第20話
両手に怪我を負った翌日もクリスとガリウスは気の鍛錬をしていた。今日は組手は無し。ガリウスが怪我を理由に今日は控えるように言ってきたのだ。
このガリウスの提案の背景にはセーネスの影がちらつく。
セーネスは過保護ではない。だが、自分の中の良き母の像を貫く印象がある。実際クリスにとっては最高で最愛の母なのは間違いない。こうしてガリウスと気の鍛錬をして組手までしている事をセーネスはとても心配している。この組手でクリスが怪我でもしたら、きっとセーネスはガリウスを本気で殺しにかかるかもしれない。
おそらくガリウスもそれを認識している。
そんな理由で今日は基本の呼吸法の反復と気の扱い、気の集め所について鍛錬した。やっている事は昨日の朝と対して変わらない。ガリウスがクリスの気と同調して気の流れを感じ、体内における配分をしていく。今日はそれを反復した。
「今日はこの辺で止めておくか。」
ガリウスが突然終わりを告げた。呼吸の乱れはおろか、汗の一つもかいていない。ガリウスとは対象的に、クリスの額には玉のような汗が沢山浮かんでいる。この時ばかりは体力の差を痛感する。ライデンハーツ王国騎士団の副長の名は伊達ではないということだ。
クリスが地べたに腰を落とした。手をついて体を支えたかったけれど、掌が痛むのでそれは止めた。乱れた呼吸を鎮めようと何度も深呼吸を繰り返す。
「今日は地味な鍛錬だったな。だが、案外この地味な鍛錬の方が重要だったりするんだ。クリスの手が治るまではこんな感じの内容をして行こうと思う。」
見上げたガリウスは腕を組んでニッコリ顔だった。
気を同調させるのだって相応の負担がかかっているのだと思う。クリスは余裕綽々なゲイルのことを化け物なんじゃないかと思った。それでなければただの馬鹿だ。疲れに鈍感すぎる。もし、訓練の賜物って言葉で片付けるのであれば、ガリウスはいったいどれ程の鍛錬を積んできたのだろう。
クリスは改めて父の凄さを知り、自分では分かり得ないほどの高みに居るのだと感じた。差は絶望的に広い。だが、あの余裕な顔に一撃入れるのを諦めるなんて選択肢はクリスには無い。
今は一歩ずつでも、果てしない道の先で目的を達成できるなら、今一歩めを踏み出さないのは諦めているのと同義だ。
呼吸を整えたクリスがガリウスに問う。
「お父さん、一つ聞いて良い?」
「なんだ。今日の飯の内容ならローザに聞かないと分からないぞ。」
「それは食事の時間まで楽しみにしておくわ。そんな事をお父さんに聞かないって。・・・どうして気の感覚を熱にしたのかなって、他にも選べたんじゃないの?」
「その話か。オレの場合は師匠の系譜みたいなのがあって、当時は深く考えなかった。それが当然みたいな感じで思っていた。若輩の頃は気を練ると汗をかくし体も熱くなる。それが、練達してくるとそうでもない。」
「体が熱くならなくなるってこと?」
クリスとガリウスの差が何なのか分かった気がした。
「そう。だからって、今まで気を練ると体が熱くなるのを頼ってたんだぜ?それが薄くなってきたらどうよ。不安しかない訳よ。」
「だから熱にしたのね。」
ガリウスが頷く。そして、ニヤリと笑って言葉を続けた。
「体は熱く、思考は冷静に。それが戦う時の鉄則だろ?気を練ったら体が滾る、その感覚が単純に好きなんだよ。やってやるぜって感じがさ。」
ガリウスがグッと握り拳をつくった。
気を扱うにあたって精神的な浮き沈みは非常に重要で、気分が落ちている状態で気を練ったとても上手くはいかない。泰然としている状態、もしくは気分が高揚している時にその効果は最大になる。
「それじゃあお父さんは自分で気を練ったら体が滾って、体が滾ったら気分が高揚するの?随分な好循環を生み出しているのね。そっか、それなら気の感覚は熱にした方が正解だわ。」
「当時はそこまで深くは考えてなかったけれどな。今思うと正解を選んでいたって感じだ。だがよ、気の感覚を熱以外にしている奴なんて見たことないぞ。他に良い感覚がアレば話は別だが・・・。まぁ俺の流派はそうだって話で、他国の流派には違う感覚で気を扱う者も居るだろうさ。」
腕を組んだガリウスが言った。
クリスは自身の気の感覚を感電にしても気分が高揚することはないだろう。それならば熱にしたほうがメリットがあるのだろうか。いや、そこがなんとなく引っかかっていた。この感覚でマナを扱うのだ。もしかすると自分の得意な紋章が変わってしまうのではないかと危惧している。
セーネスもゲイル叔父さんも炎系の紋章が得意だと聞いている。ならば、二人が気を扱う時はガリウス同様に感覚は熱を用いるのではないかと。もし、気の感覚を電気にできたなら、クリスの得意な紋章は電気、雷系になるのではないか。その辺の文献はないので正確なことは言えないけれど、もしクリスの仮説が正しければそれは大発見である。
「私は・・・。」
クリスが言い淀んだ。迷いが生じてしまったのだ。
クリス自身の考えでは電流が流れる感覚の方が良いと言っている。だが、今聞いたガリウスの意見を踏まえると、盲信的に自分の意見を推し進めるのは危ないような気がする。
「クリス、お前は自分が考えたとおりにすれば良い。推測でものを言うが、その手の怪我も今の話に何らかの関係があるのだろう?俺の話を聞いて意思が揺らいだかもしれない。何を選ぶにせよ、後悔が大きい選択をするのは親としては悲しいかな。」
ガリウスがニヤリと笑ってクリスを見下ろした。太陽と重なったその笑顔がやけに眩しく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます