地元にある大きな川は、子どもたちの憩いの場でした。夏になると、橋の上から飛び込んで遊ぶ上級生をよく見かけたものです。当時のわたしたちは、まだ低い岩からしか飛び込ませてもらえません。不慣れな子どもが高さ十数メートルの橋から飛び降りると、最悪の場合、死に至ることがあるからです。学年が上がるにつれ、徐々に大きい岩に昇り、最終的に欄干へ立つことができます。橋からの飛び込みに成功したものは「一人前」と認められ、それはまるで、オセアニアのある島で行われているバンジージャンプのような、一種の通過儀礼のようでした。


 他の子どもたちと同様に、わたしもその川を大層気に入っておりました。しかし、学業を疎かにしていたわたしは、両親からあの夏休みの間は宿題が終わるまで、川遊びを制限されてしまったのです。これはきわめて耐え難いものでした。八月も中旬に差したころ、わたしはようやく宿題を終えることができました。


 規則から解放された喜びのあまり、夕刻であるにもかかわらずわたしは川へと走ってゆきました。辺りはすっかり暗くなっており、むろん、人は見当たりません。橋を見下ろすと、それは、満天下をない混ぜにして煮詰めたような色をしており、おのれの顔から徐々に血の気が引くのを感じました。今まで飛輪にさらされた水流と戯れるばかりで、闇の川の恐ろしさを知らなかったのです。からだの中は恐怖でいっぱいでした。しかし、なぜだか、水の動きから目をそらせないでいました。

 

 足のすくみも退き、冷静になり、来た道を引きかえそうとしたときでした。どこからか、子どもの呼ぶ声が聞こえてきます。

 「◯◯くん……、◯◯くん……」

 わたしの名でした。この子はなにかに困っており、助けが必要なのかもしれないと思うと、無視をすることは出来ませんでした。おそるおそる音をたどり、川辺に流れ着きましたが、人の姿はいっこうに見当たりません。

 「やあ、きみ、おれはここさ」

 ふたたび声を聞いたとき、それが川の方向に由来することを疑問に思いました。わたしが先ほど橋から見下ろしたときは、誰も水泳なんてしていなかったからです。案の定、水面みなもには誰も浮かんでおりません。

 しかし、たしかに誰かがわたしを呼んでいました。闇のなか目を凝らし、人のすがたを探しつづけます。どのくらい経ったのでしょうか。しばらくして、流れの狭間に悠然とかまえる、不自然な陰翳を発見したのです。

 

 そこには、一匹の鮎がおりました。鮎は笑っていいました。

 「久しぶり」

 魚は自分のことを、件の行方不明である少年だと名乗りました。

 

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