第45話

 早苗さなえが三井さんの対応に向かい、席に案内する。


 おそるおそる香織さんの様子をに見ると、あっけに取られてるみたいだった。


 香織さんがぽつりとつぶやく。


「……カメラを壊されたのが惜しいわね」


 やっぱりたくましいな、この人!


 私は思わず尋ねてしまう。


「怖くないんですか? 香織さんは」


 香織さんは三井さんに目が釘付けになったまま応える。


「私、『危ない場所』はなんとなく肌で分かるのよ。

 ここはそんな感じがしないから、怖がる必要はないわね」


 へぇ、便利な感覚を持ってるんだな。


 私は香織さんが三井さんに気を取られてるうちに、こっそりカウンターまで戻った。





****


 秀一さんがニヤリと笑いながら私に告げる。


「お疲れ。人間相手の接客だが、随分疲れたみたいだな」


「そんな事言われても、人間の客さんは初めてですから」


 秀一さんはカウンターの中にいるマスターに尋ねる。


「どうするんだ? 辰巳たつみ

 このままだと、少し面倒なことになるぞ」


 マスターが小さく息をついて応える。


「そうだな、だが彼女がこの店に辿り着くことは、二度とあるまい。

 オカルト雑誌に記事を売ろうが、大きなことにはならないだろう」


 私はきょとんとしてマスターに尋ねる。


「そうなの? どうしてそんなことわかるの?」


 マスターが私に優しい顔で微笑んだ。


「この店が彼女を迎え入れることは、もうないからね。

 それに自力でこの店に辿り着くには、高いかんなぎの力が必要だし。

 記事を見た人間がここに辿り着くことはないはずだよ」


「香織さんの記憶を消してしまうことはできないの?」


 マスターが眉をひそめて困っていた。


「彼女は孝弘よりも巫力ふりょくが強い。

 完全に記憶を消すことは難しいかな」


 そういうものなのか。


 桜ちゃんが、香織さんの方を見ながら告げる。


辰巳たつみ、どうする? 必要なら僕があの女を始末しちゃうけど」


「やめておけ。無駄に騒ぎを大きくするな」


「はーい」


 桜ちゃんはコーヒーを口にしてから、マスターに向き直る。


「それよりさ、今夜は久しぶりに一緒にお風呂に入ろうよ! いいでしょ?!」


 歩美あゆみがあわてたように声を上げる。


「あなた! なんて慎みのないこと考えてるのよ?!

 見たところ、私たちと変わらない年齢じゃないの?!

 ――そりゃあ、神様なんだろうけど!」


 桜ちゃんがにやりと笑って応える。


「僕は昔から、そうやって辰巳たつみのそばにいたからね。

 君たち人間にどうこう言われる仲じゃないんだよ」


 昔から、マスターとお風呂に入ってたって言った?!


 思わず赤面しながら、マスターを見た。


 マスターは小さく息をついて告げる。


「仕方ない奴だな、今夜だけだぞ?

 明日には自分のやしろに帰れ」


「えー! つれない事言わないでよ!

 僕と辰巳たつみの仲じゃんかー!」


 ――マスター、桜ちゃんとお風呂に入るの?!


 私は胸にもやもやとしたものを抱えながら、マスターに告げる。


「マスター、本気なの?

 桜ちゃんは女の子だよ?

 本当に一緒にお風呂に入るの?」


 秀一さんがきょとんとしたあと、楽しそうに笑いだした。


「ハハハ! そうか、そうだなそう見えるよな!

 ――安心しろ朝陽あさひ

 桜は男神、男性だ」


「――は?!」


 私と歩美あゆみ早苗さなえの声がハモっていた。





****


 私はまじまじと桜ちゃんを見つめてしまった。


 可愛らしい顔つき、きゃしゃな体、見えてる部位は、どう見ても女の子だ。


「これで女子じゃなく、男子だっていうの?」


 噂に聞く、『男の娘』って奴?


