう! 明らかに息をしているじゃないか! 一体その生命体はどうなっている!?」


 ごまかせないと悟った俺たちは、ナチュの卵を拾ってから今に至るまでを簡潔に説明した。恭一郎先生と唯香さんは黙って俺たちの話に耳を傾けていた。


「ふむ……ふむふむ」


 恭一郎先生はナチュに顔をグッと近づけ、舐めまわすように観察する。


「海斗くん……解剖……いや、観察対象としてナチュくんを私に譲ってはくれないだろうか」


「ぜったいダメです。今解剖って聞こえましたよ。ナチュはぜったいに渡しません」


 ナチュをここに残していったら一夜もしないうちに命を奪われかねない。


「そうですよ先生。興味があるのはわかりますけど、ダメですっ」


「むう……しかし」


 唯香さんが子供に言い聞かせるように優しく恭一郎先生を叱った。禁煙パイポをくいくいと上下に動かしながらいい大人が物欲しそうな顔を俺たちに向けてくる。


「ただ、おれたちがまたここに遊びに来てもいいなら……ナチュを観察させてあげてもいいですよ。……美味しいお菓子と面白い話のお礼です」


 俺は涙目の恭一郎先生にそう言うと抱きつかれ、無精髭で顔を擦られた。

 変な縁ができてしまったが、それはそれでとても面白い夏休みだと思った。


 この日俺たちナチュの陣は――紫波山恭一郎と橙永唯香に出会った。

 この出会いが、やがて巻き起こる厄災の始まりであることを、俺はまだ知るよしもない。

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