リトル男の潜入

「さぶっ」

 朝は冷え込み、ベッドとお風呂が恋しく感じる。このまま毛布にくるまり、早めの冬眠を迎えたいところだが、あいにく私は人間のためそのような機能がない。それならば温まる二つを組み合わせれば。毛布にくるまりお風呂にダイブ......。水死体になって発見されそうだな。やめとこう。

 では逆に、寒いところに行ってしまえば良いのでは。朝起きて、牛連れて、二時間ちょっとの散歩道......。だめだ、確定遅刻になるし、そもそも牛がいない。いつも通りのルーティンを回せば、次第に体も温まるだろう。結局いつもの固執した考えを抱きながら、モソモソと這うように毛布から出て身支度をした。

 制服を着れば寒気を体から守ってくれる。多少はマシになった。あぁ、忘れていた。今日は私服も必要だったか。クローゼットをガチャガチャと探り適当に手に取る。パーカーにジーパン、まぁこれでいいだろう。特に洒落を考える場所でもないし。

 そのまま私服をリビングに投げて(テーブルには乗っかったから良し)冷蔵庫を開ける。しまった、中には一般家庭のよくある食品ばかりだ。いつもの携行食料は何処にもない。携行食料を買ってから学校に行かなくては。朝食というのは大事なのだ。決して怠ることは出来ない。......携行食料だとあまり意味ないのか?まぁいい、朝食を摂ったという事実があれば、健康だと錯覚できるのだから、内容は何でもいい。

 「お腹空いたな」と吐露しつつ、すごすごと家をでて、白くなりかけの息を吐き出しながら歩く。

 100キロルクスの光線が、鉄塔の隙間からぼんやりと帝都を照らし、朝靄が煌々と輝いていた。


「今日は忙しい中見学をさせてくださり、ありがとうございます」

 こういう感謝というのは見学の最初にやるものなのか?という疑問は残るが、感謝が伝われば何でもいいのだろう。アヤノは深々と頭を下げて感謝の意を述べている。淑女そのものだ。正直可愛い。

「こちらこそ、わざわざ気にかけて見学まで来てくれて嬉しいよ。学校終わりでしょ?疲れてる中すごいね」

 そう、ちゃんと学校にいって、ことごとくつまらない授業に一日の4分の1を費やしている。悠久の時にも感じる授業は退屈そのものだ。だからここでは1000文字近く書くことになるであろう駄文を、バッサリとカットしている。つまらない物を長々と書くのは忍びない。

「今日はLAB00の見学ですか?」

「申し訳ないけど、LAB00は見学できないんだ。LAB01と鉄塔を見てもらおうと思ってるよ。じゃあ早速行こうか。──あぁそうだ。名前がまだだったね。僕の名前はヨーゼフ・テアボーフェンというんだ。よろしく、ヨーゼフとでも呼んでくれ」

 ヨーゼフと名乗った彼は、端正な顔立ちに金色の短髪。彫りが深く、眉は薄いものの吊り上がっていて威圧感も感じる。年は四半世紀は超えているが、半世紀は経っていないぐらい。そして年相応の額の横しわに二十顎。とても私達とは年代と姿が似通っていない。正確に言えば、私達とは人種として違った。まぁLABは名前からして科学系の施設だ。外国人(この国は海外領土があるから一概には言えないかも)の登用も普通だろう。深読みする必要はなさそう。海外資本がどうとかいう、いわゆる陰謀論と暴論、略して陰暴論を。

「よろしくお願いします。ヨーゼフさん」

 いつも通りの声色で、アヤノのように特に外面を化粧することなく答えた。


「ここがLAB01の制御室だ。君達は中学校で一度説明を受けていると思うけど、このLABは原子力発電を担う施設なんだ。だからあまり一般の人は入れないし、稼働時間も夜半だったり早朝だったりまちまちなんだよ」

