第9話「彼女だけが声優業界に生き残って、俺は未来にいないなんて」
「じゃあ、
「え」
「だって、和生くんは私のファンでしょ?」
数年後には消えているかもしれない新人声優を助けてくれる
そんな彼女の笑顔を守ってあげる力はないし、安っぽい言葉をかけて傍にいることもできない。
「っ、そうですよ! 俺とか、俺とか、俺の期待を裏切らないでください!」
だけど、笹田さんが躓いたときも、笹田さんが苦しんでいるときも、笹田さんが悩んでいるときも、力になってあげられるだけの後輩声優になりたい。
「私」
笹田さんの足が止まる。
足を痛めているはずなのに長距離歩くと言い張っていたから、足の怪我が悪化してしまったのかもしれない。
そう思った俺は笹田さんの様子を確認しようと、彼女に近づくために一歩踏み出そうとした。
「もう先輩のことは諦めます」
心臓が痛くて痛くて仕方がない。
たくさんのプレッシャーを背負いまくっていた、スタジオでの緊張感が体に甦ってくる。
「先輩に探してもらえるくらいの……ううん、違うね」
大好きな人は、大好きな声で、一言一言大切に言葉を紡いでくる。
たったの一言二言のセリフでしかないのに、体が異常なほどに熱くなってくる。
「先輩の恋人だって、誰からも祝福してもらえるような……」
引っ張られているって、分かる。
声優の笹田結奈に、体全部が持っていかれているって分かる。
「そんな人間になってみせるから」
これは、さっきまで笹田さんが演じていた望海のセリフ。
だけど、あまりにも笹田さんが心に訴えかけるような美しい笑顔を自分に向けてくれているから、勘違いしてしまう。
これは
「本当に」
「貴樹先輩?」
「本当に嬉しい……望海の気持ちが……」
人が行き交う街中で、一体何をやっているんだって思う。
でも、夜の始まりの時間帯と場所いうものが俺たちを助けてくれる。
人々の活動が落ち着いてくる時間帯で、もうすぐ
「生きたいって思ってくれて、ありがとう」
何度も何度も読み返した台本。
俺は主人公を演じるのが初めてだったから、セリフを暗記するほど台本を読み込んだ。
おかげで笹田さんのセリフに対応することができているけど、ほかにも仕事を抱えている笹田さんが台本を丸暗記するくらい読み込んでいるとは思わなかった。
「もう、先輩のことを好きって言うのをやめます」
「俺も、望海への恋心から卒業する」
結ばれなかった、ひま咲かの主人公とメインヒロイン。
これは恋愛シーンの練習で収録本番ではないのだから、今ならアドリブで二人の想いを繋いで両想いを演出することは可能かもしれない。そんな感動的な雰囲気が流れ始めていた。
「笹田さん……」
その、流れ始めたよさげな空気は一気に崩壊。
「なんで大事なセリフが棒になってるんですか……」
「仕方ないでしょ! 掛け合いになると棒になるの! なっちゃうの!」
肝心のヒロインである望海のセリフが棒読みになってしまうとか、流れ始めたいい雰囲気がぶち壊しになる。
申し訳ない気持ちと恥ずかしさでいっぱいになっている笹田さんを見ることができているのは貴重だなって思うけど、今の笹田さんでは
「最後に手、繋がせてもらってもいい?」
「え……続けるんですか……」
「練習! 付き合ってくれるって言ったでしょ!」
駆け出したばかりの新人声優に、守れるものなんて一つもない。
自分からやりますと率先して手を挙げたのに、もう既に心の耐久力があと僅かになってきている。
だけど、笹田さんの未来を応援してあげたい気持ちは本物だ。笹田結奈さんが高校時代の俺支えてくれたように、今度は俺が笹田さんの未来を支えてあげる番だ。
「こほん」
「はいはい、付き合いますよ……」
もう、一人でへこむのはやめよう。
俺が話しかければ、笹田さんは言葉を返してくれる。
言葉を交わすことを拒まれていない今なら、何があっても大丈夫だ。
「最後に手、繋いでもいいですか?」
「……本当は駄目だろ」
触れる。
言葉で表すと、たかだかそれだけの行為。
でも、それだけで笹田さんの温もりも優しさも、笹田さんの全部が伝わってくるような気が……。
「って! 笹田さ……」
「手を繋ぐお芝居」
笹田さんの言葉の、どれが本物?
