第4話「黒歴史を背負う者同士だから、ハッピーエンドを目指したい」
「大好きな人を幸せにすることを、私は諦めたくない」
落ち込んでいる自分だからこそ感じる勘違いかもしれない。
弱っている自分だから、人の優しさが心に沁みるってやつなのかもしれない。
だけど、
「壮大な夢、ですね」
「
「はい?」
俺が後ろを振り返るタイミングと、笹田さんが目線を居間に戻すタイミングが同じだったらしく、ほんの少し久しぶりに目が合った。
「私は、私を助けてくれた後輩くんのことを幸せにしたい」
目を腫らしているとか、そんなわけではないのに、泣きたいような不思議な想いに駆られているような気がする。
なんで泣きたくなるような衝動が走るんだろう。
なんで、泣きたいって思うんだろう。
「さあさあ、私の胸の中に飛び込んできてくれても構わないわよ」
自分の心は自分だけのものだって思っていたけど、十七歳の今でも自分の心のことはよく分からない。
「……え、っと……意味がよく分からない……」
「胸なんかないでしょ、とか言ったらセクハラで訴えます」
「そんなこと言ってませんよね!」
大きく腕を広げて俺のことを待ってくれているのは、俺が見返すと決めた相手。
「躊躇ってる? 躊躇っちゃってるんだ?」
「お願いですから、人気声優の自覚を持ってください……」
「ふふふっ、じゃあ、そんな炎上声優の私に甘えて」
笹田さんの笑顔を見ていると、作り笑顔を見せようとしていた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
「私は和生くんの彼女ではないけど……」
どんなときでも笑顔を振りまく彼女にファンは魅了されて、そして彼女の演技力は世間からの信用を得ていく。
「和生くんにとって、甘えても大丈夫な相手になりたい」
「それ、彼氏に言ったら殺されるから気をつけてください」
笹田さんに守ってもらうかのように、俺は笹田さんの両腕に優しく包まれる。
「彼氏はいらないって言ったでしょ?」
「そうでしたね。そのための特訓、でしたよね」
笹田さんは俺の背中を何度も優しく撫でながら、もうこれ以上は十分ですってくらいの安心感を注いでくれる。
彼女が声優になっていなかったら保育士が似合っていそうだなーなんて発想すら浮かんでくるけれど、笹田結奈さんがいない声優業界を俺は嫌だなって思う。
「よっぽどの自信家さんでない限り、新人声優と若手声優の方は不安でいっぱい」
「……ですね」
「不安なのは、和生くんだけじゃない」
「……うん」
諦めたら、そこで終わりって言葉を耳にしたことがある。
自分で限界を定めたら、それ以上の成長は見込めない。
声優を志したときに言い聞かせて、頭で理解していたはずなのに、心と体が思い通りに動いてくれなかった。
「俺も声優として……作品を応援してくれる人たちを幸せにしてみたいです」
「作品のファンの方々を幸せにするのが、私たち声優のお仕事ね」
「……キャラクターの言葉を通して、誰かのことを救ってみたいです」
「和生くんの声を欲しているキャラクターたちを、これから探しに行きましょう」
明日のことも、明後日のことも、未来のことも笹田さんには見えていない。
分からない未来の話をしているはずなのに、彼女の言葉はこんなにも俺を元気づけてくれている。
「それで、オーディションに落ちてしまった作品に関わっていた方々を見返しに行くの」
「その話、聞かなかったことにしてください……」
「幻滅なんてしないけど? むしろ和生くんは、かっこいいんじゃない?」
シチュエーション的には恋人同士のいちゃいちゃ場面なのかもしれないけど、俺たちの会話は甘くもなんてもなくて笑えてくる。
こんなにも笹田さんの温もりを感じさせてもらっているのに、それっぽい雰囲気にすら持ち込めない自分は男としてどうなのかなってかっこ悪い。
「見返すって発想がなかったけど、これからは私たちをオーディションに落とした人たちを見返しにいけばいいのよね」
「嫌だなー……声優笹田結奈の復讐劇……」
「復讐劇って言われると、燃えてくると思わない?」
「燃えないでくれるとありがたいです……」
そんなかっこ悪い自分がいるっていうのに、これはこれでいいやって思ってしまう。
