第2話「世渡り上手になれない人と、愛される人の差」
「
「うわぁぁぁ」
「そんなに驚かなくても……」
背後から、大好きな人の声が届けられる。
「学校の帰り? おかえりなさい」
少女の顔のサイズに合わない大きな大きなサングラスが、俺たちの方をじっと見ていた。
肩に付きそうで付かないくらいの髪には、ゆるふわなパーマがかけられている。
背丈も高すぎず低すぎず、女の子らしい女の子。
だけど、瞳を隠す大きなサングラスには違和感としか言いようがないくらい彼女には似合っていない。
「あの、ちょっ、笹田さんっ」
見知らぬ少女がいることなど気にも留めずに、笹田さんは森村荘へと帰るために足を進めていく。
そして、サングラス少女の前で足を止める。足を止めるだけじゃなくて、驚いたことに彼女に話しかけている。
「入って、
笹田さんがサングラス少女に、優しい声色で話しかける。
男の俺が真っ先にサングラス少女彼女に話しかけたとしたら、急に声をかけてきた変人に思われるのは間違いない。
「ようこそ、森村荘へ」
「よ……ろしくお願いします!
共演させてもらっていた人気アニメに出演する女性声優さんの声って、こんな感じだったなと懐かしささえ感じてしまうサングラス少女のアニメ声。
「私です! 私!」
どこかで聞いたことのある声のサングラス少女は懸命に声を上げた。
綺麗な発声で、彼女の声ははっきりと、しっかりと、俺の聴覚を捉えて離さなかった。
「あ、私です! 私!」
サングラス少女は駆け足で俺の元まで駆けてきてくれた。
本人にそのつもりはあるのかないのか分からないけど、走り方までなんだか女の子らしくて可愛らしい。
その可愛らしさに免じて、彼女を待つのなんて、なんの苦にもならないって思ってしまった。
「八月まで、アミュライズプロに所属していた
彼女は俺の傍までやって来ると、体や顔のサイズにまったく合っていなかった大きすぎるサングラスを外して俺を見上げてきた。
俺も、一応は声優という職業をやらせてもらっていたんだなと思った。
俺の驚きは辺りに響き渡ってしまうくらい大きな声になってしまって、俺は汐桜ちゃんの小さな両手で口を塞がれた。
「しーですっ! 静かにしてくださいっ!」
「ふっ、ふん、ふん」
口を塞がれてしまっては言葉を発することができなくて、俺はなんとか静かにしますという意図を汐桜ちゃんに伝えた。
「こんなところで結奈先輩たちにお会いできるなんて、私は神様に守ってもらっているという証拠ですね」
森村荘の中へと案内された汐桜ちゃんは、廊下で力なくしゃがみ込んでしまった。
「引っ越し初日は、やっぱり緊張しますね」
水越汐桜ちゃんは、二歳年下の現役高校生声優。
アイドル声優っていう地位を着々と上り詰めている最中の子で、既にもう何作品かヒロインを務めているくらい人気も実力も兼ね備えている。
そんな彼女が出演する作品に俺もモブキャラAやらBなどで参加させてもらって、多分そのときのことを彼女はご丁寧に覚えていてくれたのだと思う。
(これから親しくなるわけでもない、こんな俺みたいな声優の顔と名前……覚えててくれたんだ……)
彼女と自分のデビュー時期は、さほど変わりがない。
声優としてスタートラインに立った時期は同じだったはずなのに、汐桜ちゃんは物凄いスピードで世間に水越汐桜の名前を広めていった。
「お帰りなさぁぃ」
すっかり外は暗くなったというのに、部屋に戻ると太陽のような眩しさを放つ
「今日は、汐桜ちゃんの歓迎会ってことで豪勢にしちゃった」
リビングには、自分では絶対に作ることがないだろう家庭的な料理がテーブルの上へと隙間なく並べられていた。
思わず声を出してしまうくらい感動してしまう。
実家に戻ってきたような懐かしい感覚というか……なんだろう。
とにかく、自分が想像もしていなかった光景が目の前に広がっていた。
「好き嫌い聞いていなかったんだけど、大丈夫?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
同性と言うことが理由なのか、笹田さんも十色さんも声優の水越汐桜ちゃんが入居するのを把握していた。突然の入居者に戸惑っているのは、俺だけのようだった。
「今日は久しぶりに力を入れちゃったぁ」
「四人で食べきれます……?」
「ふふふっ、男の子なんだから、たくさん食べた方がかっこいいと思うけど」
笹田さんに、そんなことを言われたからって食欲が湧いてくるわけではない。
けど、いつもより箸が進んでいるような気がするのは気のせいではないと思う。
「
「一人暮らしが長いから、自然とできるようになっちゃったの」
俺と笹田さんの間に会話はないけど、十色さんと汐桜ちゃんがいてくれるおかげで場の空気は華やかなものだった。
笹田さんも笑ってくれているし、それに何より一緒に食事をすることができている。
その光景を拝ませてもらえるだけで、幸せを感じてしまう。
(一人でアパートに帰る生活だったら、絶対に泣いてた……)
このまま幸せな時間が続けばいいのに。
俺がそんなことを思った瞬間を狙われたかのように、タイミングよく汐桜ちゃんが俺の名前を呼んだ。
「そういえば、汐桜ちゃんはフリーランスになるのよね?」
「はい。でも、ご縁があったら、声優事務所にマネジメントをお願いしたいなと思っていて……」
タイミングよく笹田さんによって挟まれた会話の内容に、口に含んでいたご飯粒を吐き出してしまいそうになった。
そんなギャグマンガみたいな展開あるんだなとか思っているどころの話じゃなくて、俺は冷静に現実と向き合わなければいけなくなった。
「プライズリードに勤務していた田淵マネージャーが独立して、リーチャープロジェクトという名前の声優事務所を立ち上げるんですよ」
汐桜ちゃんはフリーランスになったことに心配もしていないような眩い笑顔で、俺たちにリーチャープロジェクトの募集要項が書かれているフライヤーを鞄から取り出した。
(配布用の印刷物ってことは、一般公募?)
今の事務所への思い入れは、強いって言葉だけでは言い表せないほど強い。
初めての養成所でもあり、俺の声優人生をスタートさせてくれた場所。
先輩のバーターで仕事をがっつりいただいていたこともあって、その思い入れは物凄く大きなものになってしまっている。
(でも、俺はもう、この事務所に必要ない宣告をされてしまった)
汐桜ちゃんが次の事務所の所属に向けて動いている姿を見て、世の中には上手く周囲の人を頼ることができる人がいるってことを知っていく。
声優業界で食べていきたいって思っている人の数は、俺が思っている以上に多いんだってことを知っておかなきゃいけない。
(あのフライヤー見せてほしいけど……)
俺が見返すと決めた笹田結奈さんがいる前で、新規事務所のオーディション情報をくださいなんて言えるわけがない。
一般公募のオーディションだとしたら、自分でも応募要項に辿り着くことができるはず。
「あの、ごちそうさまでした! 俺、明日は学校があるので失礼します」
今の事務所と、今お世話になっている先輩たちのおかげで、俺は仕事をもらえていた。
周りへの感謝を忘れずに生きていけば、汐桜ちゃんのように未来を切り拓くことができるんじゃないかって期待を無理矢理に膨らませて食事の席を離れる。
(新人声優として、自身の技術も向上させたい。経験も増やしたい)
叶えたくても叶えられない願いを叶えるチャンスを、大好きで大嫌いな先輩声優【笹田さん】が与えてくれた。
彼女と演技力を向上させるためにも、こんなところで廃業なんて選んでいられない。
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