第肆話 天正十年 六月二日 本能寺の変 

 京の町に入洛すると、夥しい数の『角折敷すみおしき三文字みもじの紋』の白地の旗印が翻っていた。

(何故京の都に、稲葉伊予守の軍勢が居るのか!一見するに兵二千と見受ける)


 頭の中で稲葉伊予守と斎藤内蔵佐が、未だに内通していた事に思いが至った。


(そうか!全て稲葉伊予守の企みで在ったか。しかも10年余りもの間の謀とは…頑固一徹じゃな)


 直ぐさま手勢千騎に大声で下知した。

「敵(斎藤内蔵佐)は本能寺に在り、努々遅れるでないぞ!」


 そして一路本能寺に向けて馬首を巡らし、全速力で駆け出した。


(間に合えば良いが……)


 本能寺で桔梗紋の旗印と、同じ桔梗紋の旗印が対峙していた。

 ただし傍目には、単なる増援が合流した様にしか映らない。

「チィッ、桔梗紋の旗印を勝手に使うとは……」


 私は単騎で本能寺の寺門に辿り着くと、双方に聞こえるように大声量にて下知した。

「惟任日向守!此れより上様に拝謁致す。皆の者、手出しは一切無用と心得よ」


 そして本能寺の寺門を開かせて、上様の在所に向かうのであった。



◆    ◇    ◆



 私は本能寺の中を、上様の在所へと向かって進んでいた。

 本能寺は良く利用していたことも有り、屋敷の内部は熟知していた。

 上様の在所と思われる広間に付くと、木戸越しに声を掛けた。

「惟任日向守、緊急の用向きにて罷り越しました」


 中からは、上様の落ち着いた声が返ってきた。

「日向守か?構わん入れ」


 私が恭しく入室すると、上様の右肘には種子島に撃ち抜かれた跡から出血していた。

 直ぐに上様に駆け寄ると、矢玉用の膏薬を袱紗に厚く塗ると、傷口に押し当てた。

 その様子を見ながら、上様が残念そうに呟いた。

「此度の討ち入りは、日向守の差配では無いのか?」


「上様、申し訳ございません。此度の逆心は斎藤内蔵佐父子の独断でございます。尚二条新御所の辺りには、稲葉伊予守の旗がはためいて居り申した」


「フーッ、是非も無し」


 上様は溜息を吐かれると続けて、申された。

「此度の謀反は朝廷の手引きによる企みぞ。余が存じて居る真相を語って進ぜよう」

 

 改めて傷口を抑えながら、座り直すと稲葉伊予守について語り始めた。

「此度の絵は手が込んでおる。こんな絵が書けるのは、稲葉伊予守良通くらいじゃろうのう。元々奴ら美濃衆だけが織田家臣団には加わらずに、与力として余から一線、距離を置いて居ったわ」


 上様は静かに目を閉じて、長い陰謀を語り始めた。

「まず初めは先年亡くなった竹中半兵衛重治じゃ。吾奴を家臣に列する様に命じたところ、筑前の与力を選びおった。儂への与力には無理が有るので、家臣に与力するという建前で独立を維持したのじゃ。元亀元年(1570年)の頃じゃのう」


「次が日向守じゃ。斎藤内蔵佐利三が稲葉伊予守良通の元を出奔して見せたのは、先を見据えての謀よ。確か日向守の家臣に列したのは、同じく元亀元年(1570年)であったのう」


「更に稲葉伊予守自身は姉川の合戦の折りに一人、徳川蔵人佐に与力しおった。これも同じく元亀元年(1570年)のことじゃ。つまり同じ年に儂の有力な家臣、日向守・筑前守・徳川殿に軍者を送り込んでおった訳じゃ。この様な偶然が有るものであろうかのう。話によると時期こそ異なるが、三名共々恵林寺に居った快川招喜の愛弟子じゃよ。そして朝廷とも浅からね縁がある。其方と同じ名門土岐氏の末裔じゃからな」


