4話-①:紅葉のブリューパブ作戦

 秋の紅葉が深まりつつある素晴らしい夕方に、エイダはハイスクール時代の友人、サラ・ウィンターズとブリューパブに来ていた。茶色に染まった木々が立ち並ぶワシントンの景色は美しい。そんな景色の中で、エールの注がれたパイントグラスを軽くぶつけ合い、二人してエールをのどに流し込んだ。


「素晴らしいエールね。 来るたび美味しくなっているような気がするわ。 キャシー」


 エイダは微笑みながら、隣で店員として働いている、見慣れた顔のキャリーに声をかけた。


「ありがとうございます!」と、キャシーが笑顔で返す。太陽のような笑顔だった。


「仕事を忘れたい私には、あまりにも神々しい笑顔ね」サラは少し大げさに肩をすくめた。


「CIAの仕事は過酷です。 休日くらい忘れましょう。 では、ごゆっくり、サラ、エイダもね」と、キャリーは軽く頭を下げて再び仕事に戻っていった。


「ありがとう、キャシー」


 休日に飲むクラフトビールは、秋の紅葉を眺めながらだと一層味わい深い。エイダはそう感じつつも、自身のエールの減りがなかなか遅いことに気がづいていた。サラも同じことを感じ取っていたようで、目を細めてこちらに声をかけてきた。


「いつもよりペースが遅いわね、エイダ」


「……まあね」と、エイダは少し視線を落としたが、それほど深刻な気分のつもりではない。けれど確かに今日は、エールの減りがいつもと違う。


「違うけどね」とエイダは微笑んで肩をすくめた。


「それより、あなたのところ、ボスが変わって大変そうじゃない? 外交畑のトップがスパイの世界のトップになるなんて、仕事に影響あった?」エイダはエールを一口飲んで言った。


「下っ端の私はそれほど変わらないよ。 上級幹部はヒーヒー言っているけどね」サラはエールを一口飲んでから、軽く鼻を鳴らして言った。


「相変わらずドイツで起きた暗殺未遂事件を追っているの? 亡命したロシア人のやつ」


「新型のマジック・ポイズンとかエグイ話よ」


「まさに映画の中の話って感じ?」


「イーサン・ハントばりよ」


「ベンジーじゃなくて?」エイダも大好きな映画なのであった。


「私は分析官だからね。 どっちかというとベンジーだったわ。 4までの」


「21世紀版コールド・ウォー」


「ホット・ウォーよりましよ」


「そりゃそうね」


「とはいえ、そこら中、火薬庫よ。 いまどき地下核実験なんてね。 亡命とノヴァヤゼムリャは関係していると見てる。 ヨーロッパもきな臭いけど、最近だとウクライナもそうね」


 サラははっとしたような顔をして、「って仕事の話はやめにしない? お互いの守秘義務に関わりかねないでしょ」残りのエールを一気に煽り言った。


「すでに私の知らない話が出たけど……。 そうね、世間話に変えましょう」


 エイダもまたエールをすべて煽った。


「マナシンクロナイザーについて、日本の意図をどうとらえている? 中国の李国家主席は、日本への対応をどうするつもりだと思う?」


 サラはズッコケるポーズをした。お茶目な娘だ。


「……思いっきりあなたの仕事(参謀本部付き諜報将校)の話じゃない! 休日のエールを楽しまない?」


「そうね、新しいのを買ってくるわ。 同じのでいい?」


「いいけど、あとポテトもお願い」


 エイダは注文を終え、両手でエールのグラスを二つ持って席に戻った。ポテトは出来上がり次第キャシーが持ってきてくれるだろう。


「さて、サラ。 話の続きだけど、趣味が仕事なの。 サラのとこのボスはアメリカにとっての中国を『最大の地政学的試練』だなんて言っているじゃない。 お互いの仕事に関わる最大の関心事でしょ」


「まあいいけど。 現在、中国共産党は、魔法派と科学技術派で分断されていることは知っているわね」


「我らが星条旗も馬鹿にできないけどね」


「それは置いといて。 ソ連の援助を受けて成立した中国の国家主席は、伝統的に魔法派閥出身の人間がリーダーシップを取ってきた」


「共産主義というか、権威主義的な国家は大体そうよね」


「そして現代の科学技術の発展とその重要性が増していっていることを受けて、中国は新しく強いリーダーを求めた。 それが科学技術派出身の『李志強』国家主席よ。 それまで政治的に強かった魔法派閥に対して、科学技術派の台頭により、分断が生じてしまっている」


「既得権益に対する防衛反応ね」


「近年まで経済力や軍事力が強くなかった中国は、発言力の低さを自覚して外交政策で強気に出ることは少なかった。 また先の大戦の負い目を利用して、日本から援助を引き出すしたたかさもあった」


 サラはエールを煽った。ゲフッとしている。これだから女子会というやつは良い。ゲフッとした勢いのままサラはしゃべり続けた。


「しかし、ここ数年の目覚ましい経済発展により、軍事力の強化を続けている中国は、日本やアメリカに対してかなり強気に出てきている。 特に日本へはそうよね」


「そこに来て、日本は非魔法使いに魔法へのアクセス機会を与えるマナシンクロナイザーの開発に成功した。 今、世界中の国がこの技術を喉から手が出るほど欲しがっているわよね」


「我らのアメリカが一番欲していると思うけどね。 もちろん中国も欲している」


 どういう裏打ちがあるかわからないが、CIA筋のサラも同じことを感じていたようだった。グレイヴス次官の話を出したい欲求に駆られたが、いまはこらえた。ひとまず中国の話だ。


「一方で日本の隣国である中国は脅威も感じているわよね。 アメリカは同盟国だけど」エイダは言った。


「それに一年ほど前に日本は憲法九条を改正したじゃない?」


「したわね。 でもあれは、軍事力の無制限拡張による軍国化を目指すものじゃないわよ。 法的に矛盾の発生している点を修正したに過ぎないわ」


 エイダは昨日身に着けた知識を披露した。ちょっと気恥ずかしい気もするが、学んだことは活かさなければ意味がない。


 サラは手をちょいちょいとやって、耳を近づけるようジェスチャーした。エイダは素直に耳を近づける。


「そこよ、ポイントは。 その点については筋が通っているし、その通りなのだけど、マナシンクロナイザーは非魔法使いだけではなくて、魔法使いの強化にも使えるようなのよね」


「‼」エイダは驚いてサラの顔を見る。ここでその件が来たか。サラはうんうんと頷いて続けた。


「どうやら、マナシンクロナイザーを魔法使いに使用すると、計り知れないほどの効果で強化できるようなのよね」


「ここまで来て、どれくらい強化されるかは話さないなんてことしないでよね」


「さすがに、ね。 日本は、ノーリスクではないのだろうけど、強化された魔法使いによるミサイルの威力と目標の照準・誘導強化によって、東アジア一帯の攻撃能力を手に入れたようなのよ」


「私、きのう日本の外交団と会談したのよ。 けど、そんな説明なかった……」


「よ! 少佐殿!」


「……」


「ごめん、ごめん。 とりあえず一気飲みしよ! 次は私がエール買ってくるからそれで機嫌なおしなさい」


 新しいエールが来るならそれでいいか。エイダはサラとともにエールを一気に煽った。サラが立ち上がり、エールを買いに行った。


 それにしても衝撃的すぎる情報だ。こんなに重要な戦略情報をあの二人は、というより日本はアメリカに共有しなかったなんて。


 少しばかり放心してしまっていると、エールのグラスを2つ持ったサラがポテトを持つキャシーとともに戻ってきた。


 立ち去っていくキャシーを見ながら二人してポテトを口に放り込み、エールで流し込む。どんなときでもエールは素晴らしい。


 サラは穏やかに肩をすくめてから口を開いた。


「今のところ、その部分の情報は極秘中の極秘らしいわ。 日本もアメリカにすべてを話すつもりはないのよ、少なくとも今はまだ。 いずれ公開するつもりだろうけど、現時点では外交カードとして温存しているのでしょうね」


