第10話 収穫祭


 リナに魔結晶を作って見せてから数日後、日暮れ前にアロイが訪ねてきた。ちょうど客が途切れた時間だった。

「やあ、今いいかな」

 そう言いながら店に入ってきたアロイをカウンターの中で迎える。

「いいよ。お茶でも淹れようか?」

 私の問いに、アロイは首を振って笑った。

「お茶はいいよ。ベル、知ってる? 今日からオスロンの街は収穫祭だよ」


 言われて思い出す。10月の25日から5日間、この街では毎年収穫祭が行われる。街の周囲の農村や牧場から秋に収穫されるものが持ち込まれ、広場には屋台や露店がたくさん出るのだ。

 もちろん、港からも海の幸がたっぷり提供されるし、山の幸も、この日のために狩人たちが魔法の箱で保存していた獲物をどんどん持ち出してくる。今となっては魔法の研究が進んだり、稀人たちの技術が導入されたことで、冬でも物流が途絶えることはないけれど、その昔、まだそれらの技術が未発達だった頃には冬の備えという意味もあったらしい。収穫祭で食材をたっぷりと買い込み、各家庭で保存するのだ。


「どうりで最近、郊外からの客が多いと思った。街も人が多くなってるしね」

「というわけで、ベルとリナを誘いにきたんだよ。今日は早じまいして街に繰り出さないかい?」

「いいね! 収穫祭の時期には普段見かけない食べ物も出てくるし、露店にも珍しい料理が並ぶ。リナー! ちょっと来てみない?」

 リビングのほうに向けて声を上げると、カチャカチャと犬の足音が小走りに近づいてきた。


「ワン!」

 真新しい赤い首輪をつけた黒い犬が店のほうへとやってくる。

 カウンターの横に座り、アロイに見せるようにして首輪を後ろ脚で一度ひっかいた。

「アロイさん、こんにちは!」

 リナの口から人間の言葉が出たことに、アロイが驚く。

 得意げなリナと、そして同じように得意げな私を交互に見ながらアロイが言った。

「あれ? 魔法陣は?」

「むふふっ、ちょうど昨日の夜できあがったんだ。その新しい首輪にね、翻訳の魔法陣を魔石に写して仕込んだんだ! リナが一度触れると発動するようになってる。そしてもう一度触れれば解除される。便利でしょ?」

 そう、セロやアロイの前ではわりと情けないところを見せているけれど、私だって魔術師としてそれなりにやってきた実績がある。魔法屋をやると決めたのも、こういうちょっとした魔法技術が得意だというのもあるのだ。


「確かに便利だね。これなら外でも使えるし。でもリナ、多分ベルは言い忘れてるだろうから僕から言うけど、外ではあまり喋らないほうがいいかも」

「そうなの? どうして?」

 アロイの忠告にリナが首を傾げる。私も首を傾げた。

 どうして?

「リナの話し方がなめらか過ぎるんだ。普通の使い魔やペットは魔法陣を使ってももう少したどたどしいし、そもそも使い魔は術者と意識をつなげられるから、言葉で話す必要がない。そしてわざわざペットに外で話をさせる人は少ない。一言二言話すくらいならいろいろごまかせるけど、たくさん話してしまったらリナの事情を勘ぐる人も出てくるかもしれない」

「そっか。わかった。人のいないところならいい?」

 アロイの説明にリナは意外とあっさり頷いた。むしろ私のほうが残念だ。せっかくいい感じの魔道具が作れたと思ったのに。


「リナ、ごめんね、私が気の回らない人間で……」

 ちょっとしょんぼりしてしまう。

「いいよ、ベルさん。家の中でもこれは便利だもん。魔法陣をいちいちくわえて運ぶのも面倒だったしね」

「リナ、もちろん人のいないところなら喋っていいよ。それに、今日はいないけど、セロがいる時なら、あいつの妖精魔法で僕たちにだけリナの声を聞こえるようにできるから、今度頼んでみるといい」

