第3話 注意一秒 火傷一週間


「うわちゃっ!」


 突然左手に焼け付くような痛みを感じ、ぼんやりとしていた意識が急激に覚醒する。

ああー、やっちゃったよ。

正月明け早々、なんてこったい。


**************


 時は少しだけ遡る。

令和七年一月十四日 午前七時過ぎ。

職場に入って流れるようにいつものルーチンを熟していたてるるさんです、右も左もご機嫌よう。


 ウチの職場は八時に勤務開始なのだけれど、いかんせんそれからじゃあ間に合わない。

ごみ回収車がね、早いのよ、とっても。

作業員の皆様お仕事ありがとうございますてなもんですが、

日によるとはいえ、八時からのんびりゴミ出ししてたんじゃ間に合わないくらい早く来たりする時もある。

かと言って前日から放置するわけにもいかず、ゴミ出しのためだけに毎日小一時間早く出勤しているワタクシであります。

……今の職場、かれこれ六〜七年続けているわけだけれど、そろそろ時間外手当付けてくれても良いと思うのよ?


 さすがに一時間はちょっと早すぎる。

でもさあ、早朝だと電車空いてるのよねえ。

うっかりすると座れる日だってあるわけで。

たまに電車が遅れた時だって、遅刻せずに余裕で出勤できるのは魅力だ。


 で、だ。

ゴミ出しのためだけに早く来てるので、他の作業をキリキリ始める必要は無い。

時給が付くならともかく、サービス早出でそこまでやれるかっての。

ゴミ出しだけはやるけれど、後は八時から爽やかにお仕事に入れるよう、ちょっと一服することにしている。

一服と言っても嫌煙家であるからして、タバコを喫するわけじゃない。

酒は論外、コーヒーも苦手ときて、残るはジュースかお茶になる。

たまーにジュースが飲みたい時もあるが、私は専らお茶、昆布茶、紅茶か白湯を愛飲している。

いつもはお抹茶、いい加減流。

とはいえ、なんとか千家できちんと習ったわけでは無いので、識者の方が目を剥くようなお手前ざます。

着物も好きだし、お稽古に行きたい気はあるけれど

さ、先立つモノがですね……我が家は本ゲル係数が突出しておりまして。

お月謝だけなら捻出できても、各種お茶会やらなにやら行事ごとが怖い。おいくら万円掛かることやら。

ってなわけでテキトーありものいい加減流(名称可変)


 用意するもの

抹茶

安曇野の天然水(近所のファミマで一番安い)

100均のプラボトル500ml(円筒形で広口、とても洗いやすい)

電気ケトル (Tiger電気ケトルわく子さん0.6L・私物)

お弁当用使い捨てプラスプーン(洗って再利用)

+アルファとして、スギナ粉(豊富なケイ素が育爪に良いと聞く)


 わく子さんは持ち込み私物なので、毎日退勤時には購入した時入っていた箱に納めてロッカーにしまっている。

そう、うすうすお気づきかもしれないが、私の職場に給湯室は無い。

飲料水も出ないのだから、当然お湯なんてあるわけがない。

流し場だって無いぞ?

地下のゴミ置き場まで行けば、雑巾やモップ洗い用の蛇口と排水口だけならある。

私はハンドソープ(やはり私物)を置いてここで手洗いをしているが

マンションの共有物と思われるらしく、やたらと減りが早いのが困りもの。

もはやトイレがあるだけありがたいと思え、な環境である。


 荷物を置いて制服に着替え、手洗いは地下まで降りにゃならんので後回し。

取り敢えずはキッチン用アルコール(これも私物だ)で手指の消毒。

安曇野の天然水をコップに少し取って

アズレンうがい薬(もちろん私物)投入。

流しがないのでトイレでうがい。

(アレルギーが酷い時には、ここでアイボン、眼洗いも追加される)


 わく子さんの満水線まで安曇野の天然水を注ぎ、スイッチオン。

500mlのプラボトル(透明無地な本体に黒一色の蓋、絵柄がないので気に入っている)にスプーンで適当に掬った抹茶とスギナ粉を入れる。

まずは底から二センチ程度に水を入れて蓋をし、カシャカシャ。

あらかた溶けたらボトルの半分までさらに水を注ぐ。

わく子さんは仕事が早いので、もう沸騰している。

ボトルの上部までお湯を注いで、また蓋をしてシャカシャカすれば

程よく泡立ち、クリーミーなお抹茶(スギナ入り)いい加減流が出来上がる。

お手軽ですね!