 彼の言われるがままについていき、一見すればミニマリストの住む部屋のような場所に案内された。ミニマリストと形容してみたが、よくよく見れば壁面はメモやら油性ペンで書いた跡やらが残されていたり、正面の大きなガラス壁の前には、仰々しい機械(多分制御用の装置か何かだろう)があり、ミニマリストにしてはあまりにもごちゃごちゃした部屋だった。ミニマリストにしてみれば。

「どうだい?この青白い光なんかは、幻想的だろ?綺麗だけど、この空間で帝都の電力を賄っているんだ」

「なんか思っていた感じじゃなかったっす。もっと、なんというか、薬品とか、科学系の実験とかしてたのかと」

「まぁ無理はないさ。LABなんていかにもな名前してるし、原子力発電なんて考えもしないよ。でもLAB00は医薬品の開発をしているし、実験だってしている。結果が左右されないように、一般の人は入れないようになっているんだ」

 コタロウはどうにかして原子力発電以外のことを聞き出している、が多分ここは十中八九発電所だろう。ガラス越しに移る幻想的なチェレンコフ光をアヤノと一緒に見ながら、感覚的にそう感じる。

「基本的にはここがLAB01のほとんどを占める。後は、これから紹介するけど、家庭用の原子力機器だったり軍事物資も製造しているよ。そっち行ってみようか」

「......分かりました」

 そう言って、辟易としながらヨーゼフさんの広い肩幅と高身長を見て付いていった。私達はこの時点で、半ば進捗がないことが分かり始めていた。ここは原子力発電所で、それ以上でもそれ以下でもない。正確に言えば軍事施設だが、そこに他意はないだろう。LABにはリトル男のリの字もなければ影もなかった。


 特に何も成果がなく、LABの見学が終わる。やはり製造所にあったのは、手で持てるサイズの原子力機器と銃器、爆薬あたりの装備類。人の陰など何処にも存在しなかった。

 鉄塔の展望台に行くために、エレベーターで昇っていく。私達は体だけが押し上げられて、心は下に沈殿して落ちていくようだった。鉄塔は中から見ても普通の鉄の塊。なんら変なことは無いし、そもそもあっても見せないだろう、そこを考えていなかった。ノータリン達の浅知恵では謎に手を触れることさえできないのだろうか。そんな考えも、エレベーターについていけず、鋼鉄の崖下に落ちていく。

「この鉄塔って何の役割があるんですか?」

 そんな疑問が、考えもなしに口に出てしまった。私の個人的な疑問、鉄塔とLABの役割と帝都の格差。それを誰もが静かに聞いている。気まずいほどの静けさだ。

 ちなみにアヤノは高所恐怖症のため下で待機だ。こういう時は我慢をしてほしいものだ、当事者なのだし。

「......うーん。実を言うと僕達もよくわかっていないんだ。鉄塔の役割は22時の時報だけだし、それだったらこんな仰々しい建物もいらないしね。僕達は指導者Reichs fatherの権威を見せるための建物だと、思ってるよ」

「そうですか。......なんか、世界の物事って、自分の思っている以上にくだらなくて、つまらないものですよね。自分達が勝手に大層な物だと妄想して、結局は予想を超えない。そんな生活の繰り返し。だから人間は妄想の産物である創作物なんかに、思いを馳せてしまうんだと思います。──あ、すみません、急に変な事を」

「いやいや大丈夫だよ。モラトリアムは考えることが本分だ。色々な事実に気づくこともある。そういう大人から見たら卑屈だと思われる考えが、実はこの世の摂理だったりもするんだし。だけどね、『事実は小説より奇なり』なんて言うことわざがある通り、実はずいぶん大層な物だったみたいなこともあるんだ。だからつまらない事にも真摯に向き合ってみたら面白いかもね」

「すんません、いったい何の話を?」

 モラトリアムの欠片もない人が疑問を投げかけていたが、それと同時に展望台に着く。ガタンと不安な音を立てながらエレベーターが止まり、ゆっくりと扉が開いた。帝都を一望できる唯一と言っていい展望台だ。それはそれは素晴らしい景色であった。そして私達の体を、寒気の棘を纏う風が吹き抜ける。

「うへぇ。壮観ですね、この景色。帝都を一度に全て見るのなんて初めてですよ」

「そうだろう。帝都には600メートルある建物は存在しないからね。この鉄塔は昇るだけでも、僕達のやりがいにつながるものがある」

 コタロウの小並感にもしっかりと対応していて、ヨーゼフさんはなんて良い人なのだろうと考えつつ、柵に肘をついて学校の方向を見る。

 天高くそびえる鉄筋コンクリートが並び立つ中心街、小さいコンクリートの塊が有象無象に乱立する郊外、そして、鉄と木の混ざる建物がポツポツと孤立している疎外地。疎外地というのはまずいか、あの高校の8割はその地出身なんだし。言い換えるとしたら......帝都の中で捨てられた地域、廃棄地とか。だめだ、もっとひどくなった。堂々巡りで初めの疑問に立ち返る。気づいたら立ち返っていた。何故あの地域は、荒んでいる?

「気になった事、あるんですけどいいですか?」

「ああ、勿論いいよ」

「なんで私達の学校の近くってあんなに、えっと、なんて言うんですかね、中心街とかと違って、荒んでいるというかなんというか」

「えっとね、あの地域は途上地なんだ。戦争があったときの中心地でね。昔はここよりも発展していたんだ。でも、ここだけの話、あの地域はもう発展することは無いんだ。戦争の被害が大きすぎた。舗装されてる場所以外は不発弾やら土地の汚染とかで、とてもじゃないけど住めない。だから途上地と呼ぶのはある意味で不適切。しいて言うなら、酷いけど放棄地とかかな」

「いえ、真っ当な命名だと思いますよ」

 戦争の被害。戦争というのを経験していない私にとっては、とても遠く、未知なる代物で、どうにも想像が出来ない。だが、帝都は戦火に遭いその影響で帝都の格差が存在するというのは、きっと事実だろう。そして、その格差は消えることがない。

 今回の案件は何かと戦争に関する話題が多くて嫌になる。いつもの楽しんで行う雰囲気では全くない。いや、もしかすると私の知っている全ての事象は、見えない所で戦争と密接な関係なのかも。......飛躍しすぎか。

「私は、あの地域を何とかして発展させてみたいです。ずっとこの格差について悩んでいた、それが判明した今、どうにかして手を差し伸べてみたい。色んな謎を解明して、帝都全体に幸福を与えたい。だから、私は帝都の全てを知りたいんです。悪い事でも、目を背けないで。......なんて、夢物語語ってすみません」

 一応言っておくがほとんどが嘘だ。あくまでも私の夢は小説を書くことであって、帝都がどうなろうが知ったこっちゃない。これはいわゆる鎌をかける行為だ。こんなに熱心で探求心のある高校生が、華々しい夢を語って謎を解明したいと言っている。これでヨーゼフさんが何かを吐露するかもしれない。遠回しにいかなければ、今回の案件は正直危ない気配がしてきた。

「いいや、素晴らしい意見だよ。僕達みたいな指導者の下で働く人間は、どんな悪行にも目を背いて生きていかなければいけない。例えば......。そうだね、僕達は指導者のありとあらゆる悪行を、非道を、非人道を見てきた。それを僕達は見て見ぬどころか隠す事もあったんだ。この鉄塔もLABも、帝都のこの異常な格差も実はそうだ。でも僕達はそれを見ても、従順なマシンのように思考を捨ててきた。逆らったら、まあ言わなくてもわかるよね。でも、君達は、君達のような、誰にも邪魔されない君達にしかできない事が、きっとあるはずなんだ。自分で考えて、答えを見つけて、自分の理想に突っ走ればいいよ。ただ、後悔は無いようにね」

