第3話


「ありがとうね、有栖川さん。おかげで本当に助かるわ」

「いえいえ、市民として当然のことをしているまでですから」


 園庭を駆け回ったり、おままごとやヒーローごっこをしたり。遊び疲れた子ども達がぐっすりお昼寝中のこと。保育士のおばさんから冷たい麦茶の差し入れだ。感謝の言葉と共にぐいっと飲み干す。

 無償で子どもの面倒を見てくれるなんて。しかも〈ワンダスト〉の保育園で。なんて奇特な人なんだ。という思いが根底にあるのだろう。〈数得市〉出身の若者となれば尚更だ。事実、関わろうとする者は圧倒的少数派。犯罪者ならしょっちゅう流れ着くが、一般人の出入りは数えるほどだろう。


「でも、大丈夫なの。〈仔豚街こぶたがい〉は比較的治安が良い方だけど、向こうと比べたら雲泥の差でしょ?」

「心配ご無用です。ちゃんと腕章を身に着けていますから」


 現状、私の立場は有志のボランティアに過ぎない。〈ワンダスト〉を支援する団体の一員として、往来許可証と〈数得市〉側の者と示す腕章を携帯しているだけだ。許可証がなければ壁を越えられないし、腕章を失くせばだろう。

 しかしそれは、あくまでも〈ワンダスト〉の西部――通称〈仔豚街〉の中だけに限った話だ。〈数得市〉の行政と友好関係を築いているが故でしかない。ただでさえ恨まれている側の人間だ。他の地域なら腕章の有無に関係なく魔の手が迫る。営利目的あるいは人身売買のために誘拐、最悪の場合出会い頭に射殺されてもおかしくない。

 残酷無比で非情の極み。〈ワンダスト〉はそういう場所なのだ。そしてその根源は〈数得市〉に住まう者、いてはいただきにてふんぞり返る連中の所業にある。

 すやすや眠る天使達の笑顔を見下ろす。

 彼ら彼女らには何の罪もない。それなのに、この地に生まれたというだけで過酷な人生を強いられている。どうしてこんな世界がまかり通っているのだろう。己の無力さに歯噛みをしてしまう。


「こっちにだって、いいお店がいっぱいあるのになぁ」


 ボランティアを終えた後。

 私は壁とは逆方向、行きつけの喫茶店に立ち寄った。

 扉を開けるとカランコロンと鐘が来客を告げる。

 内装はアンティーク調。隅々まで手入れが行き届いており、〈ワンダスト〉としては上位だろう高級感を醸し出している。しかし、提供されるメニューはお手頃価格リーズナブルで至って庶民派。コーヒーやスイーツを気軽に味わえる。

 ここは〈喫茶ダッチェス〉。〈仔豚街〉の中心部に建つ、知る人ぞ知る名店だ。

 湯気をくゆらすカップを手に一口。黒一色の液体が芳醇ほうじゅんな香りと苦みを纏い、舌の上を転がり魅了する。のどの道を熱い刺激が滑り落ちるこの瞬間はまさに至福。脳の奥底までもがしびれて震える。

 しかしこれはまだまだ序章。本命本題を味わうための肩慣らし、もとい舌慣らしのようなもの。さぁ、迎え入れる準備は万端だ。


「待たせたわね。こちらがご注文の日替わりケーキよ」


 オーナー自ら給仕してくれたのは、いちごたっぷりのショートケーキだ。宝石のように輝く天頂の果実は無論、クリームからスポンジに至るまで徹底的に。こだわり厳選のフレッシュな苺がふんだんに使われている。

 鋭角な先端をフォークで一刺し。すくい上げるのはパステルピンクの春色だ。口に含んだ瞬間溶けてしまうほどに滑らかな舌触り。甘酸っぱい香りが鼻を抜けるとぱっと弾けていく。

 甘味を堪能する合間にはコーヒーが欠かせない。上品な甘さと苦みは相性抜群、互いの味を引き立てては絡み合う。相乗効果だ。匠による計算され尽くした組み合わせの前に、消費者はこうべを垂れるしかない。

 やっぱり〈喫茶ダッチェス〉のスイーツは格別だ。〈ワンダスト〉随一どころか、〈数得市〉の激戦区でも勝ち抜けるポテンシャルを誇っている。惜しむらくは知名度に乏しいことか。〈仔豚街〉でもあまり知られておらず、閑古鳥かんこどりが鳴かないまでも客足はそこそこ程度の様子。だが、有名になり過ぎるのも困りものだ。行きつけの店として、隠れ家的なポジションを維持してほしい自分もいる。


「まぁ、きっと杞憂きゆうで終わるだろうけど」


 友好関係にあるものの、〈数得市〉と〈ワンダスト〉が融和して交流盛んになる、なんて気配は無に等しい。如何いかに〈仔豚街〉が歩み寄ろうとも敵対する他の地域が許さない。それに、街の支配者層も対等に付き合うつもりは毛頭ないだろう。停滞が一番なのだ、街の構造の恩恵を受ける者達にとっては。


「あれ、あの子は」


 ふと窓の外を見遣みやると、可憐な少女が一人歩いている。棚引くツインテールに大きなリボン、そしてホットパンツを履くその姿には見覚えがあった。

 つい先日、私の背中を蹴り飛ばした女の子だ。

 まさかこんな場所にいるなんて。せっかくだから、お叱りの言葉の一つや二つ投げようか。と、身を乗り出したところで疑問が脳裏をかすめる。

 

 常識で考えればおかしいのだ。いくら悪戯好きで無鉄砲な子だとしても、危険地帯である〈ワンダスト〉を訪れるはずがない。仮にそうだとしても、〈数得市〉民と証たる腕章を身に着けていないのが解せないのだ。まさに自殺行為。「是非ぜひとも犯罪に巻き込んでください」と言っているようなものだ。

 となると、あの子自身こちら側の出身ということか。なるほど一理ある。しかし今度は、何故〈数得市〉の小学校に通っているのか、という謎が湧いてくる。許可証があれば門を通じて往来可能だが、〈ワンダスト〉側の人間は基本的に所持できない決まりだ。盗難品を用いている可能性もあるが、門番の目が節穴とも思えない。といった具合に、どう解釈しても疑問符が残ってしまう。


「うーん、実にミステリアスな子ね」


 窓越しに、少女の背を眺めながらコーヒーをすする。

 どうやらあの子は、その小さい体に大きな謎を秘めているらしい。ただでさえストライクゾーンど真ん中なのに、ますます興味がそそられちゃうじゃないか。

 名店自慢の苦みをもってしても、このたかぶりを抑えられそうにない。辛抱たまらずもう一杯、そしてもう一品スイーツを注文。湧き上がる欲求を満たすため、代わりとばかりに腹へと詰め込むのだった。


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