第19話 記憶 埋まるブランク
いつからか、自分の過去に疑問を持ち始めた。
ごく普通の一般家庭で、父と母と、少し生意気な弟と一緒に暮らし、そこそこの進学校を出てそこそこの大学から国語教師になった…と思い込んでいたが、高校までの記憶が異常なまでに曖昧なのだ。
そして、常に何かが欠けたような感覚に襲われている。何か大切なことを忘れているような、大切な感情を失ったような心地で生きている。
その正体を探すために本を読み漁ってきた。哲学書も、小説も、ジャンルを問わず何でも読んでいた。そこに失った何かの答え合わせがある気がして。
気づけば家は本で溢れかえり、ぱんぱんの本棚に、読了後床に積み上げた本、机の隅に自然と本の壁が建つほどだった。
時折妙な夢を見る。大勢の人を殴り蹴る夢。胸ぐらを掴み、馬乗りになり、顔面が腫れ上がるまで殴り続ける夢。見るたびに寝間着が肌に張り付くほどの汗が全身を覆う。
今日もそんな夢を見て不意に目を覚ました。最近その頻度が増えているのは、疾駆セイバーとしての戦いのせいだろうか。
時計の針を見ると、まだ午前2時を過ぎたところ。
「二度寝…いや、このまま支度しようかな」
現時点での睡眠時間は3時間。普段2時間睡眠もザラなので、どうせ朝早く起きるのなら今でもいいだろう。
まとわりつく寝汗を流すべく軽くシャワーを浴び、タオルで体を拭う。どこをどう見てもただの人間にしか見えず、普通の人間でなくなった実感は未だ湧かない。
明るいミルクティーブラウンの髪を乾かしながら、スマホでニュースを読む。
糸川がいなくなったことにより怪人の事件が明るみに出るようになったのだろうか、怪事件と怪人が関連づけて報道されるようになったのを実感すると視界が霞み始めた。
夜明け前、ただでさえ暗い部屋。ぼんやりと何も見えないような状態で廊下に倒れ込み、そのまま気を失った。
***
倫悟の生体反応に変化があったとの知らせを慈亞から聞き、葵は急いで倫悟の家へ向かう。
「皆導くん、いるか?……入るぞー」返事はなく鍵も空いていたのでドアを開けると、上半身裸の倫悟がうつ伏せで廊下に倒れている。篤泰に連絡したのち、急いで駆け寄り体を起こす。
「っ皆導くん!大丈夫か!?」体を揺さぶるが返事はない。顔を顰めただうなされるように低く唸るのみかと思うと、ぼんやりと目が開いた。
「あんた、誰だよ…?」
倫悟がぼそっと呟き、葵は言葉を失った。
いつも丁寧で物腰の柔らかい倫悟とは思えない言葉遣いに表情。目の前にいるのは確かに倫悟なのに、絶対に倫悟ではないことが確信できたのだ。
「君は皆導くんじゃない…誰だ?」
「あぁ?当たり前だろ。俺は
鋭い目で訝しげに睨みつけた倫悟…ではなく蝗紀は、天井に手を伸ばし曇りガラスのように濁った橙色の瞳で葵を見つめる。
不信と狂気、そしてどこか妖艶さを孕んだその眼に突き刺された葵は、脳内をじりじりと焦がされるような感覚がした。恐怖するような吸い込まれるような、そのどちらともつかない不可思議な感情。いっそう強く拍動する心臓をぎゅっと抑え、葵は声を絞り出した。
「まだオッサンなんて言われるような歳じゃないが…それより、君のことを教えてくれ」
「俺は『Lazy Oranges』のヘッドだ。この名前くらいは知ってんだろ?」
Lazy Orangesといえば、5年ほど前に江田市全体を縄張りとしていた大規模な不良グループだ。葵はその数多くいるメンバーのうち二人の弁護を担当したことがあるため、その名に心当たりがあった。
「一応確認するが、君の年齢は?」
「17……なんだよオッサン、アンタもオレをガキ扱いするつもりか?」
本来であれば倫悟は23歳。葵とはちょうど10歳差だったはずだが、精神が過去に戻っているのだろうか?仮にそうだとしても、彼の人格が倫悟のそれではないことは確かだ。何が起きているのか理解できないまま、とりあえず倫悟の家にあるヘルメットを持たせ、バイクの後ろに乗せて慈亞のラボへ向かった。
***
「ふーん、やっぱり…ねぇ蝗紀くん、昨日何してた?」
宰苑と名乗った胡散臭い男に問われ、蝗紀はズキズキと痛みだした頭を抱える。
「っき…昨日も…いつも通り他のグループをぶっ潰してた、だけだ…」
「うん、そのあとは?」
宰苑は調子を変えず、不気味なほど淡々と問い続ける。
「そのあと…?そんなの知るか……いや、違う。顔は見えなかったけど誰か後ろから来たんだ…でも、そっからは記憶がない」
残った最後の記憶を絞り出し、背もたれに深く身を預ける。
なぜ自分がいきなりこんな姿になったのか、なぜ街並みが変わっているのか。わけもわからぬまま白い天井を眺めた。
「まぁ何が起こっているかというと、君はここ5年間記憶を改竄され別の人格を植え付けられていた。そして今、何故かそれが消えて君の人格が発現した…」
つまり宰苑と自分は、別の人格だった頃に知りあったのだろうか。空白の5年間に何があったのかも知らない。その間自分が何者だったのかも。
夜明けが近づき、空が白みだした頃にけたたましくサイレンが鳴る。
「おいサイレン、なんなんだこの宰苑は」
「逆!私の名前が宰苑だ!…ふふっ」
蝗紀の問いに答えることはなく、宰苑とコートの男はガタガタと支度を始める。
「皆導っ……飛岾くん、これを。あと俺の名前は葉刈葵、弁護士をやってる…覚えてもらわなくても構わないが」
ヘルメットを手渡され先ほどと同様葉刈のバイクに乗せられると、宰苑の車を尾けるようにどこかへ向かった。
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