第4話




 私の生まれ育った街――〈数得市〉。

 あり大抵に言えば、掃いて捨てるほどある地方都市の一つ。なのだが、他とは一線を画す、見逃せない大きな特徴がある。

 それこそが行政隔離区域、通称〈ワンダスト〉の存在だ。

 市街地の治安を維持するため、という大義名分を掲げて二十年前から運用開始。犯罪の温床たる貧困層を遠ざけるために分断された。無論、物理的に。その境界線は市内を貫く一級河川だ。そこに往来を妨げる壁と検問所が築かれた。結果として〈数得市〉と〈ワンダスト〉の土地は三対七、丁度陸と海と同じ比率になった。要するに、大多数を切り捨てた上に成り立つ平和なのだ。おごり高ぶる市民の方が少数派とは何たる皮肉だろうか。


 それでもまだ、当初の理念だけならマシだった。

 住み分け程度の施策だったはずが、いつ頃からか流刑地として利用されるようになったのだ。

 犯罪抑止を目的とした見せしめなのか。それとも、刑務所の維持を放棄し財政に余裕を持たせるためなのか。囚人に更生の余地なしと判断して、臭い物にふたをするかの如く島流しだ。おかげで〈ワンダスト〉は瞬く間に無法地帯と化した。

 元より行政が介入しない土地で、警備の目も壁と橋周辺くらいにしかない。貧困層の不法入を阻止するためだ。区域内での犯罪には関与せず、見て見ぬ振りが基本姿勢。行政や捜査機関が介入するのは、〈数得市〉側に影響を及ぼす案件の場合のみ。よって、住民はおのが身を独力で守らねばならない。結果、西部〈仔豚街〉では自警団が結成された。現在、他地域や犯罪組織との衝突もあり、一触即発の構図と相成あいなっている。


 当然ながら、現状をうれう市民もいる。

 何を隠そう、私もそのうちの一人だ。仮初かりそめの平和を享受するために大勢を犠牲にする。そんな冷血の極地たる街の姿勢にノーを示し続けている。その一環が〈ワンダスト〉内でのボランティア活動だ。子ども達との繋がりを求めたが故の行動……だけではないと明言しておく。欲望優先の変態淑女と思っていた奴、そこに直れ。成敗してくれる。

 という、愚にもつかない自己弁護はさておき。

 残念ながら、街の姿勢に疑問を呈する者は少数派だ。市民の大半は市政に興味がなく、一家言いっかげんがあっても声を上げようとしない。何故なのか。答えは単純、意見を述べれば不利益があると分かっているからだ。


 単なる地方都市の〈数得市〉だが、その実態は〈藤堂重工とうどうじゅうこう〉の企業城下町。すなわち、街の全てが会社の支配下にある、と言っても過言ではないのだ。

 世界に名をとどろかす一大企業――〈藤堂重工〉。

 創業百年を超える老舗しにせで、町工場から始まり造船業を経て軍事産業を主体に急成長。大戦後、兵器開発が禁止になってからは、街の開発に注力して規模を拡大。圧倒的な財力をもってして数多あまたの企業を傘下さんかにし、医療や食料品などの他業種をも手中に収めた。街において、息のかかっていない例外は数える程度。〈藤堂重工〉はもはや〈数得市〉そのものなのだ。

 本社や関連企業に雇用されているか、それとも街に居を構えているか。どちらにしろ、市民の大半が〈藤堂重工〉に生かされている状態にある。下手に刃向かえば路頭に迷うし、村八分ならぬ街八分にされる未来が目に見えている。よって、だんまりを決め込むのが吉という判断に至る訳だ。


 また〈藤堂重工〉は政界進出も視野に入れており、既に〈数得市〉の市長及び市議会議員はほぼ企業関係者で占められている。おかげで〈ワンダスト〉という非人道的な施策を強引に押し通せたのだ。その後も〈藤堂重工〉にとって都合の良い政策が幾度も決定し、ますます各所に支配の手が伸びていく。一人二人が異を唱えたところで焼け石に水の段階だ。無関心が招いた最悪の結果と言えるだろう。

 それが〈数得市〉の現実なのだ。

 私の暮らす街に変わりはないが、愛着以上に憎悪がまさってしまう。より正確に言うのなら、今を作り上げた〈藤堂重工〉に対してだ。長きに渡りこの地を支配し続けたせいで、人の心を失った街が出来上がってしまった。そして何より、自分もその恩恵を受けて育ったという事実に反吐へどが出る。日々膨張し続ける自責の念で押し潰されそうだ。


「どうして、他の人達は平気な顔で暮らせるんだろう」


 平日、夕暮れに染まるアスファルトの道程。

 整然とそびえるビルと、生い茂る緑の並木を見上げて一人ごちる。

 発展した街と保たれる自然の調和。その景色はきっとかけがえのないものだ。小さな罪も許さず、清く正しく美しく。絵に描いたような平和がここにある。

 だが、それは表向きだけだ。

 壁の向こう側、〈ワンダスト〉の犠牲というむくろの上に立っているだけ。塗り固められた理想の裏では不満が渦巻き、その発露として小さな犯罪がそこここで発生している。いつぞやの万引きが良い例だろう。そしてその度、汚点を産地直送で島流しにする。体裁を取り繕うだけの姑息こそくな対症療法だ。土台が腐っているのだからどうにもならない。

 遠くない未来、この街は限界を迎えるだろう。盛者必衰の理だ。しかし、それまでにどれほどの〈ワンダスト〉民が犠牲になるのか。元犯罪者ならまだしも、原住民や子ども達に非はないはずなのに。

 保育園で一緒に遊んだ、子ども達の笑顔が浮かび胸が痛む。

 ああ、いけない。

 また自己嫌悪に陥ろうとしている。

 憎悪の炎を振り払うように首を振る。ぶんぶんぶんぶん。ちょっと強めに視界が揺れたところで、


「……あら」


 違和感を覚えた。

 視界の端に映る何か。

 私の右斜め後方、二十メートルほど先。

 曲がり角に立つ電柱、その後ろから細い人影が伸びていた。

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