第6話 刺青の経緯

 ユエが、僅かに身を乗り出した。


「各領地を実際に治め運営しているのは、その土地の領主たち。そしてその領主たちを監督するのが、国であり、教会。教会を統括する教皇庁です。教皇庁は各領地の自治を許してはいますが、領民への迫害や横暴などもちろん認めていません。この国はそれなりに広く、中央からは目が届きにくい場所、というのはどうしてもあります。人々の訴えを直接聞く、その地でのしがらみや利権に関わらない者が必要なのです。一人でも多くの者たちを取りこぼさず、慈悲を与えるために。……という名目で、私たち審問官は存在しています」


「めいもく」

「ええ。名目です」


 無表情で繰り返したハオに、ユエは穏やかで、どこか優しげな笑みを向けた。その視線は柔らかいはずなのに、何かを見透かされているような気がして、落ち着かない。

 それでも一見すればその表情だけは、慈悲を語るに相応しい気がした。


 お茶を一口飲んだユエは、きれいに整った眉をわずかにひそめ、マグカップの中を覗き込んだ。

 シュエが淹れたお茶はいつも、ちょっとだけ渋くて苦い。そのせいだろう。


 ハオはユエの言葉を頭の中で繰り返した。ユエの語る「審問官」というものを、「名目」という意味を、考えながら。

 考えながら、テーブルの上にあるポットを引き寄せた。その中身を、口を付ける前の自分のマグカップにたっぷりと注ぐ。


 ポットの中身は村の北西に広がる森で春先に採取できる樹液、その樹液を煮詰めた甘い蜜である。

 教皇庁なんてよくわからないものよりも、樹液を出す木の方がよっぽど役に立つとハオは思っている。

 渋くて苦いお茶を甘くすることすらできないくせに、神様も教会も、偉そうな顔をして信仰を押しつけてくる。ハオにとって、信用できるものではない。


「弱き民に施す神の慈悲、それを体現する者、と言い換えても良いでしょう。慈悲深き神に代わり虐げる者を裁き弱き者を救う。神はいちいち人を裁いたりしませんからね。人を裁くのはあくまで人です。神の聖名を語り権力を振りかざす教皇庁ですが、全知全能からは程遠い。目となり耳となる者が必要なのですよ。あとはそう、教皇庁が重んじる、面子や体面を守るために。目の届かないところで舐めた真似をされることが、教皇庁は許せないので」


 ユエが続けて語った内容が上手く呑み込めず、ハオは困惑顔のシュエと顔を見合わせた。


 澄ました顔のユエは、シンが指し示した蜜が入ったポットの中身を覗き込んでいる。シンの「甘いやつ」という言葉を聞いて、慎重な手付きでカップに注いだ。


「……あんた、ほんとに教会の人?」


 ハオの知っている教会の人間、司祭とシュエは、二人共程度の差こそあれ本当に神の存在を信じ敬っているように思えていたし、毎日飽きる様子もなく神に祈り、教会に対しても敬意を払っていた。今ユエが口にしたその内容は、司祭やシュエなら絶対に言わないようなことのように思えた。特に最後の言葉は。


「君が思うより、ちょっとだけ立場のある教会の人です。もちろん必要な場合はそれらしくしますよ。ですが、君は上辺のお綺麗なお話は嫌いそうに見えます」


 ユエは口の端に笑みを浮かべ、澄ました様子で甘くなったお茶を飲んだ。満足そうな笑みを浮かべ「おいしいです」などと言っている。

 隣に座っているシンは、相棒のそんな言葉にも、先ほどの不遜とも取れる発言にも、なんの反応も示さない。


「今の話は、こう捉えてください。教皇庁も人の集まりである以上、神とは違い間違うこともある、と。……言い訳にも、なりませんけどね」


 シュエだけが、いつもの困り顔を僅かにしかめていた。

 隠しきれていない不信感が滲み出ているが、黙っているのは階級の問題だろうか。ストラが示す階級は、ユエの方が上だから。


「ハオくん」


 にこやかな笑顔を浮かべ、ユエがカップをテーブルに置く。重々しい音がした。

 ところどころお茶の染みがついた古いテーブルは、森の古い木から作られている。蜜と同じく、森からの恵みである。


「なに」


「単刀直入に聞きますが、君自身は顔のその刺青について、どこまで知っているのでしょうか。例えばそうですね。まずその刺青は誰の手で、入れられたものですか?」


 なんでそんなことを聞くのか、という反発心が湧いた。

 でもそれを口にするより先に、シュエがやや前のめりで口を開こうとして、ユエが無言のまま片手でそれを制した。


 ハオに喋らせろ、ということだろう。愉快ではない質問だけど、その扱いは悪くない。子ども扱いして、色んなことから遠ざけて隠されるより、ずっと良い。


「……司祭」

「亡くなった、セイラン司祭? 君のおじいさんの?」

「そう聞いてる」

「いつのことですか?」

「さあ、産まれてすぐって聞いてる。オレがわかんないぐらい前」

「産まれてすぐに、人殺しの証を?」


 ハオは返答の代わりに肩を竦めて見せた。質問をたたみかけるユエの表情には、なんの変化も見られない。


「誰を、殺した罪ですか?」

「司祭の娘で助祭。オレを産んだ人、だってさ」


 シンが顔をハオに向けていた。視線を感じる気がする。目元が見えないから、向けられている感情の種類もわからない。

 自分の母を殺す非道を詰るものだろうか。それとも、可哀そうな子どもと思われているのか。


 可哀そうと思う気持ちと、染みついた刺青持ちに対する嫌悪感は、大抵まったくの別物だ。

 多くは子どもであるハオに刺青があることに、なんらかの事情があることを汲む。勝手に汲んで同情して可哀そうだのなんだのという気持ちを滲ませながら、それでも拒否や拒絶をするのだ。


 ハオがこのままもう少し成長して、刺青があることに違和感のない歳になったら。

 その時に向けられる感情は、どんなものだろう。それを考えると不安で仕方がなくなる。


 ユエが何かを呑み込むように無言のまま瞬きをして、再び口を開いた。


「……詳しい経緯は、分かりますか?」

「知らない」


 なんで、と聞いたことはあった気がする。

 他の誰にもない、ハオだけにある顔の刺青。村人の多くがハオを避け、同じ年頃の子どもたちの輪に入ることもできず、まれに村に現れる他所から来た者たちの反応はもっと顕著だった。

 なんで、と思ったし、それをそのまま口に出したこともあった気がする。

 なんで自分だけがそうなのか。明確な答えは、誰からも返って来なかった。


 冷ややかな視線を寄こされ、無言で目を反らされ、聞かなかったことにされて、その度に自分の中で傷付くものがあるような気がして、そのうち諦めた。

 そういうもの、と呑み込むしかない。そう自分に言い聞かせた。そうするしかなかったからそうしてきた。

 だから今はもう、傷付くこともない。

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