第31話 領域越え

 微かな物音に楓の頭の上の耳がぴくりと動いた。夜徒やとは楓がすべて始末したはず。


「あーあ、せっかく用意してあげた舞台を台無しにしてくれちゃって……。どうしてくれるんですか」


 少女が軽やかに地面に着地する。髪の毛を二つ結びにした彼女の瞳は緑色。


「あなたとは初めましてですね、相川光希。私はからすの一羽、──桜木花蓮です」


 芝居がかった所作で花蓮はニヒルに微笑む。楓と光希は警戒を強め、身構えた。


「天宮楓と相川光希の殺害が私の任務なんですが、まさか天宮楓がこんな能力を隠していただなんて誤算も誤算ですよ。だって、殺しても死なないんですから。もっと刻めば死にますか? 水に沈めれば死にますか?」


 花蓮は岩に腰掛けて足をゆらゆらさせている。


「せっかく相川光希を殺せそうだったんですけどねえ。正直なところ、あなたを殺すのが難しそうだと思ったから天宮楓をおとりにしたのに、天宮楓の方が物理的に難しいってどういうことなんですか」


「何のために相川を狙った!?」


 楓ならまだ分かる。天宮の姫という存在の希少性や特性を考えれば理解も納得もできる。だが、光希は楓の護衛で、なぜ護衛まで始末する対象になるのか楓には分からなかった。その答えを持っているのは光希の方なのだが、楓が知るすべはない。


「んー、私は知りませんし、興味もありません。まあ、私の主はあなた方を二人でセットだと思っているようですけど。いずれ私たちの脅威になるというなら、早めに摘んでおくのも手ですから。ですが、あなたには関係ないことではないんですか? だって、殺してほしいんでしょう?」


「……っ、ボクは」


「心変わりしましたか。ですが、あなたのその姿。相川光希は言わなかったでしょうから、私が教えて差し上げます」


「やめろ、桜木ッ!」


 焦りに満ちた光希の叫びを花蓮は無視した。


「半妖のあなたは異端です。どの世界にあろうとも、あなたは狩られる側にある。天宮という名でさえ、半妖と知れればあなたを守ってなどくれないでしょう。現世うつしよのものと常世とこよのものは相容れることはない、何か間違っていますか? 相川光希」


 現世うつしよ常世とこよのものは交わらない。半分だけではどっちつかずの半端もの。どちらのものにもなれはしない。その上、天宮は霊能力者たちを統べる血筋だ。半妖の姫など、決して認めはしない。


 光希が悔しげに顔を歪めるのを目にした。ああ、やっぱりだめなんだ、と楓は俯く。


「それでも。いない方がいいとは言わせない。おれが天宮を守ればいいだけのことだ」


 楓は思わず顔を上げた。どうしてこの人は、真っ直ぐな目をしてこんなことを恥ずかしげもなく言えるのだろう。大真面目な顔をしている横顔を盗み見て、こっそり呟いた。


「……人のこと言えないだろ、ばーかばーか」


 それ以上の問答は無用と判断したらしく、花蓮は立ち上がった。


「どうでもいいので、二人ともさっさと死んでください」


 花蓮が指を鳴らせば、のそのそと夜徒やとが再びやってくる。楓と光希を取り囲むようにして黒い獣が臨戦状態に入った。楓は素早く目を走らせて刀を探す。楓の刀はちょうど楓が最初に蹴り飛ばした夜徒やとの死骸の側に転がっていた。戦闘が始まればすぐに取りに行ける位置だ。


 楓自身の生死は横に置いておいて、ともかく、このバカ真面目な少年をこんなところで死なせるわけにはいかない。守れなかったらきっと、安心して死ねないし。


「十二天将が一柱、騰蛇とうだよ、顕現せよ」


 びかけに応じ、花蓮の隣に巨大な大蛇おろちが姿を現した。天宮の山で見たときと同じものだ。楓や光希の身体をひと噛みで喰らってしまいそうなほどの巨体が膝丈の高さで浮いている。霊力の霧が騰蛇とうだを中心にして広がり出して、視界が途端に悪くなった。楓は無意識に手を伸ばす。光希がその手を掴んで握る。楓も握り返してみると、光希がふっと笑う気配がした。


