第5話

「ミラ――!っ、


 大声で叫んだ。同時に手に持った石ころを投げつけた。石ころは歪な影に辺り、ギョロリトした紅い爛々を二つ、コチラに引き寄せた。

 どうでも良かった。来るなら来い。そう思ったから。


「は、はぁ!?、オマエばっ、なんっ!


 目の前で喰われかけていた少女は、目を何度もぱちくりさせて叫んだ。


「オマエなぁ! 人が作ったモン残してんじゃネーよ!

「そ、しょ、しょうが――


 言葉を上手く作れない彼女の前。無視してバケモノはボクへ寄ってきた。


「あ、危ないぽむ!


 その瞬間、珍妙な、羽の生えたウサギがボクの前に飛び出した。初めて見たが確信があった。そうかコイツかコイツか。ロクに知らんが間違いないだろう。

 ボクは吸水性は悪くなさそうなソイツを、頭から潰す気で鷲摑みにした。


「おいモジャモジャ。就職先は二つだ。雑巾か。それとも夕飯か、

「ま、まつぽぉ、む。いたッ、爪が食い込んで……

「ま、待って! 待ってトリノ!

「いや待たない! 今日はウサギ鍋だ

「た、食べないでみ、ミラのと、ともだち。……ぽむ?

「……ああ。

「違う! ぱしり!

「黙ってろチビ! 用水放り棄てんぞ!

「どっちぽむ。ま、まぁとにかく! たすけたい?、ミラを。

「?、ああ。

「――よろしい。


 頷いた途端、途端のコトだった。


 ウサギモドキはすぐさま目から閃光を放った。閃光はやがて無数の緑翅の蝶となって、ボクをたちまち取り囲んだ。

 蝶が全身を駆け巡って、いつしか心地よい風が吹き荒んだ。ボクは深呼吸をするように深く沈み込む感覚に目を瞑り、やがて蝶の羽音が終わるのを待って目を開いた。


 ヒザまで包む漆黒のロングブーツ。高いヒールは針状で。紺のレオタードからは透明なフリルが伸び、脚のジャマをするなとでも言いたげにソレだけだった。ハイカットの鼠径そけい部から太ももを撫でる夜風を、からかいのように感じた。

 幸いにも上半身は普通だった。パフのついた細いストライプの洋装が、レオタードの上に着込まれていた。


 髪は恐ろしく長い。腰をワサワサトくすぐっていた色は、冬の山が僅かな春を耐えているかのように、朽葉と深緑が入り交じっていた。

 

「フィギュアスケート?


 まじまじと全身を見ながら呟く。


「見た目は後にして! くるぽむよ!


 トンチキな語尾で指示が届く。どこからか見渡せど姿は無い。とりあえず目の前、迫り来るバケモノの姿はあった。


 イノシシのようだった。大きさこそ軽トラぐらいはあるが、頭は低く、ひたすらにコチラへ突進する毛むくじゃらだった。


「トリノ!


 叫ぶミラの声に、ボクは不敵な笑みを浮かべた。

 随分と軽く細く丸くなった脚を持ち上げ、そのままエモノが来てくれるのを待った。


 "バギュッ!"


 標本に杭を打つような感覚だった。

 骨の割れる音、肉の裂ける音があって、そのままボクのヒールは深くイノシシの頭に突き刺さっていた。

 抜く間も無くイノシシは、そのまま悲鳴を荒げて粉々になっていった。


 粉が夜風に吹かれてどこかに飛び交う。ソレをじっと見ていると、やがて足下はスニーカーに戻り、太ももにあった冷たさは鳴りを潜めた。


「終わった?、


 イマイチ実感が湧かない。確かめるように呟いていると、突然背中に重い衝撃がのしかかった。


「とりのぉ! とりのぉ!


 濁りきった声で背中に貼り付いたソレは、ボクの背中をみるみるうちにぬらしていった。

 情けなくも暖かい、今までこの町を守っていた功労者の見せた弱みに、ボクは深い安心と、くすぐりが湧いた。母性と名付けてもいい気がした。


「少し伸びたね、ミラ


 そう言って笑った。ますます母親にでもなったような気がした。


「ああそれな! オマエも縮んだんだ!


「は?


 満面の笑みから飛び出たワードに、ボクは思わずミラを引っぺがした。手にはさっき一瞬ばかり見た、落ち葉を雪で捏ねたような髪があった。


「いくらオマエでもなぁ。流石にチョットは縮むよな!

「待て。待て。どういう――


 みるみる内に青ざめるボクの顔の上、いつの間にかあのウサギモドキが着陸してくる。


「監視役が要るぽむよ。必ず一人、ソレがミラからトリノに代わったぽむ

「かん……し?

「太陽があってもゼロじゃないからな! 姿だけでもそのままにしておく必要があるんだ!

「そのまま――?


 無邪気に重ねられる単語。ボクはすかさずポケットに手を突っ込んだ。ナルホド、違和感が何処にもない。助けてくれ! 何処にも、跡形も無いんだ!


 イヤしかし待って欲しい。じゃあ何か?、コイツは今まで。いやボクに――あんな無警戒に近づいて。アホか!?、水泳とかどうするつもりだったんだ!? 待て。オレこそどうするんだ! このまま――


 巡り迸る思案に目が暴れ回る。全ての声が遠くなる。


「まぁ、1年で交代ポム。それまで――

「いちねん!


 当たり前のように出てきた声に意識が吹き飛ぶかと思った。恐ろしい痙攣が、たちまち脚や手から初まった。


「あ、後。間違ってもせ、赤ちゃん造っちゃダメぽむよ、一生もどれなく――

 

「するかぁあああああ!!


 怒りにまかせて俺はソイツを鷲摑み、そのまま用水に投げ飛ばした。

 

「トリノぉ!


 叫ぶミラの声もはるか遠く。ボクは自分の意識を手放した。泡を吹いて放り棄てた。。


 翌日。教室にて。


「あ、荒川。どうしたんだその髪――

「反抗期です。

「そ、そうか。は、反抗期か。ま、まぁほどほどにな、うん


 随分と明るく芸術的になった髪をポニーテールで束ね、ボクは教室に座っていた。

 胸は包帯で押しつぶした。幸い包帯なら沢山持ってるヤツがいた。


「と、トリノくーん


 背後より。少しだけ低くなった声で。包帯卸売業者よりご機嫌伺いがやってくる。


「なに?

「宿題を――

「テメーでやれ

「そんなぁ。あ、後さ

「?、まだあるの?

「ソレ……なに?


 彼はボクが机下、隠すようにして持っていた手帳に指を向けた。震える指だった。


「母子手帳だけど

「ぼ、ぼし!?、


 ボクは満面の笑みを浮かべた。なぁに気にするな。一年は学生として愉しむと良い。二度と戻らないらしいからな。


「?、

「別に。さぁ、思う存分楽しみ給へ、日常を。

「?、おう。


 視線をノートに戻したミラに、ボクは笑顔をもう一度向けた。


 絶対に向けてはいけない笑顔で、じぃト見つめた。。

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ヤンキー♂は過労死寸前の魔法少女。助けたら僕もチソを取られました ねんねゆきよ @NENE_tenpura

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