一月の寒い朝に一服のお茶。

これがありがたい。

お腹から温まるので仕事もスムーズに始められようというもの。



 だがこの日は違った。

まず前夜からがもういけなかった。


 母がまあ、起きる起きる。

早い時間から布団被って眠っていたから嫌な予感はしていた。

十三日の二十三時ごろにモゾモゾ。

声をかければ「おしっこ我慢してるんだよう」

いや、なぜそこで我慢するんだ!?

我慢しなくていいからトイレ行こうね〜と誘導して連れていく。

尾籠な話で申し訳ないが(←今更)あまり水分を摂っていないから、ちょろちょろしか出てこない。

が、済ませることはできたので、またベッドまで付き添ってお布団を掛けておやすみなさい。


二十四時

「おしっこ出ちゃったよう」

さっき行ったばかりでしょうに。

でもまあ申告してもらえたのなら良かったわ。

紙パンツ取り替えようね〜。


二十四時半

「おかあさんがまだ帰ってきてないんだけど」

「〇〇姉ちゃんはどこに行ったの?」

……お二人とも何十年も前に亡くなってるよ。


一時過ぎ

「おしっこぉ〜おしっこ出るよう」

はいはい、トイレ行こうね。


二時

布団の中で服を脱ぎ始める。

「お風呂忘れてた!」

こんな時間に入らなくていいから。


三時過ぎ

新聞が来た音で猫様お目覚め

「あさですにゃ!ごはんですにゃ!」

まだ朝じゃない、もうちょっと待て。

「まてないにゃ!おばあちゃんおこすのにゃ!」

ばふっ!(母の布団に飛び乗る@助走付き)

「ああああ、なんか来たよう!足が重いよう!」

猫(7kg)が乗ったの!今(引きずり)下ろすから!


三時〜四時

猫様独擅場。けもけも大運動会&独唱会場はこちらです。

「ごはんーーー!

ぼくのごはんまだああああーー!?」

まだに決まってるだろ、いい加減黙れや!


四時過ぎ

〇〇くん、待たせたな、そろそろご飯を出そうかね。

カリカリをお皿に入れてトッピングにウェットタイプを……

ってこらグリグリするな!手元が狂う、皿が見えん!

あ、ちょ!お母さん!一人で出歩かないでぇぇぇぇっ!

ズボン下ろすなそこでするなああああああ!


四時四十五分、

起床アラーム。

夜間攻防タイムアップである。

ほぼ徹夜やんけ。


 事程然様に睡眠時間を母と猫様へ捧げ尽くしての出勤であった。

睡眠不足で電車になんぞ乗っては

要らぬウィルスに取り憑かれるかもしれん。

免疫力を上げるには楽しく過ごすのも良いと言う。

よし、先日出たばかりの新刊を読みながら行こうか。



 食い道楽主人公が自宅ダンジョンで食材ゲット無双しつつも

無限湧きの雑草に心折れて家庭菜園に挫折するお話とか。

(おかしいな、この部分だけピックアップすると

ちっとも面白そうに聞こえない)


 美青年主人公無双に、ニヤニヤと気味の悪い笑顔を浮かべてのながら読み。

色々な意味で大変危険なので

良い子のみんなは真似をしないように。

駅階段や交差点では視線を周りに向けつつもやめられない止まらない。

夢中になって読みながら、職場に到着していつものようにお茶の支度。

プラボトルに抹茶をいれて、電気ケトルのロックを外し



 おいこらてるる、ちょっと待て。

主人公が出した暗殺予告ばりのメールで笑ってるんじゃない。

視線が釘付けになってるそのiPadを離そうか。


 ……と今なら全力で止めたであろうに。

後悔とは今更悔やんでも後の祭りと言う。




 電気ケトルのわく子さん。

丸っこいキュートなボディには、一体型でなく

完全に外すことのできる蓋が付いている。

蓋中央には給湯ロックボタン、

それを挟むように二カ所についているのは蓋の取り外しボタン。

二カ所のボタンを左右から挟むように同時に摘み押せば蓋が外れるので給水も楽々。


 抹茶の入ったボトルを左手で支え、目線はiPadの電子書籍に固定。

本文を読むのに夢中になりながら

右手は煮立ったケトルの蓋のボタン。


 さて、十人の読者が十二人くらいお分かりのことと思う。


 ケトルの口からプラボトルに細くお湯を注ぐはずが

不思議なことにケトル全量の熱湯が溢れ出した。

中央の給湯ボタンを押すはずが、どうしたことか

蓋が取り外されて全開になっていたのだ。

その時、何があったのか全く記憶にない。


 ともあれ、煮立ったヤカンの蓋を取って

左手目掛けてぶっ掛けたようなものだ。

ただで済むはずがない。

ヒキガエルのような野太い悲鳴と共に掛かった湯を振り払い、

火傷だやべぇ冷やさなきゃ!