 アロイが言うのを聞いて、リナが頷いた。

「わかった。今日はどうしてセロさんいないの?」

 なぜいないかは私も知っている。アロイに代わって私が説明した。

「収穫祭の時期、あいつは忙しいんだ。セロは稀人として目覚める前は狩人だったからね。今でもその時の繋がりがあるし、山で猟ができるならこの時期は稼ぎ時でもある」

 少し前に、外に出る仕事があるからとアロイの回復結晶を買って行ったことを思いだした。収穫祭の準備のためだったんだろう。

「今頃は市場や料理屋に肉を卸して、追加分を獲りに行ってる頃じゃないかな」

 アロイがそう言って笑う。


 商業区の端にある自分の店から、ひとまず時計塔のある広場に向かうことにした。私の店がある付近、魔法屋や書店、雑貨のあたりは収穫祭も関係ないが、広場に近づくにつれ、飲食店が少しずつ混じり始める。あちこちで、今年仕込んだエール樽を開けているのが見えた。もう少し進むと加工品の店が増え始め、干物や穀物なども店先に並び始める。今年の新米は美味いよ!とどこかから売り出しの声が聞こえた。

 歩いているうちに少しずつ日が暮れ始める。時間を確認しようと時計塔を見上げると、ちょうど夕刻の鐘が鳴り響いた。16時だ。


 広場は周囲がぎっしりと露店で埋め尽くされ、いつもなら芝生といくつかのモニュメントがある中央部分は、公営市場から提供されたベンチやテーブルがいくつも置かれて、そこで人々が露店の料理や酒を楽しんでいる。

 はぐれないように、リナの体にはリードを結んで、私がその端を持っていた。首にリードをくくりつけるのは可哀想だったので、両腕の付け根から肩にまわす形だ。


「ベル、はぐれないように気をつけて」

 アロイに言われたので、持っていたリードを見せた。

「大丈夫、ちゃんと結んであるよ」

「君もだよ。中身はともかく、僕たちの見た目は未成年2人と落ち着きのない犬だ」

「ワンワン!」

 足もとからリナが抗議の声を上げた……と思いきや、ひとつの屋台の前でしきりに鼻をふんふん言わせている。どうやらおねだりだ。

「たこ焼きか。いいじゃない、お祭りといえばこれだよ」

 うんうんと頷いてアロイが財布を出す。


 お祭りといえば、の意味はよくわからないが、このあたりではイカもたこもよく食べるし、小麦粉だって一般的だ。似たものはあった。ただ、マヨネーズ! その存在は我々ユラル人に衝撃を与えた。

 10年ほど前にマヨネーズに執着していた稀人を知っている。彼は手作りでは手間のかかるマヨネーズをいかに大量生産するかで試行錯誤していた。結局、魔導院の協力を取り付けて魔道具として製作し、マヨネーズが売れると踏んだ商人も出資して、それをさらに大型化して大量生産させた。それが今、こうして屋台の調味料のひとつとして出回っている。最初は調味料ひとつに何をそこまで、と思ったが、彼の試作したマヨネーズを食べてみると、たしかにその魅力に取り憑かれるのだ。

 結果的に、昔からあった、“イカやたこを小麦粉で包んで焼いた物”はイカ焼き、たこ焼きとしてソースとマヨネーズを添えられ、オスロンの街に定着した。イカ焼きはイカの形を単純化させたものだが、たこ焼きは何故か小さな球状だ。これがたこ焼きなんだ、と稀人たちが主張するから、我々もそういうものかと受け入れた。


 たこ焼きを2皿入手して、私たちは広場のベンチに座った。ちょうど近くにテーブルもある。まだ夕暮れ時だからそれほど混んでいないが、もう少し経って大人たちが仕事を終える頃には、おそらくあちこちでジョッキを鳴らす音が響き始めるだろう。

 2人と1匹で2皿のたこ焼きを分け合って食べる。いろいろなものを食べてみたいので、ここで満腹になるわけにはいかない。


「さっきベルの店に行く途中でちょっとのぞいたけど、明太子メニューがいくつかあったよ」

 細身で小柄、お金持ちのお坊ちゃん風の――風というより、そのものだが――アロイがたこ焼きを食べながら言う。アロイが食べるとたこ焼きもなんだか上品なメニューのように見えてくるから不思議だ。

