第17話 心の変化

遠くから声が聞こえる。

私を呼ぶ声。

すがりつくような、今にも泣き出してしまいそうな震えの混じる声。

重い瞼を無理矢理にこじ開ける。

視界一杯に茜色が広がっていた。

どうして私の視界には茜色の空が映っているのでしょうか?

確か、社殿の階段に腰掛けていた筈なのに、今は境内の土の上に仰向けになっている。

と、私の視界に別の何かが映りこむ。

それは、今にも泣き出してしまいそうなほどに顔を顰めたいづな? ――いづなッ!?


「良かった、気がつ――」

「いづなッ!!」


――ゴチン!


と、慌てて飛び起きようとした私の額は、私を覗き込んでいたいづなの額に勢いよくぶつかった。

視界に星が舞い、余りの痛さに悶絶する二人。

涙で視界が滲む。

ああ。でも良かった。いづなは無事。

あれ? でもどうして私はいづなの身が危ないと思ったのでしょう?

思い出そうとしても記憶がポッカリと抜け落ちてしまっている?

それでも、ただただ漠然とした不安や恐怖のようなものだけが私の中に残っていました。

駄目だ。全く思い出せません。


でも、良かった。いづなが無事で本当に良かった。


「うう。痛い……。でも良かった。壱希お姉ちゃんだ」


いづなの瞳から涙が零れ落ちる。

ポロポロと、ポロポロと、涙がとめどなく零れ落ちていく。


「ご、ごめんなさい。痛かったですよね。ちょっと待っていてください。――ひゃッ!?」


いづなのもとへ駆け寄ろうとした私は盛大に足をもつれさせる。

前のめりに転んだ先には泣いているいづな。

このままだとぶつかってしまうというのに私の体は言うことを効かない。

危ないと声を出すことも出来ずに、いづなの姿がみるみる近づいてくる。ああ。駄目だ。と思った時には、しかし、ぶつかることなく私はいづなに抱きとめられていました。


「い、いづな!?」

「……良かった。本当の本当に壱希お姉ちゃんだ。――此処に戻ってきたら壱希お姉ちゃんが違う誰かになってて――」


それから、いづなは嗚咽交じりの声でゆっくりと何が起きたのかを話してくれました。

いづなが水を汲んで戻って来た時には、そこに居たのは私の姿をした。ですが、私ではない別の誰かだったそうだ。

そして、いづなが何者なのかと問い掛けた途端に掴み掛かって来たのだと。

よく見ればいづなはあちこち擦り傷だらけで、服にも土が付いて汚れていました。

その姿に、私は先ほど感じた不安感が漠然としたものではなく、確かな現実であったということを理解してしまう。

だから、思わずいづなをギュッとする。


「ごめんなさい。私何も覚えていなくて、でもいづなが助けてくれたのよね?」

「違うッ!」


それは強くハッキリとした否定だった。


「――えっ?」

「ぼ、僕は何も出来なかった……。じ、自分のことで精一杯で……。そしたら、黒い鳥が現れて、気付いたらお姉ちゃんが倒れてて……」

「黒い鳥?」


コクリと頷くいづな。

黒い鳥といえば思いつくのは時折遊びに来る黒。

以前から賢い仔だとは思っていましたが、もしかして妖の類なのでしょうか?

今度、会ったらお礼をしないといけませんね。


「でも、良かったです。いづなが無事で居てくれて。それだけで私はとても嬉しいですから」


いづなの頭を優しく撫でる。

本当に良かった。本当に――。


「すっかり、汚れてしまいましたね。それにあちこち擦り傷もあるみたいですし、まずはお風呂ですね」

「――壱希お姉ちゃん」


手を繋いで母屋に行こうとする私を、いづなが引き留める。

ギュッと私の手を掴んだまま。


「――僕、僕もっと強くなるよ。壱希お姉ちゃんを支えて……。ううん。次はちゃんと守れるように!」


決意の篭った強い眼差し。

嬉しさに目頭と胸の奥が熱くなる。

だから私はこう返すのです。


「――ありがとう」


と。


***


壱希たちが母屋に消えた後、黒は社殿の屋根に静かに降り立った。

先の事象を再確認する。

黒から見れば、あれはどちらも壱希自身であった。

言うなれば、表と裏。それぞれの壱希だ。

本来ならば裏に自我が芽生える事は無い筈だった。そもそも、裏は表から切り離された壱希の力の部分にすぎないからだ。

何故、裏が自我を持つに至ったのか、おおよその検討はつく。しかし、確証を得るには裏から直接聞くのが早いだろうと黒は考えた。

とはいえ、裏が表に出てこられる時間はそれほど長くは無いようだ。

先も、途中で急速に裏の力は失われていった。

おそらく、裏は内にあるアレを抑え込む余力がなくなったのであろう。

アレに飲み込まれてしまっては、裏の目論見は意味を成さないのだから……。

黒がいづなと裏の間に割り込んだのは、裏の力によって結界が破壊され壱希の存在が結界外に知られるのを防ぐために過ぎなかった。

最悪、裏を昏倒させてでも妨害しようと考えていたのだが、その前に裏の活動限界が来てしまったようだ。

いづなを傷つけられたことで表が無理矢理戻ってこようとしたのも大きな要因ではあったのだろうが。


『心の表。力の裏か……。どちらが勝るにしろ目覚めの時は直ぐそこまで迫っているな……』


黒は呟くと、大きな翼を広げて飛び立った。

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