「プロペレンテ症候群」
「久しぶり、田中じゃん。何してんの」
都内の西側で生まれ育った私たちは、いつまで経っても東側には行けず、こうして立川のカフェで会うこともしばしばだ。
声をかけてきたのは同じ中学校で3年間同じクラスだった高橋だった。
「たまに福生駅前のドトールで働いてるよね、久しぶり」
「気づいてんなら、声かけてくれりゃいいのに。ここ座ってへーき? 」
「勿論、大丈夫だよ。会うのは成人式以来かな……」
「だな、あれから4年ぶりだったはず」
高橋は机の上にカップを置くと、私の対面に座り、無難な話題を振ってきた。
「田中は最近何してんの」
ちょっとだけ、あ、の音を伸ばしながらその問いに答えた。
「今は何もしてない。去年の9月に会社辞めてさ」
高橋が久しぶりにする話題ではなかったという表情をしながら、私に続けて聞いた。
「真面目1本でやってた田中が会社辞めるなんて、何かあったの。実はブラックだったとか」
「いや、最近流行っているプロペレンテ症候群だよ。あれにかかっちゃってさ。入社早々に適応障害で休職期間を使い果たしちゃっていてさ、2度目は休めなかったから辞めた」
「プロペレンテ症候群って、原因がまだ分かんないんだろ。あれ、俺も調べたけど結構、苦しいらしいのな。退職手続き、よくできたな」
高橋がチビチビとコーヒーをすすりながら言った。
その姿を見ながら答えた。
「退職代行を依頼したんだ」
「あー、あれな、今話題の」
「退職に関するやり取りだけ、業者にやってもらって、私は書面での手続きをやるだけだったから、結構ラクだったよ」
「退職代行な〜」
高橋の語尾の伸ばし方に含みを感じて、逆に問いかけた。
「高橋は最近何してるの」
高橋は湯気の減ったコーヒーをグイッと飲み干すと、静かにカップを置き、空のカップを見つめながら言った。
「作家……、って言えれば良いんだろうけど、今は田中も見たようにドトールでバイトしながら、何とかやってたんだけど」
「だけど?」
「最近、書いた自信作がさ、賞の最終選考で生成AIが書いた作品に負けて落選してさ、才能無いのかなって思いはじめてる」
「でも、最後まで残ったらいいほうなんじゃないの。もう少し続けてみたら……」
「いや、まあ、なんとなく分かってんだ。少なくともAIに負けた作品だったんだ。だから、作家業に退職代行を使おうかと思っててさ」
「作家って、自営業だろ。退職代行って、意味分かんないぞ」
そう言うと、高橋がカップから目線を上げて、私の目を見つめながら言った。
「退職代行が通用するってさ、要はその人の能力の代わりがいるってことだろ。だから、依頼者の退職手続きをする能力を業者が代行する。辞められた会社側も代わりの能力があるやつを雇えばいい。作家もそういう時代にきたんだよ」
「でも作家って、そういう感じじゃ…」
「いや、もう、そうなんだ。おれもそろそろ決めるときがきたんだと思う」
「仮に作家業を退職して、どうするんだ」
高橋はカフェの窓から外を見ながら言った。
「おれの代わりに執筆してくれる作家AIをつくるよ。出来上がれば、他の作家も退職しやすくなる」
高橋はそう言うと、スマホの画面を光らせて、時計を確認した。
「やべっ、おれ、このあと用事があるんだ。じゃ、またな。お互い頑張ろーぜ」
高橋はそう言うと、席を立ち、カップを返却口に置いて、軽く手を私に振りながら、カフェを出ていった。
高橋のあの感じ。既視感がある。プロペレンテ症候群だ。私と同じ。
プロペレンテ症候群はコロナやインフルエンザとは異なり、ウイルスで引き起こされるものではない。病名でもない。ある特定の集団に名付けられるようになったSNSのとある界隈発祥の言葉だ。
〈私には代わりがいる〉。そう強く意識することがプロペレンテ症候群の特徴だ。
高橋はそのことに気づいているだろうか。
立川のカフェでひとりになった私は時間をつぶすためにウェブニュースをみる。
【天皇陛下、プロペレンテ症候群か。宮内庁に退位代行を依頼】
代わりはいる。そう思うことは、代わりが効かないことでもあるらしい。
次の更新予定
短編集 カンザキリコ @kanzakiriko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。短編集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます