第24話 神使

母屋へ戻る小路を私は黒を抱えたまま歩いていた。

黒は大人しくしているものの、全身から嫌そうな気配を発している。


『そろそろ降ろしてはくれぬか?』

「い、いや……です」


黒の要求を拒否する。

今この手を離してしまったら最後の拠り所まで無くなってしまいそうで怖かった。

そうなってしまえば、もう私は歩くことも、いえ、きっと立ち上がることすら出来なくなってしまう。

大切な人たちを一度に喪ってしまった恐怖は筆舌にし難く、今ですら、やっと歩いて、やっと言葉を絞り出しているのだから。


やがて、母屋へ戻ってくる。

室内へ入り、土間と居間の際に崩れる様に腰を下ろした私は黒を膝の上へ乗せる。それでも、手は離さない。


『……』


恨めしそうな視線が黒から向けられる。

それでも私は手を離さない。

暫くすると、黒は抗議することを諦めたのか、私から視線を外す。

やがて、黒は昨日の出来事を語り始めた。

それは、母上と鈴奈、いづなの死という現実を私に再確認させるには十分で、途中、何度も何度も涙が落ちた。

おかしいな……。墓前で涙は枯れきったと思っていたのに……。


あの時、私はもう一人の“私”――黒は裏の私と言った――に意識を乗っ取られたこと。

その“私”が、異形と戦ったこと。


母上と鈴奈を失った“私”は、遂に私の内にあったもう一つの魂を完全に飲み込み、本来の力を取り戻したこと。


異形を倒した後、“私”は、“私”が私でないと気付いたいづなに敵意を向けられ、その結果、凶行へと走り、いづなを手にかけたこと。


それらの出来事を淡々と話してくれた。


「何故、私なのですか? どうして私が……」

『そなたが神使の器に選ばれたからだ』

「神使の、器?」

『そうだ。そなたの内にあったもう一つの魂とは神の使い。つまり、神使のものだからだ』

「神使の、魂が、私の中に?」

『そなたの内にあった神使の魂は、過去、彼の異形によって斃されたのだ。しかし、その肉体は滅んでも魂までは消滅しなかった。そして、その魂は新たな器を得て復活する筈だった。――その器こそがそなただ』

「でも、どうして私が?」

『それは分からぬ。上代家は代々強い神力を持った血筋だった故に器として選ばれたのかもしれぬ。本来であれば人の魂は神の魂には勝てぬ。それは神の眷属である神使の魂でも同じこと。神使の魂が器に宿れば人の魂は飲み込まれ消える筈だった。だが、そなたは逆に神使の魂を飲み込んだのだ。当初こそ両者の力は拮抗していたが、その均衡は徐々にそなたへと傾いていった。そして、遂にそなたは神使の魂を飲み込み。人にして神の眷属足る神使へと変化した』

「私が……神使?」


コクリと頷く黒。


「でも、どうして黒はそんなことまで知って……」

『我がそなたの内にあった神使と知己であったからな。彼奴が斃れてからはその器の動向をずっと観察していたのだ』


何処か遠くを見て言葉を紡ぐ黒。その声音には感情のようなものが見え隠れしていた。

淡々と語る黒に初めて感情といえる部分が見えて、なぜだか心が穏やかになるのを感じてしまう。


「あの。神使とはなんなのですか?」

『神使とは神によって遣わされた存在。この世界に生きる生命を見守り、その行く末を見届けるもの』

「見届ける――?」

『監視者とも言えるが、何、今はまだ深く考える必要は無い。追々見聞を広めていけば良いだろう。どのみち時間は永劫なのだからな』

「――永劫?」

『神の眷属は不滅の存在だ。老いることも死ぬこともない。――肉体を一片残らず消し飛ばされでもすれば、再生までに長い時間を要するだろうが、それでも死とは無縁の存在だ』


つまり、私はもう人では無いということ。

これから先ずっと一人、一人で……。

その言葉を反芻しながら私は立ち上がる。

ポトリと黒が膝の上から落ちた。

私は黒を置き去りにして、フラフラと居間から出ていく。

母上の寝室へ入る。

一瞬、そこで微笑む母上の姿が見えた気がした。

ですが、その幻影は直ぐに掻き消えて誰も居ない室内だけが視界に映る。

母上の幻影の消えた跡、そこに残されていた得物を手に取る。

それから私と鈴奈といづなの三人で寝ていた寝室へ足を向ける。


鈴奈。いづな。


やはり、室内には誰も居なかった。もう誰も、これから先永遠に、もう誰も――。


居ない。


「くッ――」


噛んだ唇の端から血が流れ落ちる。

しかし、流れ落ちた血は直ぐに止まってしまう。

私は太刀を鞘から引く抜いた。

全ての光を吸収してしまいそうな深淵ともいえる真っ黒な刀身。

銘は、確か月影げつえい

上代家に代々伝わる太刀。異形との戦いでも母上が使っていた。


黒い刀身を首に当てる。


私は力の限りに月影を振り抜いた。

次の瞬間、私の視界は回転し、血を噴き上げながら崩れ落ちる私の体が見えた。


***


「う……」


意識が戻る頃には夜の帳が下り室内は暗くなっていました。

充満する血の匂いが鼻に付く。

良く見れば部屋中血まみれでした。

私の衣服もおそらく私の流した血液で赤黒く染まっているのでしょう。

灯りの無い闇に包まれた室内だというのに、私はそれを認識する事ができました。

首筋に手を当てる。

刀によって胴体と泣き別れした筈の私の首はすっかり元通りになっていました。

ああ。本当に人では無くなってしまったのだ。


『言ったはずだ。老いることも死ぬことも無い。と――』


黒が目の前に佇んで居た。

朱色の瞳が暗闇の中でうっすらと光っている。


「私はもう一人ぼっちで、この先ずっと一人で、私だけが生きている意味なんて……」

『我では不足か?』

「え?」

『壱与に頼まれた。そなたのことを頼む。と――』

「母上に?」

『そうだ。それに神使となったそなたがこれからどのような道を歩むのか興味が沸いたのでな』


私は、黒に手を伸ばすと、そのまま抱き上げて、抱きしめる。

羽の柔らかな感触と、微かにお日様の匂いのする暖かな温もり。


「う。うう……。傍に、あなたは私の傍に居てくれますか?」

『そなたが我を必要としている間は共に居よう』

「――ゃ、ない、です」

『ん?』

「そなた。じゃないです。――壱希と。壱希と呼んでください」

『わかった。壱希』

「はい。――あの。教えてもらっても良いですか? あなたの名前を」

『我か、我の名は東雲だ』


東雲――それは、夜が明ける前、徐々に空が明るくなる様を意味する言葉。

この漆黒の鳥は、きっと私の行く先を照らしてくれるのかもしれない。

そう思うと少しだけ心が安らぐのを感じた。


「ふふ。東雲さんですか」

『何か変なことを言ったか?』

「いいえ。これからよろしくお願いします。東雲さん」


この日、これから永久に近しい時間を共にする友の名を私は初めて知ったのでした。

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