第13話 想い出の婚約
ピーター・ドールは姫君をパトリック・ドトーに奪われた後もぐずぐずしていなかった。昼夜を問わず、馬を飛ばして故郷へ、母のもとへと急いだのである。
彼の故郷は大陸の東側、十字の島と呼ばれる入り組んだ形をした孤島にあった。新しい王デミアンの迫害を受けた貴族たちは命からがら、この島に逃げてくる。
ピーターの老いた母親は頭ももうすっかり白髪になって、息子の帰還に感激の涙を流した。しわしわの手が騎士のたくましい手をぎゅっと握る。あまりに力を込めすぎて痛いくらいに。
「お前が家を出てからもう何年経っただろうねえ。エミリーと私とでお前の帰りを今か今かと待ち侘びてたんだよ。それがこんなことになってしまってねぇ。ひどい王様だよ。カーニヴァルで踊っていた娘っ子たちを一人残らず連れ去ってしまったんだって。地位や教養のある地主たちを片っ端から捕まえて縛り首に……!はあ、お前が死んでるんじゃないかって心配したんだよ」
母のアンナはそう言いながらも、涙を止められずにしきりに白い弱々しい手を震わせている。
しかし、領主館は変わっていなかった。15年前に去ってから、これっぽっちも。
母の居室の肘掛け椅子には緑のビロードのドレスがかかっている。子どもの頃から変だと思っていた。母は緑の衣服を着たことがないのに!
それから長旅の後に必ず出される温めたワインと桃色や淡い黄色をした砂糖菓子。
扉が開いて銀のお盆を持った女性が入ってきた。ひどく姿勢のいい背の高い女だ。黒い巻き毛を
女はお盆をピーターの近くのテーブルに置くと、膝を折って挨拶した。
「長い旅路で……」
ピーターは女の顔を見るなり喜ばしい驚きの感情を味わった。薔薇色の頬、血のように赤い唇。黒い意志的な瞳。美しいとまでは言わない。だが、非常に好ましい顔だ!
「ピーター、まさかエミリーを忘れたんですか。幼い頃ずっと一緒に暮らしていたじゃないですか。まったく、若い人たちときたら……」
アンナが泣くのも忘れて熱心に言う。息子とエミリーを見る目が幸福に輝いていた。
しかし、ピーターは驚いてしまう。エミリーは今は亡き先先代のドール卿に引き取られた孤児の娘だった。むろんピーターはエミリーと同じ食卓を囲い、時には子どもたちで詩の朗読会を開き、乗馬に一緒に出かけた仲なのだ。
エミリーはピーターよりも一つ年上で、理知的な少女だった。控えめに振る舞っていたけれど、かといって孤児にありがちな、悲観に沈んだり、いじけの感情と共に忍従に甘んじたりすることはなかった。
兄が死んでから、領地を運営し、老いたアンナの世話をしているのはエミリーである。実務に優れた、愛情の細やかな女性だったのだ。
それにしてもあのエミリーが、こんなにも美人に育っていたとは!時の流れとは不思議なものだ。
「エミリー、見違えたなぁ!いや、昔から美人だったけれど、でも今は……」
エミリーがにっこりと笑った。
「それで、今はあなたがここの領主なのね」
二人は庭をぶらぶらと歩いた。微かに潮風の匂いがする薔薇の庭で……。
「実は言わないといけないことがあるんです」
エミリーがピーターを振り返って言う。ひどく深刻そうだ。
「領地にあなたを頼りに亡命してきた人たちがいるんです。デミアン大公の横暴はお聞きでしょう?ひどい、恐ろしい話ですわ。あんな暴君は報いを受けて然るべきです!」
「大公とは会ったことがありますが、残忍な男でしたよ」
ピーターは暗い顔つきで言った。
「ええ。信じられませんわ。私は正しいことをしたかったんです。それで気の毒な方たちを匿いました。でも、あなたは私を許してくれます?私はここの領主ではありません。それでも、行動には結果が伴うものでしょう?もし、私のせいで大公があなたを目の敵にしたら……」
「もちろん許しますよ。あなたは正しい立派なことをしたんです。高潔な行為です……」
ピーターが熱っぽくそう言って、不意に黙り込んでしまう。
エミリーは狼狽で顔を赤くして、幼馴染の目を盗み見た。
「実を言うと、そのために戻ってきたんです。軍隊を編成して、大公からプリシラ様をお守りするために」
ピーターが言う。
「そのために?」
エミリーが黒い瞳でピーターを見つめた。鋭い声だ。
「可哀想な母が僕をずっと待っていたのは知っています。もっと前に帰るべきでした。こんな、破廉恥な暴君が幅をきかせる前に……。それに、あなたにだって手紙を書くべきでした。エミリー、どうしてあなたは……」
ピーターが言い淀む。
「アンナ様を一人にできなかったわ。それに、この土地を愛してますから」
エミリーがキッパリと言った。
「でも、僕と結婚してくれますか」
慎重な言葉が、誠実な言葉が口から飛び出す。
ピーターの真剣な、優しい瞳。
エミリーは沈黙した。かたまって、庭の赤い薔薇を見つめていた。
「ええ、ええ。しますわ!あなたと結婚します」
エミリーのきらりと光る声。ひとつ幸福が天からストンと落ちてきた。
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