第29話 夜は冷たく、恐ろしく
プリシラはトリスタンに会った後も、決意を変えることができなかった。ただ時間だけが過ぎてゆき、戦況はどんどん悪化していく。
ピーターは再びトリスタンとの婚姻を解消するよう強く助言した。
「そうしなければ、公爵がどんな行動を起こすのか。牽制しなければなりません」
彼は尋常じゃない自制心で感情を抑えているようだったけれど、その様子が暗い檻の中に閉じ込められた野獣のようで恐ろしい。特にトリスタンのことでは躍起になっていた。
だが結局のところ、プリシラが一方的に離婚を主張したところで公爵は承諾しようとしないだろう。
昼下がりにカールセン公爵はやってきた。青空の下、プリシラは赤いトマトにオリーブ油をかけたのとレモネードを食している。後ろにはピーターが控えていた。
「まあカールセン公爵」
プリシラが驚いて言う。
「ワインはいかがです?どうぞ座ってください」
公爵は目の下にくまができていた。昼夜を問わず続く戦闘のせいだろう、どことなく疲れている。
「あなたにはやられましたよ」
彼はワインをぐいと飲んでいった。顔には皮肉な笑いが浮かんでいる。
「騙されました。まさか弟とあなたが初夜の義務を今の今まで先延ばしにしていたとは」
「とにかく、婚姻は無効ですね」
プリシラはまともに公爵の顔を見て言った。
公爵の顔が痙攣する。
「この魔女め。弟をたぶらかしたな」
「失礼ですが閣下、あれはトリスタンの思いやりがそうさせたんです。私が考えたことではありません。トリスタンはあなたの腹黒い計画に加担するつもりなんかないのですよ」
プリシラが怒って言った。
「そうか、弟はあんたにすっかり首ったけっていうわけか。あんたが骨なしにしてしまったわけだな、腰抜けに」
一瞬、二人は恐ろしい形相で睨み合っていた。
「しかしこの状況は我々双方にとって好ましくないですよ。非常に好ましくない……。私は女王の名のために戦っているが、あなたと言えば、恋愛遊戯にご執心で……」
ニコラスはそう言ってピーター・ドールをチラリと見る。
それは暗にピーター・ドールと女王のいかがわしい噂を指摘しているのと同じことだった。
話は上手く運ばない。軍を早く戦場に戻すようにと要求する公爵にピーターが怒って剣を抜いたのだ。
剣を鞘におさめるように叫ぶプリシラに、公爵は侮蔑の言葉を吐く。
「娼婦めが」
その夜は肌寒くて、何度も目が覚めた。毛布の隙間から夜風が忍び込んできて、プリシラの瞼をつっつく。
でも気がついた時、誰かが体の上にのしかかっていた。胸が圧迫され、息苦しい。真っ暗闇で顔は見えなかった。二人いる……
男の手がプリシラの口をふさぎ、もう一人の男がプリシラの胸をまさぐる。ネグリジェが引き裂かれる音が聴こえた。
ああ、こういうふうにして貞操を奪われるのだ。こういうにして殺されるのだ……
プリシラはすべてを諦めてそう考えていた。
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