「天宮は夜徒やとを頼む。おれは騰蛇とうだを倒す」


「そんな倒れそうな身体で大丈夫なのか? 前と同じようにはいかないぞ?」


「大丈夫。おれにはまだ、一枚切り札が残ってる」


「わかった。なら、ボクは適当におまえに合わせるよ」


「ああ」


 白く重い霧の中で、花蓮が告げた。


「では、終わらせましょう」


 騰蛇とうだが光希に向かって飛び掛かる。避けるだけの体力はもう残されていない。死が光希に口づけるのは必定。けれど、光希は唇を歪める、不敵な笑みの形に。


「──来い。青龍」


 光希の身体から霊力が噴き出した。蒼い霊力。楓が目を奪われていたあの美しい蒼の光。嵐のように渦巻く光希の霊力は、やがて一つ所に収束し、蒼い龍を形作る。蒼い龍が目を開けば、立ち込めていた白い霧が晴れていく。威厳を放っていた騰蛇とうださえも青龍の前では色褪せて見える。


『我をぶのが遅いぞ、この馬鹿者めが。何故我を呼ばなかった? 危うく死ぬところではなかったか、おぬし』


「いいから黙ってろ。天宮がどこにいるのか分からないのにおまえに好き勝手やらせるなんてできないから、ばなかったんだ」


 ぐぬぬ、と言い返せずに青龍が呻いている。見た目に反して中身が残念なので、光希としても頭が痛い。せっかく四神の一柱だというのに。


「とにかく、騰蛇とうだを倒してくれ」


『承ろう』


 青龍が美しい体躯をしならせて、しゅるしゅると舌を出して威嚇をしている騰蛇とうだに向かう。蒼い燐光を振りまいて、青龍は滑空した。口から吐き出した蒼い炎が、動きの鈍い騰蛇とうだを焼く。


「がはっ……、青龍……ですか!? あなたは精霊術者ではないでしょう!? なんで、術式との同時展開が可能なんです!?」


 光希が指一本触れていないにも関わらず、花蓮は吐血し、顔も土気色になっていた。もともと、十二天将などという大物と契約するには霊力量が足りていないのだ。天宮の山での出来事も同じことだった。霊力量も技量も足りないから、契約自体に亀裂が入る。契約の不安定さは明らかだ。実際、青龍がはっきりとした形を維持しているのとは対照的に、騰蛇とうだの形は今にも崩れそうになっている。


「簡単なことだ。おれは、精霊術者でもあるからだ」


 花蓮が目を見開く。


「まさか、〝領域越え〟ですか……!?」


 精霊と契約をすれば膨大な霊力を常時消費し続ける。ゆえに、通常術式に関しては術者として使い物にならない。それが精霊術者だ。だが、もしも精霊に供給する以上の膨大な霊力量を持っていたとすれば……。理論上、通常術式と精霊の使役を同時に行うことのできる術者が生まれるはずだ。しかし、人の持ちえる霊力量では到底その絶対量を超えられない。ありえないという意味を込めて、〝領域越え〟は語られる。


 そう、ありえないのだ。


「相川の有する、人型の兵器、というものを、耳にしたことが、あります」


「……ああ、それがおれだ」


「今、やっと、あなたがなぜ、天宮楓に肩入れするのか、理解しました」


 相川の家は〝領域越え〟の術者を造ったのだ。高い身体能力と膨大な霊力保持量を兼ね備えた戦闘用の兵器として。光希は命じられるままに独りでずっと戦い続けてきた。人として見られたことはなく、戦闘能力だけを求められた。戦うことしか、光希にはできない。それだけが光希の価値で、光希のすべてで。


 だから、似ていると思った。


 強く、孤独で、自分はバケモノなのだと泣いている声で叫んだ少女と、光希は似ていると。


 だから、どうしたって見捨てられない。


「だから、おれは! ここでは、死ねない!」


 騰蛇とうだを青龍が食い破る。騰蛇とうだを構成していた霊力が暴風となって暴れた。契約の強制的な解除に花蓮が絶叫する。




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