笹田さんの言葉の、どれが芝居?
調子のいい自分には、笹田さんが与えてくれるすべての言葉を受け入れるように脳ができあがってしまっている。
「和生くん、セリフの続き」
「いや、えっと、あの、多分、望海のセリフです」
「嘘……」
「嘘じゃないです! 俺、丸暗記するくらい読み込みましたから!」
俺っていう生き物は、随分と単純な生き物だと思う。
プロ声優になって、笹田結奈さんと再会して。
笹田さんと楽しく話すってどうやるんだっけって真剣に悩んでいたはずなのに、今では自然と言葉が繋がっていくことに幸せを感じている。
「……えっと」
「私が追いつけなく……」
「私が追いつけなくなるくらいまで、遠くにいって」
友達でもなければ、職場仲間で終わる関係でもない。
俺たちの関係を形容する言葉が見当たらないってところが、森村荘の良いところでもあり悪いところでもあるのかもしれない。
「ありがとう、望海」
「本当に……本当に……ありがとう。貴樹先輩」
笹田さんと繋いだ手が、熱い。
汗ばんでいないといいなとか思いつつ、笹田さんとずっと同じ体温を共有していたいとも思ってしまう。by元気持ち悪いファンより。
「ふぅ……最後まで言えたー……」
「お疲れ様です」
「ああ! もう、このシーン、本当は和生くんと掛け合いたかったのに!」
また、名前を呼んでもらえた。
これが、現実。
ここからが、始まり。
笹田結奈さんから名前を呼ばれて、俺の新しい一日が始まっていく。
「笹田さんのおかげで、今日まで頑張ってくることができました」
「なに、そのバッドエンディング的なセリフ……」
不器用な生き方しかできない新人声優。
好きな人に振り向いてもらうための声優街道とか、馬鹿げているにもほどがある。
「和生くんは死ぬの?」
「死にません。今のは、今までの感謝の気持ちを述べただけというか……」
俺は、笹田結奈さんを見返すために声優になった。
あのときの恋心を傷つけた彼女に、ざまぁみろって言うために声優として食べていく覚悟を決めた。
過去の恋心が混ざってしまわないように、冷静さを装って言葉を交わし続けていく。
「変な伏線残すと、異世界に転生しちゃうんだから」
「あー、昨今の流行りだー……落ちまくってますけど」
「私は合格したけど」
「見ました、見ました、ネットで見ました……」
笹田さんと出演本数を比較してしまうと絶望的に差があるけど、それくらいの勢いがないと俺は声優業界で生き残れないって思っている。
笹田結奈さんを以上の声優にならないと、将来的には廃業という未来しか待っていない。
それが、俺が歩むと決めた茨の道。
「情報の解禁、今朝じゃなかった?」
「好きな人には愛を注ぐものなんですよ」
「もっと早く、私のファンだって話を聞きたかったなー」
大人と子どもの境界線は、どこに引く?
法律なんかでは定められない、本当の大人と子どもの境界線はどこにある?
いくら稼ぎがあるからって、俺は大人になりきれない子どもに該当する気がしてならない。
いつまで経っても大人になれない俺は、彼女を追い越すことができない。
「和生くん?」
「いえ、なんでもないです」
自分の未来を考えるだけでいっぱいいっぱいのはずなのに、未来の声優業界でも森村荘の面々が活躍していますようにと祈りを込める。
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