太歳

 それは原始のプールだった。

 果ての見えないほどに広く暗い洞窟の底。

 神はその中心に座していた。

 ボコボコと沸き立ち、弾け、悍ましき生命の根源たる粘液と酷い悪臭の蒸気を吐き出す黒い原初のアメーバ。

 それには頭も胴も首も無ければ、目も鼻も口も耳も手も足もない太古の原始的な不定形の存在。

 しかし、それは間違いなく神だった。

 神は醜く粘つくその不定形の体より、時折何か酷く単調で原始的な生命が産み落した。

 その産み落とされた何かは、どれも違う形をしていながらも全て神に似ていた。

 そして、産み落とされたそれらは、神から分離してすぐに神より離れ──ある物は明日香らの目前まで逃げ──、しかし、その全てがその広間を出るより先に神の体より伸ばされた触手によって絡め捕られ、親である神によって食われた。

 その悍ましく冒涜的な有様は、幾つかの神話が語る原初の混沌そのものであった。

 それを見た英人には、この悍ましき原初の存在。

 しかし、彼はこれが彼にとって絶対なる創造主であると魂が理解した。

 それでいてこの神は一神教のそれとはまったく違った。

 人類を愛したり、全知全能であったり、人を救う類のそれには見えなかった。

 これは、絶対の創造主でありながら人の言う愛などないのだ。

 この原初の無形、半流動の生命のプールこそ生命の始まりであり、生命の輪という現象そのものなのだ。

 ザッ

 呆然と立ち尽くす英人の横を哲将がゆっくりと通りすぎた。

「哲将さん?」

 すれ違い間際、英人がのぞいた哲将の目には意思がなく、まるで何かに呼ばれ従うままにゆっくり、ゆっくりと神の方へと歩いていく。

「──哲将っ!」

 哲将を止めようと明日香が手を伸ばした。

 だが、その手は空を切る。

 神から伸びたイソギンチャクのそれを何倍にも大きく長く、悍ましくしたかのような触手が、明日香よりも早く哲将に絡みつき攫ったのだ。

「哲将っっ!!」

 最早明日香の声は哲将に届かない。

 絡め捕られた哲将の体は、力なく項垂れ、人の形をした玩具のように触手によって玩ばれ、神の体へと沈んでいく。

「あ、明日香さん……」

 こんな事になるなんて。

 救いを求めてきたのではなかったのか。

 それがどうしてこんな目に。

 目の前の悍ましい光景、道中のありえない事象、絶望的な状況。

 英人の精神は限界を超えて擦り減り、未だ発狂しないのは自分以外の存在と奇跡的な幸運によるもの。

 いや、発狂しなかったのは不幸なのかもしれない。

「明日香さん!逃げましょう!!」

 英人は縋る様に明日香を見たが、彼女は残酷にもそれを手で制した。

「まだです!石板を!せめて石板だけでも発見しないとっっ!!」

 英人はこんな状況にありながらも目的を果たそうと周囲を探索しようとする明日香の腕を引っぱり来た道を戻ろうとした。

「こんな状態で何を言──っっ!!」

 しかし、明日香はその小さな体躯で逆に英人を引きずり広い洞窟内を駆けた。

 心身共に満身創痍で明日香に引きずられる英人は見た。


 見てしまった。


 あの悍ましき原初の神の動向を見ようとした時、その巨体のすぐ横に無造作に転がったそれを

「■■■■■■■■■■───っっっっ!!!」

 それを遠目に見てしまった英人は、擦り切れた精神を遠い外宇宙の彼方に吹き飛ばして人ならざる悲鳴を!人の声帯ではとても発せられない悲鳴を叫んだ。

「っ!?英人さん見つけたんですねっっ!!」

 明日香が瞳孔を開き、狂気の笑みで訊ねた。

 しかし、それは質問ではなく確信をもって訊ねた確認であり、英人の狂気の咆哮は答えであった。

 間違いなく英人は見たのだ。

 人の脳では到底理解も処理も認識すらも不可能な宇宙の真理の断片の陰を。

 それは真っ暗な洞窟の中、僅かな光で照らされ、一瞬微かに遠目でその断片の陰を見ただけであった。

 それだけで彼の脳は犯され、掻き乱され、多元に捻られ、異次元に攫われ、魅せられ、見せられ、見られ、その膨大な情報の内大宇宙に漂う塵程度にも及ばない知識を焼き付けた。

 それに対して彼の脳は理解出来ない、してはいけないソレに脳のシナプスを自身の本能によって焼き切った。

「あああああ嗚呼嗚呼AAaああああXAXああああ■■■■■■■■■───っっっっ!!!」

 そして、彼は全てから逃げ出した。

 ただ、狂喜する明日香の手だけを引きながら、何も考えず、何も感じず、ただ恐怖と狂喜だけを背に感じ狂乱のまま駆けた。

「流石私の──」

 原初の神は、そんな彼らに興味の欠片も見せず、ただ洞窟の最奥で揺蕩い、産み落とした子供を喰らい続けた。



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