第12話 宣戦布告

 ダーチャの主寝室の扉が揺れた。陽だまりの中で恋人同士の時間を過ごしていた公爵が扉を忌々しそうな表情をして振り返る。イーサンは戸惑った顔をして、ニコラスから体を離した。


「誰だ、名乗れ」

 公爵がたずねる。


「兄上、僕だ。トリスタンだよ。話がある」

 弟の声だ。優しい、くぐもった声だった。


 公爵の顔に浮かんでいた緊張の表情がとけてなくなる。


 イーサンはニヤッと笑ってくつろいだ様子でベッドにドスンと座った。


 トリスタンは部屋に入ってくるとまず、親友が兄の寝台に足を投げ出して座っているのに気づいた。さっと公爵の方を向いて視線をそらし、なぜか顔を赤らめる。


「知らなかった。兄さんがここでも彼と一緒に過ごすようになったなんて」

 トリスタンはいっそう顔を赤くして言った。


「今日かぎりのことだよ。そんなうろたえるな。裸の女を見たわけでもあるまい」

 公爵が弟の肩を叩いて言う。


 イーサンがヒュウっと口笛を吹いた。


「イーサン、君だって女のこととなったら僕とおんなじくらい駄目なくせに」

 トリスタンがやり返す。


 イーサンは顔をしかめてそっぽを向いた。ほんのわずかな沈黙。どうやらイーサンに交戦する気はないらしい。


「でもそんなことはどうでもいい。兄上、どうしてデミアン大公に宣戦布告なんてしたんです?プリシラは、僕の妻は、自分の意志で出ていったんですよ。何もピーター・ドールに誘拐されたわけじゃない。兄上が言っていたようにドールが大公の手先というわけでもありません。交易の市場を見ましたか。ひどい騒ぎようですよ!農民も漁師も商人も戦争だ、戦争だって……」


 たしかにダーチャの市場は花火の日の夜のような浮かれようだった。公爵はプリシラを邪悪な大公の手から守るために戦うと宣言したのだ。


 トリスタンには、兄が何かたくらんで戦争を始めたのだということは明白だった。ニコラスは戦争がしたかったのだ。


「いや、トリスタン、お前は間違っているぞ。プリシラは、我らが女王陛下は大公に連れ去られてたんだ。プリシラはピーター・ドールに操られているのさ。ああいう純情で父親のいない娘を洗脳するのは簡単だろう?狂ったような恋までして……。大公は姪を褒美としてドールに与えるだろうな。ピーター・ドールの狙いはそれだったんだ。今まで仕えていた若い娘の肉体を思い通りにすること。女王を凌辱することさ!お前の妻を……」

 公爵は熱っぽく、トリスタンをそそのかすように演説をしてみせる。


 実際トリスタンを戸惑わせ、自信を奪うのには、ほんの少しのきっかけで十分だったのだ。

 プリシラへの絶望的な恋。手に入れたばかりの妻を征服することなしに失った喪失感。

 多感なトリスタンには兄の言葉は効きすぎるくらいの毒だったのだ。


「違いますよ!」

 トリスタンは激昂した。

「兄さんの思い違いですよ、そんなの。プリシラはピーターを愛したことなんてない。そんなことあるはずはないさ」


「いいや、本当だ。女王はピーター・ドールに恋焦がれていたのさ。お前のそばにいながらずっとドールを待っていた。

お前はそれを黙って許すつもりか?お前とプリシラは神聖な婚姻によって結ばれた仲なんだぞ。剣をとって妻を守るつもりはないのか」


 トリスタンは低い声で悪態をついた。

「クソッ。なんてことだ。でもそんなはずないんだ。兄さんは戦争をしたがってるだけなんだ。プリシラはひょっとしたら、あのドールとかいう奴に淡い恋心を抱いたかもしれない。でも、奴への本物の情熱なんて持ち合わせていないのさ。奴だって本物の悪党にはなれない。意気地なしだからな。ドールがプリシラの純潔を汚すことなんてありえないよ」


「疑わしいな」

 イーサンがスッと立ち上がって言った。


 もうそれで十分だった。十分だった……

 トリスタンはプリシラのために剣をとって戦闘に出ることを決意したのだ。

 正しいか、間違っているのかは関係ない。ただ、プリシラの心を取り戻して征服してしまいたかったのだ。

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