第33話 それだけで

「……彼女、どうします?」


 知らない声に、水の中から引き上げられるようにぷかりと目が覚めた。声はこの暗い部屋の外から聞こえているようだ。花蓮はゆっくりとまばたきをして、それから手を握ったり閉じたりしてみる。身体は問題なく動いていた。そして、同時に色々なことを思い出す。


 霊力の枯渇で意識を失った後、花蓮は楓によって夜徒やとの巣になっていたうろから連れ出され、そのまま身柄を天宮家に保護された。まだ実感はないけれど、情報を聞き出すことの得意な霊能力者によって知っていることを吐かされてしまったのだろう。といっても、使い捨ての武器である花蓮が知っていることなどわずかだ。


「あの夜徒やとの巣、八咫烏やたがらすの拠点ではなかったようですね。桜木花蓮は単独でそこに送り込まれ、持たされていた霊装によって夜徒やとを操り、天宮楓様と相川光希の殺害を試みたと。それでも足りなかったので、霊装を破壊することによって夜徒やとの暴走を引き起こす手段に出た、というわけですか」


「ええ。おそらく、霊装の効果を試すためでもあったのでしょうね。そして、生徒たちを術で惑わし、楓を襲わせたのは楓が自ら進んで身を差し出すようにするための計略だった……。事実、楓はそうしてしまったわけだし、効果的ではあったようね。そのとき使った暗示系の術式は花蓮の身体を媒介にして発動させていたもので、そのせいで術者の特定はできないわ。口惜しいけれど」


 男と女が話している。女の方は聞き覚えがあった。確か、下田木葉といったはずだ。会話の間にばたばたと慌ただしい足音が挟まる。


「木葉様! 霞浦の方から申し入れがありました!」


「なんて?」


「桜木花蓮は霞浦亜麻音の従者であるため返してほしい、と」


 花蓮は目を見開いた。声がもれないよう口を手で押さえる。身体の震えはそれでも止められない。どんな感情から身体が動くのか、花蓮には分からなかった。


 入学式の日、任務のために青波学園という場所に送り込まれ、八咫烏やたがらすの道具としてはあるまじきことではあるが、花蓮は戸惑っていた。知らない世界、新しい環境。学校生活は厳しい訓練ばかりの生活から想像もつかないくらいのものだった。そんな花蓮に声をかけたのは、縦ロールの髪が印象的な女子生徒だった。


「わ、わたくしの従者になりなさいっ!」


 記念すべき第一声。ぽかんとした花蓮とは裏腹に、亜麻音は目を回して自分の言葉に混乱している様子だった。亜麻音の側にしばらくいたからこそ、今は、それが友達になりませんかという言葉の亜麻音なりの言い方だったと分かる。当時は亜麻音の言葉の裏など知りようもなかったけれど、花蓮は学園での隠れ蓑とするために亜麻音の手を取ったのだ。利用し、棄てるために。そして、今回の件で亜麻音も知ったはずだ、花蓮の正体と目論見を。


 なのになぜ、亜麻音は天宮に花蓮を返すよう求めるのだろう。


 天宮家がどんな家なのかを知らない亜麻音ではないはずだ。超然たる支配者として、冷酷な判断も簡単に下す人々だ。逆らえば、粛清すらありえるとすら囁かれる。そんな家に、天宮にあだなす組織に所属していた人間の返還を要求するなどふざけている。


 なのになぜ、花蓮はこんなにも満たされた心地になるのだろう。


 顔を膝にうずめた。


 抉り出してしまいたいほどに憎んだこの目を、亜麻音は何のてらいもなく綺麗だと褒めてくれた。居場所のなかった花蓮に従者という役割をくれた。道具でなく、人として。棄てられないようにと身を削って十二天将の一柱を無理に使役することを成功させた花蓮を、組織は使い潰そうとしたというのに。


「ふーん、なるほどねぇ。ご当主様は何と?」


 面白がるような声音で木葉は言う。


「そ、それが、好きにせよと」


 でしょうね、と木葉がくすくすと笑い、男たちはしばし沈黙する。けれど、その沈黙も長くは続かなかった。どたどたと騒がしくやって来る人がいたからだ。


「花蓮ー! どこにいますのー?」


 はっとして立ち上がると同時に部屋の扉が開かれる。亜麻音が花蓮を見てぱっとわらった。縦ロールの髪を揺らして一目散につかつかと歩いてくる。ぎゅうっと抱きしめられて花蓮の息が止まった。


「別に、あなたを探しに来たとかそういうわけではないのですわ。……あら、貴女、泣いていたんですの? まあ! 貴女の目が台無しですわ」


 やっぱりこのひとは不器用なのだ。花蓮は目を細めた。細めたら、まなじりに溜まっていた涙がぽろりと一滴こぼれ落ちた。


「……どうして私を探されたんですか? 私は烏ですよ? それに、天宮楓を目の敵にするよう暗示を掛けていたのも私ですよ?」


 亜麻音がきょとんとした顔で花蓮を見つめる。


「貴女はわたくしの従者ですから。探さない理由はないと思うのですけれど?」


 従者に選んだ。それだけで理由など足りるのだと亜麻音は事もなげに言う。


 そして、それだけで花蓮には十分だった。


「……まったく、あなたというひとは」








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