第19話 会話と釣りと発端
壱与は一人縁側でお茶を飲んでいた。
午後の暖かな日差しが壱与の髪を照らしている。
時折吹くそよ風が壱与の髪を揺らす。風になびくごとにその深い黒髪はキラキラと陽の光を反射する。
不意に羽音が響いた。
黒だ。
黒は、壱与の隣に着地すると、そのまま腰を落ち着ける。
『随分と悪手を打ったものだな』
「そう思われますか?」
『先の件で、壱希の力が結界の外へ漏れた。既にアレにも察知されただろう』
「分かっています。ですが、どのみち私の結界ではもうあの子の力を隠すことは出来ませんでした。遅かれ早かれ露呈してしまったでしょう。ふふ。一族最高とまで称されながら所詮は人の域でしかなかったということです。――なれば、伝えられるうちに伝えるべきと考えたのですよ」
『そうか……。道理で憑き物の落ちたような顔をしているわけだ』
「ふふふ。開き直ったとも言えますね」
壱与は口元を隠してクスクスと笑う。
その笑みはいつもとは違い心から笑っているように黒には見えた。
『アレは蝕や妖怪とは異なる。人の身では万に一つも勝ち目は無い』
「それも承知の上です。そもそも勝つことが目的ではありません。あの子たちを守ることさえ出来れば良いのです。それこそが私の勝利なのですから。それと、あなたにお願いがあります」
『アレに対して我は手を出すことは出来ぬ。手助けなら――』
「いいえ。違います」
『では、何を?』
「あの子を――壱希をお願いします」
『既にお目付け役をお願いされていたと記憶しているが?』
「確かにそうでした。ふふ。ですが、これからあの子が歩むだろう時を、鈴奈やいづなが共に歩むには不足でしょう。その時が来たら、あの子の傍に居てやってはもらえませんか?」
『――承知した』
「ありがとうございます」
それから一人と一羽は縁側で静かに陽の光を浴びていたのだった。
***
川面に垂らした糸は川の流れを受けて下流へと流れていく。
やがて、竿につながれた糸の余長は無くなって、ピンと糸が張った。
後は、時折竿をしならせて獲物が喰いつくのを待つだけ。
待つだけ……、なのですが、それで簡単に掛かったら苦労はしません。
「むぅ……。釣れませんねぇ」
「そうだね〜」
誰に言うでもなく漏れた言葉にいづなが返答する。
既に、十投は超えている。むしろ十を超えてから先は数えていない。
そんなことに何の意味も無いという事を理解しているから。
「愚痴らないの。これも精神統一。神術の修行だと思いなさい」
「はい」
「いえ。神術が使えないので私には余り意味のあることには……」
鈴奈の言葉に頷くいづな。
そんな二人に対して反論を申し立てる私。
ちょっと下流に行けば里の人たちが造った梁があるため、人数分の魚を分けて貰うのは容易いことです。
ただ、今回は母上によって、夕飯のおかずは釣ってくる事と厳命されてしまっている。
母上の言いつけを破って梁で分けてもらうという手段もあるにはあるものの、ほぼ確実にバレるのでそれは悪手でしかない。
最初は誤魔化せたとしても、後で確実にバレる。
バレた後のお仕置きを考えたら、素直に釣ったほうが良いでしょう。うん。
「しかし、釣れる気配がありませんね」
「本当にね。こういうのは殆ど経験が無いからね」
「うん」
途方に暮れる三人。
実際、私たちは釣りの経験が殆ど無い。釣竿も無いので梁に居た人たちから借りたほどだ。
なぜかというと、普段は里の人たちがお裾分けしてくれるから。
そのお礼に、私たちが山菜を沢山採った時などはお裾分けしている。
みな持ちつ持たれつ暮らしているのです。
「あーッ! 巫女様だー」
「巫女様ー。何してるのー?」
里の子供たちが私たちを見つけて駆けて来る。
「鈴奈姉様もいるー」
「お、いづなも居るぞ!」
「皆さん。こんにちは」
「「「「こんにちわー」」」」
元気な声が帰って来る。
里の子たちは元気一杯だ。
「今日は、夕飯のおかずを手に入れるために釣りに勤しんでいるのです」
「此処で?」
「ええ。此処で……」
「巫女様ー。此処は釣れないよ?」
「へ?」
一様に頷く里の子たち。
あ、あれ~? もしかして初手でしくじっていましたか? これ……。
ガクリと肩を落とす。
「よし。じゃあ、とっておきの場所を教えてあげるよ!」
一番歳が上の男の子が言う。
「ほ、本当ですか!?」
「おう。でも、大人たちには内緒だからな!」
「ありがとうございます」
思わず男の子の頭を撫でてしまう。
回りの子たちからも、僕も私もとせがまれてしまった。
子供は本当に可愛いですね。
「いづな。あれは素でやってるから気落ちしちゃ駄目よ」
「う、うん」
振り向いたら鈴奈といづなが後ろでごにょごにょしていた。
もう。最近、なんだか距離が近くなってませんか?
その後、とっておきの場所に案内してもらい釣りを再開する。
そして、最初こそ苦戦したものの、コツを教えて貰ったら私でも一匹釣る事が出来た。
鈴奈たちはもっと釣っていましたけど……。
それと釣った魚ですが、必要な分以外は里の子供たちにお礼として渡した。
そうして、これから帰ろうかというところで、それが起きた。
「――!?」
「お姉ちゃん! これって!?」
「壱与様ッ!?」
里の中、それも社のある辺りだけに新たな結界が出現したのを私も鈴奈もいづなも察知する。
私はこの事象を知っていた。
なぜなら過去に一度だけ同じ経験をしていたのだから。
そうだ。これは、父上が死んだ日。里の外から侵入した異形を社の結界に閉じ込めた時と同じ?
「母上ッ!?」
「巫女様。どうしたの?」
ハッとして声のした方を向く。
そこには小さな女の子が不安そうな表情で私の顔を覗いていた。
いけない。こんな小さな子を怖がらせてしまうなんて。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
ただ、それでも不安の全てを消すことは出来ない。内心では相当に焦っていた。それでもこの子たちの前では不安を見せないように努める。
手招きをして一番年長の子を呼ぶ。
「良く聞いて下さい。村長の処へ行って領主様のお屋敷に皆を非難させるように伝えてください。それと、これを」
私は取り出した懐刀を男の子の手に握らせる。
これはいざという時にと母上に持たされているもの。護身用というよりは懐刀そのものが上代家の者であることを証明する証となる。
この子たちの言葉だけでは信じてもらえないかもしれないけれど、これがあれば村長も信用してくれるでしょう。
だから、こういう時は遠慮なく渡す。
「緋色の巫女の命です。と言えば直ぐに動いてくれる筈です。そうしたら家には戻らずそのまま領主様のお屋敷に行きなさい」
「う、うん。わかった!」
真剣な眼差しで返事をした男の子に私は微笑み返す。
「さあッ。行きなさい!」
私は男の子の背を力強く押し出した。それを受けて子供たちが走り出す。
「鈴奈。いづな。私たちは社へ!」
「分かったわ」
「うん」
胸に湧き上がる不安を押し殺すように私自身に喝を入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます