4話-②:紅葉のブリューパブ作戦

「情報と見解は非常にありがたいのだけど、いいの? そんなこと話して。 結局仕事の話ばっかりになっているわね」


「私も結局ワーカホリック。 それにエイダの力になりたいし、この件については見過ごせない点もあるしね」サラはウィンクして言った。わずかに残るそばかすもあいまって、実に健康的でかわいいアメリカンガールのようだった。これでおさげまでしていたら完璧だろう。


「ありがとう。 話を戻すと、マナシンクロナイザーの効用にはそれだけ期待感があるということだよね?」


「そう見ておいて良いと思う」


「どう対応すべきだと考える? 私は少なくとも、少数だけでも入手するリスクは取るべきだと考え始めている」


「米日同盟を錘として天秤に乗せても?」面白そうな顔をしてサラは尋ねた。わからないから聞いているのではなく、二人の整理のため、あえて口にしたのだった。


 東アジア、引いては国際秩序、そのバランスオブパワーこそが天秤といえた。そしてその天秤を持っているのはアメリカ合衆国。傲慢な考えかもしれないが、それは度し難いほどの事実でもあった。すべての意味で、世界の半分の秩序はアメリカ抜きにして語れないからだった。もちろん、もう半分との釣り合いもアメリカ抜きに語れない。それが泡沫のように消えてしまう、そういう話をしている。


 米日同盟の存在を知る人の多くは、日本が単にアメリカに守ってもらう関係にある、そう了解していた。


 それは言葉通りの事実ではない。アメリカは中国やロシアの牽制のため日本を守っていたわけではないし(あくまで手段)、ましてや善意ではない。アメリカが守ろうとしているもの、それはアメリカ合衆国を海洋大国たらしめる要素の半分だった。つまり世界の半分の貿易を管制する、その地位だった。


 それは日本を中心とする世界地図を見れば一目瞭然のことである。太平洋への出入り口と化した四つの列島は、現在のところ中国にとっての鍋蓋となっている。しかし、日本との関係が悪化した場合、その存在は逆転することになる。日本は国家意思を明確に持ち始めるほどの理由、マナシンクロナイザーを手にしている。中国に向いているその牙が、いつまでもその方向に向いている保証はない。


 最悪のケースとして、日本と中国が接近したとしたら、三つの大洋のうちの一つである太平洋を失う(少なくともハワイまで)。さらに、大西洋を越えた先のインド洋までも失うことになれば、半分どころか三分の二という、恐ろしい規模の権益喪失となる、米日同盟はそういう錘だった。


 その米日同盟を錘として乗せられるか、サラはそう問うているのだった。


「アメリカ軍も錘よ」エイダは下士官や兵から尊敬される何かをたたえた瞳で答えた。それは狂気とも言えるかもしれない何かでもあった。自身を含めたその他の命を錘とする覚悟、それは理想的な将校であると言えたが、同時に狂気と言って差し支えなかった。エイダは続けた。


「可能なかぎり、米日同盟はベットしたくはない。 日本との良好な関係で達成できればと思ってる」


「つまり他の役者の演技しだい、ということね」エイダを理解しているサラは本質的なものを秘めた瞳で続けた。「つり合いを取るには、もう片方にも錘が乗せられなければいけない。 だからこそ、アメリカが乗せるべき罪の重さもわかる」


 罪、サラはそう表現した。罪なのだ。そのことから目を背けてはならない。


「中国、李国家主席は間違いなく外交的な圧力を強めてくると?」


「軍事的なオプションまで検討している可能性すらある」


「それって最近増えている人民解放軍機の日本領空への領空侵犯が増えている話?」


「それは氷山の一角」


「日本海で人民解放軍の動きが活発化していることも観測しているけど、あの国は定期的に似たようなことしているし。 実際、台湾統一を掲げる中国があのあたりで活動を活発化させても、現状狙いが絞りにくい」


 サラが『マナシンクロナイザーの魔法使いへの使用』という極秘情報のカードを切ってくれたので、エイダも軍事情報のカードを切って話を深めるきっかけにした。決して気を抜いたわけではない。


 おそらくサラは知っていてもおかしくないし、すでに日本の外交団にほのめかす形で情報を渡している。それを上司に報告して咎められてもいない。問題ないだろうとの判断だった。


「中国政府内では、おそらく台湾よりも日本の方が喫緊の課題として優先度が上がっていると見て間違いない。 緊急度の高いそれとして」


「中国が日本に宣戦布告して侵攻を開始するとでも? 日本に一体幾つのアメリカ軍基地があると思っているのよ。 日本への全面侵攻はそれ即ちアメリカも安全保障条約に従って、即時参戦するということよ」


 米日安保条約に基づいて、日本には130か所の米軍基地がおかれていた。約5万5000名の米兵と相当数の軍属、その家族約4万名が駐留しており、それらを無視して日本への侵略行為は不可能と言えた。


「仮に日中有事が発生したとして、日本はおそらく、ギリギリまでアメリカを参戦させないような動きをすると見られてる」


「アメリカの参戦、それが第三次世界大戦の勃発を意味しているからよね?」


「日本はそれを理解している。 世界大戦を二度と起こさない覚悟を決めてもいる。 おそらく中国はそういった日本の姿勢を見抜いているわ」


「とはいっても、綱渡りであるのは中国にとっても同じよね? いくら中国の軍事力が加速度的に伸びていると言っても、軍事力の差を考えると、中国が今以上の行動に移る蓋然性は低いように思えるわ。 それとも何か根拠があるの?」


「……エイダ、これオフレコにできる?」


「努力はするけど、内容に寄るかな。 状況次第で私の上司には報告と相談をするかも。 もちろんソース(情報源)は明かさないわよ」サラがこのようなことに気づいていないわけがないが、エイダは念のために確認の言葉を発した。