これはこれで最高の時間じゃないかなって思い始めてしまう。
「……うん、よし」
高校時代の俺は、声優になった後の未来のことなんて考えていなかった。
ただただ笹田結奈を見返してやるって勢いだけでここまでやって来たから、遠い未来への不安が大きくなる日のことを真剣に想ったことがなかった。
「もう、いちゃいちゃは終わり?」
「別に、いちゃいちゃしてないです」
笹田さんに、もう大丈夫って意志を伝える。
笹田さんの熱を感じられなくなったことに寂しさを感じてしまったあたり、あれ? ってなってしまった。でも、多分、その寂しさも気のせい。
「もしも私がさっきの場面を隠し撮りしていたら、和生くんは真っ先に炎上……」
「やめてください! いちゃいちゃしてました! 認めます!」
「ふふふっ、冗談……冗談なのに……ふふっ、和生くん……反応が面白い……」
高校時代の俺が遠い未来への莫大な不安に気づいていたら、今はどんな人生を送っていただろうか。
それでも笹田さんを見返してやるっていう強い自分で、声優としての人生を歩み始めることができているだろうか。
それとも、どこかで道が分岐して、俺は声優という夢を諦めているだろうか。
「和生くん、和生くん」
相手の幸せに繋がることを、してあげたい。
「私は和生くんに優しくしてもらった、あの日から」
そう思っていたって、笹田結奈を見返してやるって気持ちを取り消すつもりはない。
「先輩として、この後輩くんのことを守ってあげたいなって思ったの」
近い将来、俺は笹田結奈さんと一緒に仕事をする機会があるだろうか。
「その言葉」
「和生くん?」
それも未来になってみないと分からないことではあるけど、そんな日がいつ訪れても大丈夫なように。
「俺以外の後輩には言わないでくださいね、先輩」
せっかく勇気を出して、かっこいい決め台詞のようなものを届けてみた。
でも、俺の声と表現では、決め台詞にもならなかったらしい。
笹田さんは俺の言葉に返答はせず、広間の出入り口の障子戸へと目を向けた。
「
俺がどんな言葉を返しても、どんな言葉を投げかけても、笹田結奈さんなら笑ってくれるのかもしれないって自惚れのようなものが生まれてくる。
「萌えるね! 萌えるね! あ~、現役声優のいちゃラブを生で聞けるとか、朝からお腹がいっぱい」
「私と和生くんの間には、何もありません」
「ちょっと、待った! 香耶乃さん、どこから聞いてたんですか?」
一人暮らしではなく、一緒に暮らすことの意味というものが頭から抜け去っていた。
気を遣わないと、会話の内容なんてものは筒抜けだということを改めて学ばせてもらう。
その学びが、俺の羞恥心を煽ってくる。
「声優って……良い声の人が多すぎるんですよ」
「和生くんの声だって、凄くかっこよくて優しくて魅力的だと思うけど」
いつもらしい彼女の口調に安堵して、そんな彼女らしさに触れることができている今の時間を好きだと思う。
「っぅ、そういう恥ずかしいことを真顔で言わないでください!」
その二つが、どんな未来に繋がっていくのか。
誰にも想像できない世界だからこそ、自分の選択ひとつひとつが今後に影響していく。
自分が相手の幸せになれるかどうかなんて分からないけど、自分が相手の幸せのためにできることがあったら、その人の人生に関わってみたい。
「隣、座ってもいい?」
「どうぞ」
これから笹田結奈さんを始めとする森村荘で暮らす新人声優、プロ声優たちが頑張っていくのに、自分だけが頑張らないなんて情けなさすぎる。
「ありがとう、和生くん」
自分を応援してくれる人たちや支えてくれる人たちのための芝居をやってみたい。
そして、笹田結奈さんを見返して、俺に惚れてもらうっていう予定にも変更はない。
俺が叶えたい夢は、まだまだこんなものじゃない。
「今日の朝ご飯、一段と美味しい気がする」
「そうですか、それは良かったです」
自分が抱えているマイナスの感情も、全部自分の経験として大切にしていかないといけない。
自分が不安を抱えていても抱えていなくても、こうして世界は循環していくのだから。
その残酷さと、その幸福に、俺は乗っかっていきたい。
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