「そして、サラ、つまり非公式にでもアメリカはその事実を知っているということは……」


「ええ、もちろん中国当局も知っているわね。 日本のインテリジェンスの弱さはお墨付きだからね」


「でも、そんな重要な技術の詳細を隠すって……。 どういう意図があるのかしら?」


 サラは、少し考え込むように視線をエールに落としてから、静かに言った。


「日本は、アメリカがこの薬剤を独占しようとしていることを警戒しているのよ。 マナシンクロナイザーが戦略的にどれだけ重要かを理解しているからね」


「心当たりがありすぎるわね」


「アメリカがその力を全面的に手に入れれば、日本の自立した防衛力が損なわれる可能性があると思っている」


「もう少し信用してほしいけどね」エイダの本心だった。


「というより、中国やロシアの動きを警戒しているのよ」サラはCIAらしい見解の示し方をした。


「マナシンクロナイザーをアメリカにすべて明かせば、アメリカの影響力が強まりすぎてしまう、そういうこと?」


「日本としては、あくまで独立した防衛の柱を保持しつつ、国際情勢における自国の立ち位置を守りたいのよ」


「東アジアの軍事力バランスが一気に西側に傾いてしまう、その恐怖が戦争を呼び起こす、そういうことね」


「それも大きいのだけどね」


「他になにかあるの?」


「日本にとって、アメリカは今後も経済的に重要なパートナーであり、同盟国でもあることは変わらない。 彼らはそう願っているわ」


「つまり?」


「これは日本の覚悟よ。 アメリカだけに戦わせない、自分たちも国際秩序安定のために血を流す。 したたかで頼もしい国なことだわね」


「自立した防衛力、ね。 国家意思を明確に持ち始めた、そういうことか」エイダはわかってきたような顔をしながら言葉を発した


「話を最初に戻すと、中国はそういった日本に技術や軍事力面だけでなく、外交的な姿勢も含めて警戒しているということね」


「日本は間違いなく専守防衛の国家で、これまでは守るだけだった」


「しかし、いまは大元の敵国内の基地を攻撃する能力を手に入れた」


「あくまで専守防衛の範囲だとは思うけどね」


 憲法改正からここに至るまでの話は確かに妥当な流れだった。改正前の憲法解釈では専守防衛の範囲内でしか軍事力を保持できないとされ、そのことが日本の防衛力整備に大きな制約をかけていた。(また脅威に対する先制攻撃もできない)しかし今、その状況を自らの意思で大きく変えようとしているのだろう。マナシンクロナイザーという新技術を得た日本は、より積極的な防衛政策へと舵を切ろうとしているのだ。


 日本の防衛費は年間予算でおよそ500億ドル(日本円にしておよそ6兆円ほど)で、世界に9番目に多く、それだけ見ると十分に思える。しかし、日本のGDPからすると決して多い額ではなかった。NATO(北大西洋条約機構)の加盟国は、GDPの2%を防衛費に当てることを義務付けられていた。NATOの事務総長は将来的に3%以上を示唆しているほどだった。それに対し、日本の防衛予算はGDP比1%。アメリカの軍事力を背景としつつも、自国のことは自国で守る意識のNATO加盟国とは雲泥の差であった。そのことからも、日本の防衛はアメリカ前提のものであり、防衛に対する国家意思が希薄であったことがわかるだろう。目を見張るほどの変化だと言えた。


 サラは少し得意げにポテトを食ってエールで流し込んだ。今更だが、ずいぶんと仕事の話がはかどってしまっていた。

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