 腕の傷が痛むのか、一息吐くと続けて語った。

「あれは、天正二年(1574年)のことじゃ。とある筋から稲葉伊予守の謀反の計画を、漏れ聞いたのじゃ。そこで早速、茶会に招いてその場で誅すつもりだった。しかし逆に諭されて仕舞ってのう、この場で稲葉伊予守を誅せば、織田家自体を滅ぼす計略が用意されておると」


「更に此度の甲州征伐で発覚したのじゃが、武田領内に土岐頼芸を匿って居ったのじゃ。そのため日向守に土岐家の家督を相続させる事が出来なかったのじゃ。儂はキンカ頭が作る、駿府幕府を見てみたかったのう……」

 上様は、呵呵大笑なさっておいでであった。


 やがて周囲から、何やら叫ぶ声が聞こえてきた。

 恐らくは火を放ってきたのだろう。


「上様が駿府幕府をお開き頂ければ、この日向守、身命を賭してお支えする所存。これより南に八里ほどに我が息子、明智与兵衛が兵一万を以って待機させておりまする。是非ご決断くださいませ」

 私は伏して、奏上仕った。


 すると上様はゆっくりと首を振ると、私に向かって言った。

「物事には機というものがある。日向守は急ぎ、本能寺を出て軍勢をまとめ上げて、稲葉の軍勢を討伐して、天下布武を成し遂げよ!ここからは『武』よりも『政』が時代を治めよう」


 上様は扇子で、本能寺の隠し通路を指し示しながら命じた。

「日向守も本能寺の脱出口は知っておろう。直ぐに軍を指揮せよ!このままでは全て稲葉伊予守の手柄とされてしまうぞ。おそらく出口にも兵を配しておろうが、日向守なら抜け出せよう」


「上様は如何なさいますか?」


「儂にも秘策がある。天下の行方も見届けたいのでのう、うひょひょひょひょひょ……」


 辺りからはくすんだ煙が立ち込めるようになってきた。

「さっさと行かぬか。これが最期の主命であるぞ!」


「ゴメン仕る」

 私は頭を畳に擦り付けるように、平伏すると立ち上がり、急ぎ本能寺の抜け道にひた走った。


 背後からは能の一節、『敦盛』が聞こえてきた。

「人間五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻の如くなり……」


(思いの外、火の廻りが早いようだ)


 恐らくは四方八方から火矢を射かけているのだろう。

 背後からは熱風が押し掛けるようになっていた。


 何とか脱出口に辿り着くと、そこには斎藤内蔵佐が兵百ばかりで待ち構えていた。

「誰に刃を向けておるか!惟任日向守はたった今、上様を討ち取ったぞ。お主が火を放たねば、首級も手に出てこれたものを台無しにしてくれたな!」


 斎藤内蔵佐をその場で咎めると、軍の指揮権を取り戻した。

 どうやら織田三位中将さんみのちゅうじょうは在所の妙覚寺から、二条新御所に移ったとの情報を得ていた。


 急ぎ二条新御所に向かったが、既に火の手が上がり始めていた。

 直ぐに兵に対して、織田三位中将さんみのちゅうじょうの生害を確認させたが、遅きに失してしまった。

 既に二条新御所は、業火に包まれていた。


 そして、洛内に翻っていた夥しい数の『角折敷すみおしき三文字みもじの紋』の白地の旗印は、いつの間にか消え失せていた。


(稲葉伊予守は上様を上意討ちとはせずに、私の謀反に見せかけた芝居で在ったか……)


 急ぎ、手勢三千の軍を率いて、大垣城占拠に向かった。

 稲葉伊予守の軍の追撃と、反撃の防衛線を構築する必要に迫られたからであった。

 また息子の明智十五郎光慶が率いる本軍一万は下鳥羽の南殿寺に本陣を構える様に下知した。


 何とかこの仕組まれた謀反を、自らの手で行ったように振舞い、天下をこの手にするより他に手立てを失っていたのだった。


 そして舞台は、山崎の合戦へと突き進むのであった。

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