第21話 

 気の鍛錬を終えたクリスはいつも通りに体を拭いて自室に戻った。部屋着に着替えてベッドに座る。窓から差し込む陽気でベッドが温かかった。


 今日知り得たことはとても大きかったと思う。行動に自分の気持ちが上がるものを組み込む、そうすれば他の事で気持ちを高ぶらせる必要はなくなる。


 元の体だった時の父は毎日仕事の事を考えていた。父は地元のホテルの料理人で、休みの日でも料理書を読むような人だった。父は試作と称して食事を作る時もあった。女子高生だった私は、休日くらいは仕事のことなんか忘れたらいいのに、そう思っていた。だけど、今さっきのガリウスと話して当時の父の気持ちが少し分かった気がする。


 父は仕事として以前に、趣味として料理をするのが好きだったのだ。


 家族でお出かけもしたし外食だって行った。そこまで裕福な家庭ではなかったから旅行はあまり行かなかった。けれど、父は模範的なだった。その上で好きなことに没頭する。父にとってはそれが料理だったのだ。料理をするって行為自体が気分を高揚させていたとしたら。


 それは何処でも、何時までも考えることが可能だ。


 ガリウスだってそう。おそらく体が滾ってさえいればガリウスは何時までも戦える男なんだろう。


「メンタルコントロールね・・・。」


 そう考えると、クリスはどうやってそれを紋章術に組み込んでいけば良いのやら。


 クリスは自分の両手を見た。包帯が巻かれた痛々しい手だ。ここまでして得た感覚、それを無しにするような事をして良いのか?あのセーネスに怒られた時間を無駄にして良いのか?


 クリスは自問自答した。そして、湧いて出てきた答えに呼応させるように首を横に振った。


「そうね、無駄にしたらもったいないものね。痛い思いもしたんだし。」


 クリスは自身の気の感覚を電気にする意思を固めた。


「もしかするとお母さんやゲイル叔父さんが考案した紋章陣は使えなくなるかもしれないけれど、これが私のオリジナルだと思えば悪くない。そう、悪くないじゃない。だったら・・・」


 あとは思い切ってやってみるだけだ。


 不思議と悲観的な事は考えに無い。失敗したって紋章陣が使えなくなることはないはず。


 ベッドの上で仰向けになって目を閉じた。怠けたいわけではない、これが一番リラックスできる体勢ってだけ。練気の呼吸法で気を練る。徐々に体が熱くなっていく。へその下で両手を重ねて置いた。食事を終えてすぐでもないのに下腹部が張っている。


 感電した時の事を思い出す。天から降り注ぐ雷を、この体で体感した痺れさせる程の電流を、電流の中にある膨大なエネルギーを。気を用いた体内での発電、そのイメージで練気を続けていた。体感としてはあまりに短い時だった。すると、体の中で違和感があった。まだ弱々しいが確かに感じる。実際に感電した体験が良かったのかもしれない。それは微弱な電流のそれだった。


 ただ、今のクリスにはこの短い時間だけで限界だった。


 クリスが目を開けて大きく息を吐き出した。体が熱くなっている。それだけで自分が未熟だと言われているようだ。額に滲んだ汗を手で拭う。不思議と呼吸は乱れていない。初めての事をしたからだろうか、今はやけに体が重く感じる。


 体を無理矢理起こして窓の外を見た。


「もう夕方じゃない。」


 窓の外の景色は茜色になっていた。


 クリスが大きく息を吐き出した。気の感覚を養う時はこれほど消耗するのだろうか?ガリウスは師匠が近くに居ただろうし、セーネスやゲイルは気を扱う者ではない。


「凄く疲れた。疲れたけれど・・・。」


 成功したんだ。クリスがはにかむように笑う。


 拳を握ると火傷が痛んだ。だけど、痛みよりも、体のダルさよりも、今は気の感覚が生まれた事に対する喜びが大きい。


 あとはこの感覚を育てていくだけ。しばらくの間、本を読むより瞑想をしたほうが良いかもしれない。継続しなければこの感覚が何処かへ行ってしまいそうだ。紋章術におけるマナの活用にこの感覚を落とし込むのは、ある程度慣れた後でもいいだろう。


 クリスが今後の事を考え始めた時、誰かが扉をノックした。


「お嬢様、夕食の準備が整いました。」


 ローザの声。クリスは扉の向こうに居るローザに返事をして立ち上がった。


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