第22話 

 気の流れを感じられるようになって三ヶ月が経過した。クリスは毎日のように部屋に閉じ籠もって瞑想を行った。その甲斐あって、微弱だった感覚が強くなり始めた。その兆候が出始めたのはちょうど60日目。


 クリスは二ヶ月もの間、修行僧のように閉じ籠もって瞑想を繰り返した事になる。


 今日も自室のベッドの上で日課となった瞑想を行った。呼吸を繰り返していると体が帯電している感覚があった。それは体に気が満ちている証拠でもある。


「そろそろ時期かしら。」


 クリスがゆっくり目を開けた。


 窓の外を見てもまだ明るい。太陽は天辺から少し傾いた所に位置していた。瞑想は体が帯電する感覚があるまでと決めている。それにかかる時間はだいぶ短くなっていた。


 クリスが言葉にした時期とは何を指すのか。それは、身体強化を用いた脳内の記憶領域の強化だ。気の扱いが上達した今ならそれが可能になったのではないか。気の感覚を電気にして感じ取りやすくしたのも、本来の目的を達成するためである。


「ここまで数年もかかってしまった。随分と回り道をしてしまったわ。でも、これが成功すれば記憶領域における紋章陣の展開を運用が可能になる。少なくともその可能性はある。」


 厳密に言えば、ここまで来るのに二年だ。クリスがまだ幼い娘だった事を考えると時間がかかりすぎ、遅いなんてことはない。逆にできすぎなくらい成長している。


 学校に行っていないクリスは、他人と比べて自分がこうだと測る術がない。比べる対象はいつも年上で、それも天才や達人と言われるレベルの人達。それは、ある種不幸な事のように思える。いつも高いレベルの人達と接していると、自分の未熟さだけがクローズアップされる。たとえ成長していたとしてもそれを実感できない。その結果、僅かな達成感を得ることができないのだ。


「気の操作だって上達した。まだまだ精密にはできないけれど、身体強化だってできるようになった。」


 クリスは記憶領域での紋章陣の展開に必要なものを指折り数えた。自分は幾つかあるそれらを全て満たしているのか確認しながら。


 片手で数え始めて5つ目を数えたところで折り返し開いていく。全ての指が開いたのを見てクリスが頷いた。


「よし、これなら大丈夫なはず。後は身体強化を脳に施して記憶領域の強化、拡大を目指せば。」


 クリスは自分の声が高揚しているのに気付いた。


 それもそのはず、コツコツと努力してきた成果がでたのだ。やっとスタートラインに立つことができた、それだけで自分を褒めてもいいだろう。だが、記憶領域下での紋章陣展開、起動が成功したなら、そこから先は前例の無い未知の領域に入る。


 本当に大変なのはこれからだ。そもそも、紋章術師が練気を鍛錬した前例も、練気を習得した者が紋章学を勉強すた記述も残ってはいない。そのため、クリスが両方を高いレベルで習得出来ればそれだけで前人未到。だったら、その可能性があるものがチャレンジしないでどうする。セーネスでもガリウスでもない、紋章術師を次のレベルへ押し上げる権利を持っているのは自分なんだから。


 もしかするとそれをセーネスは悔しがるかもしれない、紋章学において彼女はいつも探求者だ。あのレポートだって自分の願望を反映した考えを書いたのだろう。それを誰かが・・・クリスが先んじて成功させる。セーネスには悔しさしか残らないだろう。だけど、クリスは思う。そんなセーネスの悔しさを最小に抑えられる者が居るとしたら、それは彼女の娘である自分しか居ないのではないかと。クリスだって母の研究を自分ではない誰かが成してしまうのはどこか面白くない。


「これはお母さんの為と言うか・・・そうね、自分の為に成功させなきゃだわ。」


 クリスが椅子に座る。それから、呼吸法を用いて練気を始める。


 さっき行っていたのですぐに体が帯電している感覚が起こり始めた。その帯電の大部分を頭に移動させる。すぐに5割程度が脳内に移った。ガリウスだって自身の神経を強化、反応速度を飛躍させていると言っていた。だったら私だって、クリスは記憶を司る部位に強化を施す。日本で生活していた頃に見たテレビでそれに該当するのは海馬から大脳皮質だと見た記憶がある。でも、何処がそれに該当するのか正確な位置なんて覚えていない。本当に当てずっぽう、なんとなくでやってみる以外に方法はない。


 自分を被験者として考えるならば多少のリスクは覚悟の上。失敗したとしても、この部位を強化しても記憶領域の強化には繋がらない、そんな研究結果を得られるだけ。数回強化を施せば妙案だって見つかるだろう。


 そうやって科学や紋章学は発展していったはずだ。


 クリスは脳に電気信号を送るように気を集めた。そして、身体強化の容量で脳の働きを活性化。すると、思考の全てがクリアになった。今ならどんな問題を出されてもすぐに答えを導き出せるのではないかと思える。一気に集中力が上がったような、スポーツで言えばゾーンに入っている状態に近い。


 おそらく活性化する部位が違う。だけど、練気を用いて脳内を強化する当初の目的は達成できた。


「さて、ここからどうすれば。」


 そう言っている間に答えを導き出す事ができた。悩む必要なんて無い。今なら何でも成功できると思える、そんな全能感が満ち溢れていた。

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