第2話 罪人の証

 執拗にハオの口の中を覗く青年が動くたび、片眼鏡の鎖が揺れて小さく音を立てている。


「んー……、口の中を切ったりはしていないようですが……奥歯がないのは?」


 左右上下とくまなく視線を移動させた青年の手を、ハオは振り払った。


「……このあいだ抜けた。今じゃない」


 乳歯や子どもの歯、と言えば分かりやすかっただろうが、青年はハオの言葉を正しく理解したようだ。


「それは結構。丈夫な歯が生えてくるよう祈っておきます。歯は無事ですし、鼻も折れてません」


 青年の手が、ハオの腕に付いた土と小石を払い落とし、手首を掴んで立たせた。ハオに比べずいぶんと大きな手は、少しかさついていて温かい。

 膝に触れ、ズボンに付着した汚れも払い落した青年は、そこで満足したらしい。


「膝も手も異常なし。問題ないと思います。さて、家はどこですか? 送ります」


 ハオを見る青年には、馬鹿にした様子も、嫌がる様子もない。明らかに不吉な要素のある見ず知らずの子どもを、腕っぷしの強そうな男四人から守るために割って入るぐらいだ。

 腕に覚えがあってのことだろうが、それでも面倒なことではあるだろう。親切とか、お節介とか、そんな風に呼ばれる人物なのかもしれない。


 見ず知らずの人から受ける親切など、ハオにはあまり縁のないものだが、子ども相手であれば無理にでもそれらしくしようとする大人はいる。それくらいは、理解している。


 でも、そういうあからさまな子ども扱いに、素直に従うかどうかは別の話だ。


「いらない。これくらい慣れてるし。助けてくれたのは礼を言うけど。どーも」


 そっけなく言い捨てて立ち去ろうと、青年に背を向ける。走り去ろうとしたところを、背後から首根っこを掴まれた。


「ぐえ」

「まあ待ちなさい。慣れている、とはどういう意味です? 先程のような暴力に慣れていると?」


 青年のその声はあくまで穏やかな声で、悪意のようなものは感じない。


「掴むな離せバカ! 絡まれるのにだよ! 暴力ってほどのもんじゃないだろ!」


 振り解こうとするも力が強く、ハオを掴む手はびくともしない。


「まさか、足を引っかけて転ばせるのが? 紛れもない暴力ですよ。それよりも、それは子どもが往来で絡まれていても、遠巻きに見守るだけで誰一人助けに入ろうとしないことと関係があるのでしょうか?」


「知るか! あんた目ぇ見えてないのかよ!? 刺青あんだからしょうがないだろ!」


「しょうがない」


 ぽつりと呟くようにハオの言葉を繰り返した青年の手が、ハオから離れた。

 文句のひとつも言ってやろうと振り返ると、その顔がハオを見下ろしていた。容赦のない、観察するような視線に、思わず怯む。

 しかし一瞬真顔だったその顔は、すぐに微笑を浮かべた。


「刺青は一応、見えていますよ」


 なんとなく、ハオは左目を隠すように手で覆った。指先に触れる皮膚、青年の視線から隠した部分には、黒く色が付いている。ハオの目にある、黒い刺青。


「……じゃあ、分かるだろ。何のために教会サマは罪人に刺青入れてるんだよ」


 言いながら、粘度の高い泥のようなものが心の中で波打ったような気がした。

 視線の先に在る青年の黒いブーツは、ハオの話を聞いても動かない。もうさっさといなくなってくれればいいのに。


「それをあんた、ろくに話聞きくこともしないでさ。あいつらの言い分とか聞いてやんなよ。オレがどうしょもないクズかも、しれないし……」


 ハオの顔には刺青がある。

 顔にあるのは、額から左目を斜めに貫く一本の線と、それに垂直に交わるもう一本の線。黒い刺青は、教会が罪を犯した者に刻みつける「罪科の証」だ。

 ハオは、人殺し。人殺しだから、罪人の証である刺青がある。


「なるほど。君の言い分はわかりました。なんとなくですがこの状況も。ですが刺青の件は、とりあえず置いておきましょう。君、いくつです?」


 その声が予想に反し、あまりにも平静だったせいで、思わず顔を上げた。

 見上げた先に在る青年の顔は、声と同じくらい平静に見えた。ハオを見下ろすその顔に嫌悪感も、それに似たどんな感情も見当たらない。うっすらと微笑むその顔は、優しさすら滲ませているような気がした。


「……十一、だけど」


 馬鹿正直に答えてしまったのは、拍子抜けしてしまったからだろうか。

 だって、人殺しの刺青なのに。誰だって、何よりも気にするだろう。誰かの大切な人を奪った証で、そんな罪人が、真っ当に扱われていいわけがない。だからこそ、その証は隠せない顔に刻まれているのだから。


 誰の目から見ても明らかに真っ当でないハオに向けられる目は、世間は、優しいものではない。特に初対面ならなおさら。大体が無視か、先程のように絡まれて、運がない時は痛い目に会う。

 子どもであるという事実より、顔の刺青の方がずっと、重い意味を持つのだ。


 ハオが想像するどれとも違う反応をする青年は、軽く首を傾げた。片眼鏡の鎖が揺れ、光を反射して鈍く輝く。


「私の感覚だけではなく、一般常識に照らしてみても十一歳はまだ大人の庇護が必要な子どもです。まともな大人であろうと思えば、四人がかりで子どもを威圧し、暴力を振るうことはしませんし、するべきではありません。仮に君がどうしようもないクソガキだったとしてもです。抑えつけ、憂さを晴らすための暴力であっては決してなりませんし、からかうための暴力など論外です。私は人々の話を聞くべき立場ではありますが、それも時と場合によります。私としても、もちろん先ほどの男性四人の言い分を聞くことはやぶさかではありません。ですがあのような場合は、話を聞く前に弱者への一方的な暴力についての説教を行ってからと決めています。特に、相手が軍属であればなおさらですね。まあ、彼らが軍人か傭兵か趣味で訓練を受けただけなのか、現役か元かは知りませんが、明らかに暴力を行使するための訓練は受けているように思えました。そういう方々には、特に厳しく当るように心掛けています。むしろ今回は君の手前、そこそこ優しい対応をしたつもりです。本当なら骨の一本ぐらい折るか砕くかして、その療養中にこれまでの行いとこれからの生き方について熟考するよう促したいところでした」


 長々と淀みなく言い切った青年は、そこで片眼鏡を外した。

 知らない人物から向けられる、慣れない視線に居心地の悪さを感じる。それに、穏やかで平和そうな表情ではあるのだが、なぜか不穏さが滲んでいるように感じる。


「……あんた」

「はい」

「あんたの話、長くてよくわかんない。でも、なんかめんどくさいのは分かった」


 ついでにその言葉の端々に、そしてその雰囲気に暴力的なものを感じる。そんな言葉を、ハオは心の中で付け加えた。


「なるほど。なかなか面白い子ですね、君」


 気を悪くした様子もなくにこにこと笑みを浮かべる青年の顔は、不穏な上になぜか胡散臭い。


「ハオ!」


 そこに、割り込んでくる声があった。

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