 やはりこの案件、指導者絡みであったか。抽象的ではあったが、指導者の独裁性と悪行が帝都に渦巻いているというのが分かった。しかし、私自身それ以上にヨーゼフさんの言葉にザクザクと刺されて、それどころではない。年長者を敬えば、図らずとも人生経験を深めることが出来るのか。亀の甲より年の功というわけだ。いつかどこかで、ことわざをバカにした気がしたが、態度を改めなければいけないことを痛感した。ことわざを知っていれば、すぐに色々な事実にたどり着くことが出来る。

 ──少々世迷言を語り過ぎたか、考え過ぎたかで、三人で景色を見るという、とてもエモーショナルな時間が過ぎていたが、ここからが、私にとって生きた心地のしない体験であり、コタロウをここから突き飛ばしたい気持ちにもなった。

「指導者の悪行って、俺達はなんにも教えて貰ってないんですけど、どんなのがあるんですか」

「ハハハ、それを言ってしまうと、さすがに僕の首が吹き飛んでしまうよ」

 こいつ、何を言っているんだ。そんな直接的な発言、”最悪な事”をこいつは実感できていないのか?コタロウの頭の寂しさをここまで恨んだことはない。でも、ヨーゼフさんは顔色一つ変えずにユーモアに収めてくれていて心底安心した。

「そうすか。俺、唯一知ってる悪行があるんですけど、詳しくは知らないんですよね。リトル男って言うんですけど」

「......。そうかい」

 悪寒が走る、空気が凍る、寒気の風が吹き荒れて私達の体を揺らす。あの温和そうなヨーゼフさんが、真顔でこわばった表情をして一言だけ呟いた。あぁ終わった。私達は今、最悪な事に一番近づいている。耳元に最悪な事が、私の目の前で最悪な事が、手招きをしている。私達は、突き落とされるのか、捕まるのか、それとも......考えたくもない。コタロウはヨーゼフさんを見続け、私はビクビクと身を震わせていた。

「......君達はもうそこまで考えて、行動していたんだね。いいと思う。高校生はバカやるものだし。でも、その件だけには絶対に首を突っ込まない方がいい。その首、飛ぶよ。出る杭は打たれるどころじゃない。何も残らない。邪魔はされないけど始末はされる。君達には自分で考えた答えに向かって欲しいけど、その答えの先は後悔しかないよ。だから、ここで終わりだ。この話は俺で留めておくから。──もう日没か。これで見学は終わりだね。じゃあ帰ろうか」

 夕日の光が、私達を刺し殺すように照らしている。ヨーゼフさんは、私の体の震えが収まったころには、笑顔でいつもの温和な表情になっていた。私達の前から最悪な事が消えてなくなっていた。いや、見逃してくれたっていうのが正しい。今でも最悪な事は耳元で死刑宣告を呟いている気もしたから。

 コタロウはそんなことはいざしらず、あぐらをかいてぼーっと夕日を見ていた。「おいっ、帰るぞ」とささやくと、「あぁ」とだけ言って立ち上がり、ヨーゼフさんについていく。どこか恐ろしさを感じながら、静かに鉄塔を降りて行った。


「おい、何やってんだコタロウ。私達死ぬところだったぞ。この国の情勢を知っての切り出しなのかあれ」

「あれは申し訳なかった。俺も、何故かあそこで口走っちまった。なんでか分からないけど、気づいたら、言っていた。すまん」

「なんか面白そうなことやってんじゃん。私も行けばよかったなぁ。で収穫は?」

「まぁ、ほとんどリトル男関係はなかったな。シズクの問題が解決しただけだ。だけど俺の秘策がこれから確実に真実に近づくぜ」

 楽観的でキャッキャッしているコタロウとアヤノをしり目に、気が気じゃない私は遺書でも書いておこうかと考えながら二人と別れた。今日から、いやその前からだったかもしれないけど、

 ──鉄塔を見ることが出来なくなった。

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