 マスターがふぅ、とため息をついた。


「桜は日本に来てから、女神として祀られて来た。

 その影響だろうな」


 桜ちゃんが頬を膨らませながら私に告げる。


「なんだよー、男が可愛くちゃいけないっていうの?!」


「いや、そんなことを言うつもりは……。

 初めてそういう人を見たから、びっくりしただけだよ」


 でもそうか、それなら一緒にお風呂に入っても、問題ないな。


 胸のもやもやが消えていって、私は不思議と安心した気分になっていた。


 早苗さなえが桜ちゃんに告げる。


「日本に来て変わったってこと?」


「そうだよ。僕は中国にいた頃、もう少し男らしかったんだ。

 でも僕は今の僕も気に入ってるから、何の問題もないけどね」


 歩美あゆみが三井さんの追加オーダーの対応をする。


 私はカウンターの中で洗い物をしていた。


 しばらくして三井さんがお会計を済ませてお店を出たあと、歩美あゆみが告げる。


「……香織さん、まだ残ってるわよ?」


 カウンターの中から覗くと、香織さんは店内を見回しながらメモを取っていた。


 早苗さなえが小さく息をつく。


「コーヒー一杯でいつまで粘るんだろう」


 私はマスターを横目で見ながら告げる。


「ねぇ、追加オーダーを取ってもいいんじゃない?」


 マスターがため息交じりで応える。


「……そうだね。朝陽あさひ、ちょっと行ってきてくれるかな」


「はーい」


 私は洗い物を終えると、手を拭いてから香織さんのテーブルに向かった。





****


 私は営業スマイルで尋ねる。


「香織さん、コーヒー一杯で居座られても困ります。

 追加オーダーがあれば承りますけど」


 彼女はメモから目を上げて、私に微笑んだ。


「あらそう? じゃあイチゴのタルトをお願い。

 それとブレンドのお替りね」


「かしこまりました」


 私は伝票に追記してからカウンターに告げる。


「マスター! ブレンドとイチゴのタルト、お願いしまーす!」


 カウンターに戻ろうとした私の手を、香織さんが掴んだ。


「ちょっと待って、あなたのことをもう少し教えてくれない?」


「え、それはちょっと、困るって言うか……」


 香織さんがニコリと微笑んだ。


「あらいいじゃない、ちょっとぐらい。

 あなたいくつなの?」


「えー……十五歳ですけど」


「他の子たちは?」


「クラスメートです。でも、それが何か?」


「ううん、大したことじゃないわ。

 他の子たちも求人広告を見てバイトをしてるの?」


 私は必死に後ずさりながら応える。


「いえ、私がバイトに誘ったんですけど……」


 香織さんがパッと私の手を放して微笑んだ。


「そう、それがわかればいいのよ。ありがとう」



 そのあと、香織さんはイチゴのタルトを食べてコーヒーを飲み干すと席を立った。


「ごちそうさま、おあいそよろしく」


 『おあいそ』?


 きょとんとしていると、秀一さんが私に告げる。


「『会計してくれ』ってことさ。

 飲食業やるなら、覚えておけ」


 飲食業用語なのか!


「はーい」


 香織さんがレジに行き、マスターがレジカウンターに入る。


 ポンポンとキーを叩いてマスターが告げる。


「二千二百円になります」


「キャッシュレス決済はできないの?」


「当店は現金のみです」


 香織さんが小さく息をついた。


「遅れてるわね――はい、これでいい?」


「二千二百円、丁度お預かりします」


 香織さんが背中を向けながら告げる。


「また来るわね」


 そう言い残して、ドアベルを鳴らしながら香織さんは店を出ていった。





****


 午後八時になり、マスターが「みんな、もう上がって」と告げた。


 私たちは「はーい」と応えてスタッフルームに入る。



 学生服に着替えながら、昼間の香織さんの話題になる。


「凄い人だったね。ジャーナリストとか言ってたけど、初めて見ちゃった」


 テレビの中でしか、見たことがない人種だ。


 歩美あゆみが不快そうに告げる。


「図々しい人だったわね。

 『また来る』って言ってたけど、大丈夫かしら」


 早苗さなえはのんきに告げる。


「マスターが『もう辿り着けない』って言ってたし。大丈夫じゃない?」



 着替え終わってスタッフルームを出ると、着流し姿のマスターに抱き着いている桜ちゃんが目に飛び込んできた。


「なんで抱き着いてるの……」


 隣の秀一さんが楽し気に笑った。


「ハハハ! 昔から桜は、辰巳たつみべったりだったからな。

 元々、桜は辰巳たつみと一緒に語られることが多い神だったんだ」


「あ、やっぱり神様なんだ?」


 マスターが困ったような笑顔で告げる。


「今では神というより、『あやかし』に近い存在だけどね。

 元々が中途半端な存在なんだよ、桜は」


 へぇ、なんだか難しい事情がありそうだ。


 マスターが私の背を押して告げる。


「さぁ、駅まで送るよ。行こうか」


 私たちはうなずいて、『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』をあとにした。

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