第8話「俺のこと、好きになってもいいですよとか言ってみたい!」
「私、お世辞とか社交辞令とかそういうのじゃなくて、本当に
あの、
「最近デビューした新人声優さんの中では、群を抜いて和生くんの芝居が好き」
笹田結奈さんの誉め言葉だらけの祝福に、なんだか泣きそうになってしまう。
「俺も……」
「和生くん?」
「笹田結奈さんの芝居も、声も、すっげー好きです」
ここは町のど真ん中で、俺たちが貸し切っていいような場所じゃない。
だけど、俺たちが話している内容に気を留めていく人たちは誰もいなくて。
それだけ、人は人に興味を持っていない。
「ふふっ、和生くんも褒め上手だ」
俺は、笹田さんだけを見ていて。
笹田さんは、俺だけを見てくれている。
そんな、夢にも見ることができなかった環境が今ここにある。
「だって、本当に……好きすぎるんです……」
「ありがとう、和生くん」
笹田結奈さんのファンをやっていた頃、いつかは名前を覚えてもらって、いつかは笹田結奈さんとお近づきになれて、いつかは告白をして受け入れてもらえる日を夢見ていた。
高校時代から両想いを疑わずに生きてきて、ちゃんと告白したら恋人の関係が始まるんだって妄想の中で生きてきた。
「お答えを聞いてもいい?」
声優の笹田結奈さんが、気持ち悪いオタクであった俺を不快だと思っていたと分かったあの日。
確かに、俺は傷ついた。
「笹田結奈さんの芝居は昔っから凄くて、ああ、この人は声優業界で仕事するために生まれてきた人なんだなって思っていて……」
男っていうのは単純な生き物だから、俺は笹田結奈さんとの両想いしか考えていなかったから、自分が思っていた以上の深手を負ってしまった。
「ちゃんと、笹田結奈さんの隣に並ぶのに相応しい役者になりたいって……そう思っていました」
それだけ傷ついたにもかかわらず、俺は声優業界で生き残るという道を選択した。
そして俺は、笹田結奈さんと話ができるところまで人生の駒を進めることができた。
「私、そんな完璧超人じゃないと思うけど?」
「俺にとって笹田結奈さんは、大っ好きすぎる声優です。ちゃんとお金をいただける芝居のできるプロです」
笹田結奈さんの人生を変えてしまった俺だけど。
笹田結奈さんの人生を地へと突き落としてしまった俺だけど。
「俺……笹田さんの役に立つことはできますか?」
声優の笹田結奈さんの役に立ってみたい。
先輩声優の役に立つなんて図々しすぎるってことは分かっている。
でも、声優の笹田結奈さんが俺のことを必要としてくれるのなら、声優の笹田結奈さんに声優の俺ができることがあるのなら、あのときの償いをしたい。
「和生くんが、プロでい続けてくれるのなら」
物凄い重圧をかけてくる、元大好きな人。
大好きな人の声で紡がれた言葉はあまりにも重すぎて、そんな重荷を新人声優に背負わせないでほしいって思う。
(それでも、この重さに耐えてみせる)
相手が元想い人の笹田結奈さんでもあり、相手が見返すと決めた相手でもあるからかもしれない。
「どっちが長く声優業界に生き残れるか、勝負ですね」
「あ、それ面白そう」
大好きだった笹田結奈さんに、自分が積み重ねてきた努力を認めてもらえたような気がする。
その嬉しさが、俺の思考を馬鹿にさせていく。
大好きな笹田結奈さんに頼ってもらえたんだっていう発想が、俺のことをどんどんどんどん調子に乗らせていく。
「ほら、高校生。ちょっとずつ歩き始めないと、帰る時間が遅くなっちゃう」
そこで笹田さんは視線を前に向けて、自分の足を庇いながらゆっくりと歩を進めて行く。
「あ、すみません! こんな町中で立ち止まっていたら邪魔ですよね」
今度は笹田さんが俺の先を歩いて、俺が笹田さんのあとを追いかける。
足を痛めている笹田さんに追いつくのは容易過ぎて、再び笹田さんのペースに合わせながら歩くことになるのだけど。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
大人になるって、案外過酷なものだと気づかされる。
子どもは子どもで、できないことが多すぎる。
声優になるって夢を早く叶えたくて、とにかく年齢を重ねたいと思っていた。
だけど、大人になるって、できることが増えるってだけじゃ済まされないことが多くある。
「和生くんって、私のこと好きすぎない?」
「なんか誤解を与えるようなこと、言わないでもらえますか……」
恋人になりたい。恋人になりたい。恋人になりたい……!
そんな想いが募っていった高校一年の頃。
なんで恋人になれないんだろうって嘆いたこともあるけど、ファンの俺とプロ声優の笹田結奈さんとは住む世界が違うんだから恋人になれるわけがない。
「好きなのは事実ですけど、俺は笹田さんを越える声優になりたいんですよ」
かといって、声優の笹田結奈さんが好きだから声優を目指そう! という展開にはならなかった。
だって、初めて笹田結奈さんに恋をした瞬間から気づいてしまっていた。
「だから、好きすぎるって言葉の訂正を求めます」
俺は、プロの声優業界で活躍できるような器じゃないって。
笹田結奈さんと肩を並べる日なんて永遠に来ないって。
それくらい笹田結奈さんは凄い人なんだって、初めて恋をしたときから気づいていたから。
「それもそっか。大炎上声優に好意を抱く人なんていないってことか」
笹田結奈さんを炎上させるきっかけを与えた時点で、笹田結奈への復讐計画は完遂していると言っても過言ではない。
でも、たかが一時の炎上騒ぎで俺の心は満足しなかった。
だって、たかが一時の炎上騒ぎでは、俺の名前は笹田結奈さんの記憶に残らないと思ったから。
(だから、声優を目指した)
あのとき、あなたが傷つけた人間が声優になりましたって。
あなたが傷つけた人間は、あなたを超えるくらい人気で実力もある声優になったって。
笹田結奈さんの記憶から忘れられない存在になるために、声優を目指した。
「私のこと、好きになってくれてもいいのに」
とっても綺麗な笑みで、俺を見てくる笹田さん。
高校一年のとき、欲しくて欲しくて堪らなかった笹田さんの笑顔。
でも、今のプロ声優として仕事をしている俺なら、笹田結奈さんの笑顔を独占することができている。
(その言葉、そっくりそのまま返してやりたい)
俺のこと、好きになってもいいんですよって。
「もっと和生くんを魅了するために、芝居が上手くなりたいなぁ」
でも、まだそのときじゃない。
デビューしたての新人声優が向けるセリフじゃないってことは、自分が一番よく分かっている。
「笹田結奈ファンのために頑張るとか嫌すぎるんですけど……」
「嫉妬?」
「嫉妬ですよ。同担許可している人の神経を考えてやってください」
俺に惚れさせたとき、やっと俺の笹田結奈見返すぞ計画は終了する。
俺に惚れてもいない笹田さんに、好き好き言いまくったところで格好悪い未来しか見えてこない。
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