第29話 遠くてあかくて届かない

 緑で覆われたうろは、その中までも密林のような様相だった。ぽっかりと開いた天井から、月光が差し込み、すべてを淡く照らしている。


 死に絶えた巨木が苔むして、その上から再び木が生える。木々が折り重なって作られた自然の道は、ゆるやかな螺旋を描いて底へと続いていた。足を滑らせないよう慎重に降りていく。横の木にできた窪みには雨が溜まり、鋼色の小さな魚が泳いでいた。きらきらと燐光を放っているのは、魚が微弱な霊力を持っているからだろうか。目の前を通り過ぎる鳥は、硝子を打ち鳴らしたような声をしていた。ひらひらと金魚のような尾羽が霊力の炎を灯して、道を照らす。


 木の陰から時折襲って来る夜徒やとを倒して少しずつ進んでいく。否、じりじりとしか進めないのだ。道は悪い上に暗く、月の光だけでは頼りない。霊力で照らしたいけれど、光希は細かい調整が苦手だ。灯せば蛍火のつもりが松明の明かりになってしまい、ここにいますねらってください、と叫ぶ広告塔にしかならない。残念ながら、隠密行動は光希が最も不得手とするものだった。


 八咫烏やたがらすの構成員が襲ってこないのが気にかかる。本拠なら、防御のためにも出てきてしかるべきだと思うのだが、真ん中辺りまで降りても人の気配が湧くことはなかった。もしかしたらここに楓はいないのかもしれない、と不安になる。けれど、上で戦ってくれている皆を思えば、引き返すという選択肢はない。自分自身や仲間を信じ切れるか、問われているようだった。


 緊張のせいで光希の額から汗が落ちる。唾を呑み込み、つたを掴む。道にしていた木が途中で折れていた。ぱっくりと口を開けるのは、奈落の底みたいな底。この高さから落ちれば、光希であっても命はない。術式を発動させるより、気絶してしまう方が速いだろう。


「せーのっ」


 口の中で掛け声を上げて跳ぶ。ふわりと重力から解放される感覚に次いで重力に引かれる感覚がやって来る。踏み出した足が再び木の上に乗った。


 ──と、ざわりと肌が粟立った。


 飛び越えた場所から下を見る。奈落の底がとぷんと波打つ。違う、うろの底にある黒いものはすべて、夜徒やとだ。楓がいるのもきっとあそこ。


「くそっ、間に合えっ!」


 刀を抜いて、明かりに霊力の炎を纏わせる。もうなりふり構ってはいられない。何に阻まれようが、斬り棄てる。辿り着かねば始まらない。


 突然生まれた眩い光に獣が騒ぐ。大人一人の大きさをした蜻蛉かげろうのような蟲が光希に向かって飛び込んでくる。ぎちぎちと顎を鳴らす蟲を両断し、光希は木の道を駆け降りていく。下には大型の夜徒やとだらけだ。いくら楓が強くても、独りですべて屠るのは不可能だ。


「天宮ーッ! どこだっ! 返事しろっ!」


 夜の帳に向かって叫ぶ。


 満月は深い地の底にも、皓々と輝きを運んでいた。ぽっかりと見える紺青の夜天に、憎らしいほどに清廉な貌で浮かんでいる。


 光希は虚空へ身を躍らせた。先が夜徒やとの群れであろうと構わない。身体強化に霊力を回し、クッション代わりに空気の膜を術式で生み出し、着地の衝撃に備える。夜徒やとが紅い目で光希を見た。大きな夜徒やとは光希に向かって無造作に手を伸ばす。着地に全神経を回していた光希には防ぐ手立てがない。


「ぐっ……ァッ!」


 横殴りの衝撃が光希を地面に叩きつける。咄嗟に防御術式を最大出力で展開する。じめじめとした地面に叩きつけられ、光希の肺から空気が抜ける。頭がぼうとしていた。一瞬意識を失っていたようだった。もし、万が一にも防御術式が間に合っていなかったら、光希はばらばら死体になっていたはずだ。立ち上がろうとすると、左腕が動かなかった。血が喉をせりあがって来る。


「……ど、こ、だ……? あま、みや……」


 鮮血を吐き出し、ふらつきながら無理矢理立つ。既に動ける状態ではないはずの身体を霊力でなんとか動かす。足が血で滑った。全身から血を流していたことに今やっと気がついた。


 失いたくない。もう一度、手合わせだってしたい。喧嘩ばかりで、きちんと話すらしていない。もっと知りたい。どんな気持ちでどんな想いで笑うのか、教えて欲しい。まだ、光希は楓のことを何も知らない。こんなふうに、後悔ばかりで終わらせたくない。


 心の底から笑う姿を、見てみたい。


 とめどなくそう思った。願いなんていくらでも湧いてくる。


 光希は足を引きずって、穴から覗く夜空を見上げた。月明りを目で追いかけて、黒髪の少女の姿を探す。夜徒やとばかりだ。


「……へんじをして、くれ」


 喉が震えて、声が掠れる。こんな声では届かない、分かっている。唇を噛み切って、もう一度上を見て。


「天宮!」


 満月の下、夜徒やとの群れの中。少女の青白い顔が見えた。目を閉ざして眠っているようではあったけれど、間違いなく楓だ。光希はよろけながら走り出した。この距離なら、ぎりぎりで手が届く。


 そう、思った。


 夜徒やとが楓に向かって大きな口を開いた。遠目に見ても、内側の赤さが分かるほどに巨大な口は楓の身体を──噛み裂いた。





「…………っあ、ああああああああああああああああああああ!」





 鮮血の赤さばかりが月の光に照らし出されて生々しかった。





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