第27話 愛する女たち
既にプリシラと女王の軍隊が戦場に立ってから三日が経っていた。公爵と共に攻勢はたてなおしたものの、プリシラはなんとなく気分が優れない。ずっしりと憂鬱で、行く先に何か恐ろしいものが待っているような気がするのだ。
夕方になり、埃だらけの体で天幕に戻る。冷たい飲み物にリリーの心地よいお喋り。ふかふかの寝床、それにお風呂。生き返った気分だ。
お風呂からあがって、髪をリリーにとかしてもらっていると来客があった。トリスタンだ。リリーもプリシラも彼の姿を見ると、押し黙ってしまう。
彼もまたプリシラと同じく戦場帰りのようで、鎧をつけていた。顔は以前より日にやけ、髪の色は濃くなっている。頬には痛々しい傷あとができていた。瞳の奥の鋭い何かがプリシラの心をとらえて離さない……。
ピーターの言葉に従うのなら、トリスタンを天幕の中に入れるべきじゃなかったのだ……
「離婚を公表するつもりだって本気か、プリシラ?」
トリスタンの言葉はなんとなく力ない。
「ええ」
プリシラはキッパリと言った。
「必要なことなの。ねえ、あれは結婚生活じゃなかったわ」
言葉はだんだんと尻すぼみになる……
「誰がそんなこと考えたんだい?」
一方でトリスタンの口調は強くなった。
「私の考えよ、トリスタン」
怯えたような笑みを浮かべて答える。
「リリー、これは君の女主人の考えかい?」
リリーが肩をびくつかせた。目を見開いて、プリシラとトリスタンとを交互に見つめている。口が中途半端に開いて、そのまま固まった。
「私、わかりません」
リリーがささやくような小さな声で言う。
「本気かい?誰かが、たとえばピーター・ドールがプリシラに命令しなかったと言えるかい?」
トリスタンの有無を言わさない口調にリリーはたじろいだ。
「トリスタン!」
プリシラは哀願するようにトリスタンを見た。
「君は本当に彼を信頼しているんだね」
トリスタンの口調はやわらぎ、どこか自嘲的になった。
「ピーター・ドールは君が思っているような聖人じゃないはずだよ……」
「ピーターは父に忠誠を誓ったのよ。私の後見人みたいなものなの……」
プリシラがそっと言った。
「どっちにしたって僕は君に対してどうこうすることはできない。でもドールは君には毒だよ……。それだけはたしかだ」
トリスタンはそれだけ言って天幕から出ていこうとした。
「待って」
プリシラが慌てて言う。
「あなたに申し訳なく思ってるの。離婚は仕方ないことなのよ。あなたのせいじゃない」
トリスタンは暗い目つきでプリシラを見た。
「時々、兄の言う通りにすればよかったと思うよ。そうすれば君は僕のものだったから」
彼は恋に絶望していたのだ。明日また戦場に立つというのに。
プリシラが無意識にトリスタンの手に触れようとする。慰めたくて……。が、トリスタンはプリシラを避けた。
かげに立っていたリリーが思わず身震いした。
朝日が天幕の入り口から差し込んでくる。遠くに鳥のさえずりが聴こえた。
リリーは鶏の鳴き声を聴いたような気がして、ハッと飛び起きた。見ると鏡の前で女主人が指輪のついた金鎖をつけて祈っている。
「よく眠った?」
プリシラがクスリと笑って言った。
頬によだれが垂れている。
「ごめんなさい。つい……」
プリシラが鈴を鳴らすような声で笑い出した。
「ごめんなさい。こんなに笑うつもりじゃなくって。だって昨日の夜のこと覚えている……?」
「プリシラ様、今すぐ戦地へ……」
バートンが天幕の中に飛び込んできて叫んだ。
プリシラはすぐに何か大変なことが起こったのだと悟った。
味方の兵隊たちの間を馬に乗って進んでゆく。隊列の先頭まで来ると、敵が盾と槍と共に待っているのが見えた。盾の向こうに叔父が見える。それから背の高い女の人が……。
白い頬に、黒々とした髪、細く美しい首、力強い瞳。濃い青のドレスは破けて、肩がむき出しになっている。誇り高い顔の奥には、怯えが見え隠れする。
それがエミリーだった。ピーターの愛する女、婚約者、プリシラの運命を握っているひと。
ピーターはエミリーをまるで目を離したら消えてしまう雪の結晶か何かのように凝視していた。エミリーの喉元には短剣が突きつけられている。
プリシラは運命の残酷さに震えた……
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