第33話 英雄と愛の芽生え
湿地帯を馬に乗って進む。日がな一日太陽が背中に照りつけ、頬はやけて赤れんが色に染まった。後ろで精鋭に選ばれた兵士の一人が物悲しい節で口笛を吹いている。
遥か遠くから女の声が聞こえた。後ろを振り向くと、カバン一つだけを携えて歩いてくる少女が見える。
リリーだ。
トリスタンと一行は歩を止めて、リリーが追いつくのを待った。
「あたしを連れていって……」
リリーは干からびた唇でそう言う。
「でも、どうしたんだい?プリシラのとこにいると思ってたのに……」
トリスタンは困り果てて言った。
「ピーター・ドールに追い出されたの。あなたのお兄様のところにはいたくないわ。こんな戦場には!!あなたの行くところに連れていって……」
投げやりな情熱が少女を駆り立てていた。リリーはトリスタンの行くところなら、地獄にだってついて行く。少女らしい自滅的な恋の欲望で……
目が覚めたら、心地よいベッドの中にいた。天幕の中、一人の女が背を向けて、小さな声で歌を歌っている。
トリスタンはしばらく女が歌うのを何も言わずに聴いていた。
「初雪の降る日に私の母さんが死んだ
生まれたばかりの赤ん坊を腕にだいてさ
やっぱり赤ん坊も死んでたよ
わたしのかわいい妹
まるい薔薇色の頬
生きてるみたいに微笑んでいた……」
こんなふうに歌うのはリリーだろうか。何が起こったのか記憶にない。ここで眠り始めてからどれくらいの時が経ったのだろうか。遠くに戦場の喧騒が聴こえた……
「まあトリスタン!」
女が気配に気づくと驚いてベッド脇に駆け寄ってきた。
「目が覚めたのね」
「プリシラ……」
トリスタンは喜ばしげにプリシラの姿を眺めた。
プリシラもまた目に涙を浮かべてトリスタンを見つめている。
「ヤッスラで重傷を負ってずっと意識を失ったままだったのよ」
プリシラの目が愛おしそうにトリスタンを見守る。
「ドールの婚約者や君のお母さんはどうなったんだい?」
「無事に戻ってきたわ、私たちのところへ……。お母様は私と一緒にいるの!」
プリシラがにっこりと微笑んで言う。
「全部あなたのおかげだわ。ごめんなさいね、最後に会った時酷いことを言ったでしょう?それなのにあなたがしてくれたことと言ったら……」
「いいんだ。こうすることで君に赦してほしかったんだ。僕や兄がやったこと……」
トリスタンはそう言うとプリシラの薔薇色の頬にそっとキスをした。
兵士たちの間ではトリスタンは英雄となっていた。シンプルながらも大胆な作戦。彼がいなければ、公爵の軍は全滅していただろう。それから女王への宮廷恋愛風の愛。皆が英雄の回復を待っていた。
腹に深い傷を負っていたが、体が丈夫だったのだろう。その傷も医者が数週間以内に完治するだろうことを断言している。
彼はプリシラの献身的な看護の合間にピーター・ドールが指揮官を辞任させられたことを知った。今は代わりにバートンが指揮官を務めているらしい。
それから、かのリリーは母親の侯爵夫人のもとへ帰されたというのがプリシラの情報だ。
満月の夜に川のそばで湯浴みをする。プリシラは微笑んで湯の中に体を沈めた。
「プリシラ様」
男の声がする。
プリシラはきゃっと悲鳴を上げて、すぐに身を起こした。ひとりぼっちだった。もし暴漢などだったら……
だが、男はピーター・ドールだった。
「どうしたの?私たちは二度と会わないのが契約だったでしょう?しかも、こんな時に……!」
「こうしなければ会えなかった……。トリスタン・カールセンと親しくするのは間違ってますよ、プリシラ様」
プリシラは唖然としてピーターを見つめていた。この人は、頭が狂ってしまったのだろうか。
「トリスタンではダメですよ。プリシラ様には私が必要です」
つまり、ピーターはプリシラに自分と一緒に来るように言っているのだ。
「それがあなたの望みだったはずだ……」
そう誘惑しながら……
だが、もうプリシラの望んでいたことなど幻になって消えてしまった。
「もうあなたを愛してないわ。それにエミリーはどうなるの?」
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