でも水道は地下のゴミ置き場に行かないと此処には無い。

ペットボトルの安曇野の天然水2L(開封済み)を使っても

文字通り焼石(焼け手)に水(そして足りない)

振り向けば後ろに個室。

どこでも行けるドアじゃーないが、まごう事なき個室トイレのドアが佇んでいる。


 ……みず、あるよね、この部屋で唯一のが。

突っ込む?

突っ込んじゃう?中に?

毎日綺麗に掃除してるが。


 弓手ゆんでに激痛

馬手めてには尊厳。

とぅびー おあ のっと とぅびー。


 古きてるてるの悩み。

冗談抜きで本気で悩んだわ。

だがいくら掃除をしていると言っても

さすがにバイキンは目に見えない。

某農業系大学で醸しまくる誰ぞとは違うのだ。

何が付いてるか分かったものじゃない。

掃除用のビニテで覆っていればともかく

素手(火傷のバッドステータス)を突っ込む勇気は無かったでござる。


 迷いに迷い、何か無いかと見回して

ふと目に留まったは机の下の白物家電。

そう言えば居たね、君が。

その名も13L冷温庫くん。

(例によって例の如く私物である)

君のお腹にゃ夏から入れっぱなしの保冷剤が入ってなかったか?

思い立ったが吉日と

じくじく痛む手を庇いつつ、逆手で開けた扉の裏に

チーズに隠れる姿も初々しい、透明な地にブルーのプリント。

『私はここよ』『ここよ』『ここよ〜』といかにも涼やかな冷涼感を

サヌカイトの風鈴のように全身で表現(エコー付き)している

保冷剤(ミニ)×五個が鎮座ましましていて下すった!


 ありがた山の寒がらすってなもんでぇ。


 冷やしちゃ当てがい

溶けちゃあ冷やし。

取っ替え引っ替え冷温庫と左手の往復に勤しむ。

だがああ無情。時計の針、じゃなくて数字は待ってはくれない。

こんにゃろ電池抜いて止めたろかい、っても待つわけがない時間と回収車。


 とにかくゴミだ、ゴミだけは出さねばならぬ。

てるるは決意した。

必ず、かの落花狼藉のゴミを除かなければならぬと決意した。


 地下のゴミ置き場の水で手を冷やし、

極力左手に負担をかけないように右手片手でゴミ出しをする、するつもり、だったのだけれど。

この世の不幸は寂しがり。

不運と連れ立ってなかまをよんでやってくる。

この日はよりにもよって資源回収日。

ゴミ置き場で立ち尽くす私の目の前には

堆くうずたかく積みあげられた段ボール。いくつかは箱のまま中にぎっしり詰まってたりする。

ふざけんな、畳んで縛れやこんちくしょー!


 左手に力を入れられないので、片手しか使えないんじゃまとめるのも難しい。

床にPP紐を伸ばして段ボールを重ねる。

ぐるりと回した紐の片側を足で踏んで固定。

右手でからげて力の限りふん縛る!

この時二度に分けて十文字に紐をかけるのでも良いけれど、

最初に紐を伸ばす時、「の」の字の最初を突き出したような形で

くるりとひと回ししておくと良い。

紐が交差したところを段ボールの中央に合わせ、十文字になった紐は段ボールの四つの各辺中央に。

裏から見れば「田」の字の角ひとつを紐が丸く囲んでいる形になるように置く。

そのはみ出して弧を描いた紐は、囲んだ角を孕んだまま上に回し、反対側の紐端を潜らせる。


 本当ならここで『巻き』側の紐と先端の紐をぐっと引っ張って

一番上になった段ボールの辺に合わせて縛るとしっかり絞められるんだけれど、今回は諦める。

足で踏みつける都合上、一番下の段ボールの辺に合わせて締めあげる。

世の中の理不尽を思い起こして呪詛を吐きながら締め上げる。

にゃろう、あっちもこっちも好き放題ドンパチやってんじゃねぇ!

子供不幸にする奴が政権握ってんじゃないわよ!

声には出さねど頭の中で怒鳴りまくる。

ギッチギチと力も入ろうと言うもので。


 さて、世間には段ボールをまとめるグッズとやらも市販されてはいる。

重ねた段ボールの一カ所に穴を開けて紐を通すものだが

これがまた大変に迷惑なのだわ。

運ぼうにもバラバラぶらぶらするし、

一カ所だけ絞めてあるから末広がりになっていて

他の段ボールと積むことジェンガだ わかるな?ができない。

これだけのためにわざわざ単品で運ぶハメになるのもアホらしい。

結局紐を外してバラして縛り直すわけだ。

箱のまま出されるよりは、畳んであるだけマシだけれどね。


 次は瓶缶ですか、そうですか。

缶はともかく瓶ですよ問題は。

量があるとめっちゃ重い。


 ひどい時は割れガラスを突っ込まれてる時もあるけど

今回は大丈夫だった。

その代わりに香水瓶が入ってたけどね!

回収するのは飲料用の瓶に限るって書いてあるんだから

ちゃんと注意書きは読め?


 台車を寄せて、資源ごみコンテナの端を右手で持ち上げながら

下に突っ込むように台車を左足で蹴っぱぐる。

ふんぬっ!

そのままずりずりとコンテナを台車に乗り上げさせて運搬。

積み重ねることができないから、コンテナの数だけ往復回数を増やして対処するしか無い。

一時間早く出ていたので助かった。


 缶とペットボトルは軽いので大丈夫。

ヒイコラ言って運び出し、じりじり痛む左手を想う。

ぢつと手を見る。

あらやだぷっくり

蘭鋳らんちゅうみたい。


 冷温庫(しつこいようだが私物)の設定温度はマイナス二度〜プラス六十度まで。

ペルチェ式なので急冷は出来ないけれど、この際だ、朝に買ったサラダと乳製品を取り出して最低温度まで下げる。

保冷剤さん保冷剤さん、癒しのぱうわーを我に与えたまえ!


 おや?

重曹系入浴剤が如くにおびただしく湧き上がる我が祈りが天に届いたか。

呆れ返って見捨てる神もあれば

面白がって拾う神もあったようだ。

流石は八百万の神々の国。

冷温庫(私物)の庫内奥の金属板。

霜がついて凍っているではあーりませんか!

喜び勇んでちぇすとチルノーーーっ!と行きたいところだが

ここは慌てず騒がず落ち着かず(?)

ハンカチがわりのフェイスタオルをバッグから取り出して

金属板と手の間に挟み込んだてるるさんでありました。

水疱が張り付いて破れたら目も当てられん。


 この日は最低限の作業だけにして、皮膚科へGo

「すぐに冷やせなかったんです、すみません」と言ったら怒られた。

「何をさて置いてもすぐ流水で冷やしてください!仕事と身体とどっちが大切なんですか!?」

あー、前に歯医者さんでも言われたなあコレ。


 昔、差し歯になった黒歴史はともかく、

キズパワーパッドの大きなやつみたいなのをぺたりしてくれました。

コップを持つような形にしていた所に熱湯バシャアッだったので

親指人差し指周辺がランチュッチュしてます。

よく動かす部位なので気をつけて、水膨れが治るまで安静に。

しばらくこうして様子を見ましょうとのこと。


 利き手じゃないのが不幸中の幸い。

でも生活する上でやり難いったらありゃしない。

ボタン止められない、髪洗い難い、お風呂じゃ挙手しっぱなし。

長袖通すも引っ掛かる、そして毎朝靴履けない!

ギックリ腰よりは部位的にマシかもしれんが。

父上様、またもやお手数おかけします。

とりあえず布団畳みと母の紙パンツをお願い。

猫砂補充(←重い)も宜しくなのにゃ。


 ともあれかくもあれ、みずたまの破れぬ先に、被覆材をば奉れ。


五日過ぎたあたりから、痛みもだいぶと和らぎ、

体液を吸い出したパッドがびっくりするくらい膨らんだ。

かれこれ一週間ちょっと。

まだ多少痛いけど、ぼちぼち大丈夫そうな気がする。

取り敢えずこの程度の文章入力は出来たのでおk。


 再診時に安静解除してもらえますように。

今年は年賀状が出せなかったから

正月明けに寒中見舞い描こうとして用意してたハガキ、

来月にならないうちに片付けなきゃなのだよ。

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