「エイダが話す時点でソースはかなり限定されてしまうけどね。 まあ私が話す時点でそれは織り込み済みだし、上手くやってよね」サラは苦笑いをした。論理的なことを考えている顔つきをしながらサラは続けた。


「根拠というか、憶測も含めてだけど、今後の想定シナリオとして二点あるわ。 まずは一点目、アメリカ政府内に、熱烈にマナシンクロナイザーの独占を望んでいる勢力があるということなのよ」


「国務省ね」


「知ってるなら話が早いわね」


「さっきも言ったけど、昨日日本の外交団と会談の時間を持ったのよ。 その時、同席していた国務省の官僚は、マナシンクロナイザーへの野心を隠そうともしてなかったわ」


「そいつらが、状況を加速させ、日米安保を根拠に自衛隊を指揮下に組み入れて、強制的にマナシンクロナイザーを手に入れるシナリオはあると思うわ」


「やりすぎね……」エイダは汚物を見るような目つきで空中を見上げて呟いた。


「経済的な繋がりとしては、蜜月ともいえるアメリカと中国の関係、今はまだアメリカの軍事力が上回っていること。 中国はアメリカ軍の参戦無しだと確信しない限り、具体的な行動には移らない。 そんな中で、消極的にせよ状況の悪化を望む連中が企むことといえば……。 ああ、恐ろしい。 おぞましい鳥肌が止まらないわね」


 サラはオエーという顔つきをしながら、体をブルっと震わせて両手で体をさする仕草をした。会話内容は深刻だが、どんな状況でもユーモアを忘れないサラの人懐っこさとおかしな顔に、エイダは笑ってしまった。


「口に出すのは憚られるけど、何が赤色に近い黄色信号かはわかってきたわ」


 分水嶺に立っていることを知らずに取る行動の結果はたいてい悲惨だ。決定的な状況であると認識することができる情報は、軍人にとってはありがたい。


「友人が、燃えていると知らずに飛び込んでいるのは見たくないからね」


「うん。 二点目は?」


「二点目は、最初にも触れたけど、中国国内の不安定な政治情勢についてね」


「科学派と魔法派の分断ね」


「近々、人民解放軍海軍の『東海艦隊』が日本海で演習を行うわ。 艦隊司令官は『周玄武』少将。 当然のことながら魔法使い」


「ゴリゴリのタカ派ってやつか」民主主義国家の軍人としては理解しがたい顔をしながらエイダは言った。


「この演習を、『李志強』国家主席も見学することになっているらしいのよ。 『李』は科学派のリーダー」


「本来なら『東海艦隊』の演習に参加することは考えづらいと?」


「それなのに、今回は特別に招待されている」


「両派閥の雪解けを意味し、連携強化による人民解放軍の強化を目的としているのであれば、日本だけでなくアメリカにとってもやっかいな話ね」


「建前はそうなっている」


「罠の可能性もあると?」


「その可能性も否めない。 手持ちの情報はこれでカンバン」両手を空に上げ、ブラブラさせながらサラは言った。


「演習自体が日本に対する圧力を高めることが目的である以上、最悪の状況は想定しておいたほうが無難か……」エイダは難しい顔つきをして言った。


「役者は出そろったわね」


「中国の両派閥、アメリカ国務省、アメリカ軍、そして日本とマナシンクロナイザー」


「何か見えてきた?」


「作戦計画の想定はできそうね」エイダはエールを飲み干し言った。


「オッケー! 辛気臭い話はこれでおしまい! 貸し一ということで、ダンスしに行かない?」サラもエールを飲み干し立ち上がり言った、腰をくねくねさせている。


「いいけど。 ほかに何かないの?」


「ないわよ! ほら、私たちの二十代はもう残り少ないのよ。 時間だけは誰にとっても平等だわ。 ついでに良い男が見つかるかもしれないしね」


「私たち、気が強すぎて大体すぐに向こうが離れていくじゃない。 それに時間がなさすぎて大抵関係が続かない」


「面倒くさい娘ね! エイダ、あなた帰国直後にメンタルケアにかかったんでしょ? 辛気臭い話ばっかしてても悪化するだけよ。 体動かしにいきましょ!」


「あれは命令で、別にどこかを悪くしていたわけではないのだけど……。 まあ行きましょうか」


 言葉とは裏腹に、帰国後のエイダのメンタルは傷ついていた。そのことでケアは受けたが、エイダの自尊心の通り、ケアを受けずとも自己解決していける範囲ではあった。とはいえ、久しぶりの親友とのダンスもそれはそれで高揚したし、気分転換には良いだろうと思えたのだった。


 エイダとサラはブリューパブを後にし、近くのダンスクラブへと向かった。夜の街は活気に満ちており、二人は仕事のストレスを忘れ、音楽に身を任せ、踊った。


 途中、ナンパな男が二人、話しかけてくるが、エイダが微妙そうな顔をしていると、サラが良い感じに追い払ってくれる。


 飲んで踊ってを繰り返していると、いつの間にかかなりの時間がたっており、夜も更け切っていることに気づいた。


「さて、久しぶりに親友にも会えて、飲んで踊れたし、私は満足だわ。 帰りますか」


「ええ、帰りましょう」


「あんま辛気臭い顔ばっかしてんなよ! 男が寄ってこないぞ!」


「あなたそればっかりね。 でもありがとう。 いろいろ助かった。 バイバイ!」エイダはクスっとしながら、クラブを後にして手を振る。


「いつでも連絡してくれていいんだからね。 それじゃまたね」


 片手をポケットにつっこみながら、背を向けて手を振るサラをエイダは見送る。


 おっさんか!と内心突っ込みながら、少し気分が晴れやかな自分自身に気がついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る