第18話 私の「さくら」

 私の声は貴方に届いていますか?

 今日は私の「さくら」についてお話します。今日のナビゲーターは私「さくら」が努めます。物語上では新入生、です。


 私は「さくら」に、思い入れがありませんでした。ほんの小さなころは、多分「さくら」は自分のことだ、ということしか理解していなかったと思います。最初に不思議に思ったのは、幼稚園でお友達に聞かれたときだったように思います。


 うろ覚えですが、多分こんなことを言われました。


「さくらちゃんって変な名前だね?なんでほかの子と違うの?」


 悪気のない疑問でしたが、私は答えることができませんでした。確かに、周りのみんなの名前とは、響きが全然違うのです。帰ってから、お母さんに聞きました。


「さくらの名前、変なの?」

「さくらって名前は、とても綺麗な花の名前なのよ。4月のはじめに、一斉に咲き誇る、遠い地球にある日本という地域を代表する花の名前なの。風が吹くと、木に咲いている花びらが、風に乗ってふわっと舞い上がるのよ。はじめて見たときに、とても素敵だなって思ってて、だから貴方の名前にしたの。いつか、さくらは本物が見られるといいわね。」


 写真を見せてもらったような気もしますが……、花びらが舞うその風景は、記憶の底に沈み、やがて形を失ってしまいました。「変?」って言われた言葉だけが、のっぺりと私の心を縛りました。


 その時から、私は「さくら」と呼ばれるたびに「へん?」って問いかけられるような気がして気後れするようになっていきました。名前でいじめられるようなことはなかったですが、この経験が私を内向的で積極的なコミュニケーションをとることのない人間として形作った原点かもしれません。


 そうして高校に入学するまで、結局「さくら」という名前と自分について、深く関わることは無かったのです。入学式のその日も、視線を少し下に下げ、誰とも関わることなく教室に向かうことだけを考えていました。


 ……門を通り過ぎたその時、ふとその視線の先にピンクの何かが舞っていくのに気が付き、顔を上げました。その瞬間、記憶の底に沈んでいた風景がよみがえりました。淡いピンクの花びらが煌めく木漏れ日の中、ふわりと空に溶けていく様子――母が語ってくれた「日本のさくら」が、その時目の前にありました。


「新入生のみなさーん!ご入学おめでとうございまーす!」

「日本のさくら吹雪が皆さんを祝福しています!」

「「さくらでおなじみ、地球観測部は貴方たちを歓迎します!」」


(私じゃない……?)


 呼ばれた名前が自分のことではないことに気が付くのに、一瞬の時間を要しました。その一瞬のうちにさくらはどんどんと校舎の空に広がり、風に舞い上がり、新入生たちを祝福します。さくら吹雪が、みんなを笑顔にします。その時はじめて「さくら」を人々が歓迎したかのように映りました。私の居場所が生まれたような、そんな気がしました。


「こらー!お前らなにやっとるんだ!降りてこい!」


 校舎を見上げると直立不動になった2人の姿が見えます。彼女たちが「地球観測部」の人たちなんでしょう。しばし足を止めていた新入生たちは、まだまだ舞っているさくら吹雪の中を、少し足を速めて校舎の中に消えていきました。私もあわてて、再び視線を下げて校舎に向かいました。入学式が終わった後、あの時の2人が終わらない大掃除をしているのを見かけたとき、ちょっと笑ってしまいました。


 入学式の後、教室で自己紹介の時間がありました。自分の名前を言ったとき「やっぱり地球観測部希望なの?」と聞かれたときは苦笑いするしかありませんでしたが、結局「さくら」の話題があったことで高校1年生のスタートダッシュに出遅れることもなく、それなりの人づきあいができるようになったのは、私が変わった第一歩だったと、今では思います。


(……まだやってる。)


 入学式と教室でのオリエンテーションが終わり、新入生たちの下校時間になりましたが……。門や人が歩く通路からは「さくら」は回収されていましたが、植木や校舎の端のちょっとしたところには、まだまだ「さくら」の紙切れが残っていました。時折風で強く舞い上がり、そのたびに2人の「うわーー!」という声が聞こえてきます。再び舞い上がった「さくら吹雪」のひとかけらふたかけらが、私の髪にそっと引っかかりました。摘まんでてのひらに移し、その紙切れを見ていると、声がかかります。


「あー、ごめんね!新入生だよね、そのさくらの花びら、この段ボールに入れてくれないかな?」

「『さくら』は捨てずに、段ボールに集めてるんですか?」

「?このさくらは地球観測部の伝統だから、全部回収しなきゃなの。さくらはまた来年咲いて、新しい誰かの思い出になるんだよ!」

「……、私は、誰かの思い出になれるんですか?地球観測部に入ったら、私にも居場所が見つかりますか?母みたいに素敵な景色を見つけられますか?」

「!そうだよ、地球観測して、日本のことを知ったら、きっと毎日がもっと楽しくなるよ!どうかな、興味があるんだったら、私たちの地球観測部を覗きにこない?私はぱるね。貴方のお名前を教えて?」

「私、さくら、って言います……。」

「!さくらちゃん!良いお名前だね!よろしくね!」


 これがぱるね先輩との出会いでした。先輩たちとの新しい出会い、そして「さくら」と「日本」との再会。変わっていく「さくら」への思いと、花びらのような淡い色の期待。私はこの時はじめて本当の意味で、期待に胸を膨らませる新入生になったのです。


 さて、今日はお時間となりました。私「さくら」が、今日のナビゲーションを担当しました。入学式でさくらの花びらを舞い上げた春の風は、日本にいる貴方の心に残っているさくら吹雪の風景と重なりましたか?――それでは、また。

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