「メンタイコ? また稀人案件?」

「魚卵……タラの卵を塩漬けにして、唐辛子をまぶしたものだよ。ご飯にのせたりパスタにからめると美味しい」

 アロイがメンタイコの解説をしてくれる。どのあたりがメンでどのあたりがタイなのかはわからないが、そういう食べ物らしい。

「魚卵か。北のほうから来る船が、保存用の大型魔道具を工面したのかもね。最近は市場でも北の魚介が多く並ぶようになったし」

「オスロン周辺の収穫祭の名物っていうのはどんなのがあるのかな。セロと違ってあまり外食をしないから、こちらに8年いてもまだ知らないことが多い」

 たこ焼きを食べ終えて、口元を拭いながらアロイが言う。


 そうだなぁ、と少し考えた。

「ポルティスっていうオレンジ色の芋を知ってるだろ? あれはオスロン周辺でよく育てられてるし、首都にもたくさん出荷してる名物だ」

 私が言ったポルティスは、アロイには心当たりがあるようだったが、リナは首を傾げた。私が自宅で食事をとる時には、リナにもいろいろ味見させているが、たしかにポルティスは出してなかったかもしれない。

「ああ、ちょうどいい。あそこにポルティスのフライが売ってるよ。買ってくる」

 リナを繋いだリードの先をアロイに預け、私はポルティスフライを買いに走る。


 ふかしたポルティスを細長く切って油で揚げ、軽く塩をまぶしたものだ。さっきアロイは、お祭りといえばたこ焼きと言っていたが、私にとっては、お祭りといえばポルティスフライだ。子どもも喜ぶし、居酒屋なんかでもおつまみとして人気がある。

 茶色い皮つきのまま、大雑把にカットされたポルティスは揚げると中のオレンジ色が際立つ。他の芋にはなかなかない色合いだ。


「ああ、これね。食べたことあるよ」

 うんうん、と頷いてアロイがポルティスフライに手を伸ばす。私は、さっきたこ焼きを食べ終えた木皿の上に数本置いて、リナの前にも差し出した。

 リナは、はふはふと熱さを逃がしながら1本食べて、驚いたように前脚でテーブルをばんばん叩く。

「いや、言いたいことはわかるよ、リナ。こんな芋は日本にないもんね」

 アロイが笑う。

「そうなの?」

「そうだよ! トマトの味がする芋なんて!」

 トマトのほんのりとした酸味とコクに、芋の柔らかな甘さが混ざり合ったポルティスはフライやグラタン、煮込み料理にも使える万能野菜だ。


「そろそろ何か飲み物が欲しいね。どこかにレモネードでもないかな。コーラが欲しいところだけど、まだ再現されてないはずだし」

 ベンチから立ち上がって、アロイが周囲を見渡す。

 私も同じようにベンチから腰を浮かせて周りを見ようとした。そして、見知った顔の女性を見つけてしまった。

 ひょわーーっ! やば!

 反射的に身を縮めようとして気がつく。今の私は少女の体だ。向こうが気がつくはずはない。

「ワフ?」

「いや、なんでもないよ、リナ」

 どうせこの体のことは知らせてないし、と言ったけれど、どうしても身を縮めたくなるし、声もひそめてしまう。


 彼女に悟られないように、何気ない風を装ってそっと盗み見る。

 ゆるくウェーブのかかったゴージャスな赤毛が背中を覆っている、背の高い女性。金縁の眼鏡をかけている横顔が見える。間違いない、フェデリカだ。5年前まで私が付き合っていた女性だ。彼女は王立魔導院のオスロン支部で助手をしていたが、私と別れてしばらく経ってから、首都にある本部へと異動になった。それ以来会っていない。

 王立魔導院はある程度の大きさの街なら支部があるけれど、本部は首都にある。この街からなら最新の蒸気機関車を使っても2日はかかる。里帰りか、それとも出張か。


 フェデリカが私のこの事態に気づく可能性は……と考えて、血の気が引く。

 充分にある! しかもわりとすぐに!

 冒険者ギルドの近くに行くか、私とフェデリカの共通の友人と話をすれば、“行方知れずのベルナール”の件はすぐに彼女の耳に入るだろう。ついでに、姪っ子が店の留守を守っているという情報もだ。ご親切にも店の場所まで!


「ベル、レモネードがあったよ。リナの分は交渉してボウルに入れてもらったから……あれ、どうしたの? なんかちょっとぷるぷるしてるけど」

 アロイの声に顔を上げる。

「ふぁわわわわ……」

「は?」

「アロイ、今すぐ私を連れて逃げて!」



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