第22話 寝室の危うい会話

 トリスタンのもとから逃げ出すようにして廊下に出ると、ピーターが立っていた。たまたま通りかかったかのように、驚いた顔をしている。彼は慌てて薄いネグリジェ姿のプリシラにマントをかぶせてやった。寝室を出る時に着ていたガウンはトリスタンに脱がされてしまったのだ。


「どうしたんです?あそこは……」

 ピーターは何か言いかけてやめてしまった。


 プリシラは抱きかかえられるようにして客室に戻った。とっくの昔に奥の方に引っ込んでいたはずのリリーが、男の気配に何事かと顔をのぞかせる。


「リリー、なんでもないのよ。もう夜も遅いし、下がっていいわ」

 プリシラが小さな声で言う。


 リリーは何か聞きたそうだったが、ピーターの無言の圧力とただならぬ空気に負けて退室した。


「わたし平気なのよ。彼が乱暴しようとしたとか、そんなことじゃないの。ピーター、あなたって私のこと子どもを見るみたいに見るのね。心配してるんだわ……。ねえ、そんな目で見ないで!私耐えられない……」


 しかし、騎士はプリシラのむら気に圧倒されたかのように沈黙していた。


 あの部屋で一体何があったのだろう?やはりトリスタンに襲われそうになったのか。ガウンも着ずに、肩がむき出しになるような薄着で飛び出してきた。それにこの薔薇色の頬。真っ赤な唇。今にも泣き出しそうな潤んだ目。

 間違いなく何かドラマがあったのだ。ひょっとしたら単に入り組んだ迷路のような女心が、プリシラをこうも感情的にしているだけなのかもしれない……


 いや、実際プリシラはトリスタンのことをどう思っているのだろう?二人で駆け落ちをしたとは言っていたものの……。もう彼への気持ちが残っていないなんてことはありえない。


「今までずっと隠してきたけれど、トリスタンと駆け落ちしたって言うのは嘘よ。私、彼とその友人のイーサンに騙されて誘拐されたの。結婚だって公爵が考え出したことだった。でも今、彼に恋しそうなの。だって、あんなに優しくてハンサムなんですもの。本当を言うと一目見た時から、彼に惹かれていたのよ。その時は気づいていなかったけど……。さっきだって私、彼にキスされるままにしていたわ!」


「彼を愛してらっしゃるんですね」

 ピーターが静かに言う。穏やかな声だ。


 彼は今にもむせび泣きそうなプリシラを刺激しまいと、非難も追究もしないでいた。落ち着かせてやらねばならない。王女は何か今言った以上のことを、長い間一人で悩んできていたのだ。


 プリシラはゆっくりと激しい視線をこちらに向けて口を開く。

「いいえ、愛してないわ。愛してなんかいない。ねえ、彼が私を力ずくで奪おうとしたんですもの。そういう人に私の関心が向くのは当然のことでしょう?愛とかそういうものとは全然違うのよ。そうじゃないの。私はあなたを愛してるのよ!」


 それは若い娘から出た悲痛な訴えだった。心の傷口から血を流して……。


「愛?」

 ピーターが驚いて言う。あまりに思いがけない告白だった。プリシラがピーターを愛してるなんて。


「そうよ、愛よ!あなたをずっと愛してたの。結婚したい相手はあなただけよ。ねえピーター・ドール、私を裏切ってないと言ってちょうだい。エミリーって一体誰なの?公爵もイーサンも兵士もみんながエミリー、エミリーって言うのよ。知らないのは私一人だけ。とっても惨めだわ。あなたを信用できなくなるなんて、あなたを失うなんて……」


 騎士は真実を告げた。気の毒だった。こんなにも傷ついて、こんなにも取り乱して……。でもまさかプリシラが自分に恋しようとは思わなかったのだ。エミリーとの婚約も隠しておくつもりなどなかった。


「でも、プリシラ様はご自分の立場はご存知でしょう?私のような騎士と結婚することは許されません。王冠を捨てるのと同じことですから」

 ピーターが静かに言う。


「わかってるわ」

 プリシラが沈みきった声で答えた。

「それならトリスタンに恋するのも許されない……。彼と結婚することはできるけど。ねえピーター、私の騎士、トリスタンと結婚するべきかしら?私もうわからないわ。ひょっとしたら結婚するべきなのかもしれない。ドトー卿との婚約だってなくなってしまった。トリスタンと結婚するなんて恐ろしいことよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る